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魔都に烟る~part27~

 
 
 
 ━神眼。

 それが一体、どんなものであるのか、ローズには見当もつかなかった。しかし、レイの言葉の端々に潜む不穏なニュアンスに、心が蝕まれるように染まって行く。

 「……もちろん『神眼』とは人が付けた呼び名。本当に神の眼であるはずもない。それでも、人から見れば、畏怖に価するものであることは間違いなかったのでしょう」

 拘束されたままレイを睨み付けている男爵に、レイは坦々と言葉を放つ。

 「それでも、神ならざるものに喪われたものを戻すことはできない。……いや、出来たとしても、戻してはいけない。それは禁忌の行為……」

 「だから、何だ!勿体ぶりおって!本当は何も出来んのだろうが!」

 痺れを切らせた男爵が大声で喚く。

 その喚く姿を見据え━。

 「あなたをガブリエルから引き離すことは諦めました。あなたの精神とガブリエルの身体は既に同化してしまっている。……ですから……」

 その意味ありげな言葉に、男爵が一瞬沈黙する。

 「ガブリエルをあなたから解放します」

 「バカなことを!何が違うと!?どちらにしろ、ガブリエルの精神も身体も、既にわしの一部と化しておるわ!」

 その言葉に、レイの口元が微かに、本当にわからないほど微かに緩む。

 「……出来ますよ。私になら。そして、何より、あなたは……」

 不遜なまでの物言いに、男爵が怒りと屈辱で震える。

 「……ガブリエルを甘く見過ぎています」

 レイの声音が、初めて遭遇した時と同じになったことにローズは気づいた。暖かくもなく、かと言って冷たくもない、しかし感情の読めない不思議な。

 (ガブリエルを甘く見過ぎている?ガブリエルから男爵を引き離せないと言っていたのに……どう言うこと?)

 固唾を飲んで見つめるローズの目に、レイから放出していたエネルギーの奔流が、さらに増したのが映る。さながら、燃え上がる焔のようなオーラが迸っていた。

 「……魂の救済を……」

 そう呟いたレイは、空(くう)に向かって指で何かを書き始める。いや、描いている、と表現した方が正しいのだろうか。

 紙に書いている訳でもないのに、確かに『見える』文字とも模様ともつかない不可思議な何か。網の目のような、花模様のような、図形のような中に、走り書きの文字のようなものも見える。

 何かを唱えているのか、口元には微かな動き。

 複雑な紋様を描き終えたのか、瞑目したレイが唱和に集中したのがわかった。その間に、呪縛から逃れようと男爵がもがいているものの、一向に解放される様子はない。

 ━と。

 『……ばくっ!』

 レイが瞑目を解き、言葉と同時に何かを放つような動き。先程、自分で空に描いた紋様が、男爵に向かって覆い被さった。

 「……!……何だ、これは!」

 『……りつ……おん……ばく……ばく……』

 必死にもがく男爵に、お構いなしに続けるレイ。

 『……り!!』

 その瞬間、男爵の身体が金色に光る細い糸のようなものに包まれた。ローズの目には、それが男爵の 精神=魂 だけを縛っているのが見える。

 (一体、レイは何をしようとしているの?)

 ローズが不思議に思いながら見つめていると、直に男爵の精神の中心部、核とも言うべき場所が輝き出した。何故か、わかるのだ。それが『核』である、と。

 食い入るように見つめていると、その核が少しずつ、本当に少しずつ、分離しようとしているのがわかる。

 思わず目を見張ると、それは完全に分離したかに見えた。━が。

 (……何?どうしたの?)

 分離したかに見えた光の核が、どこか動きが停滞しているような気配。完全に離れるのを躊躇っているかのような。それを凝視するレイの口から洩れたひと言━。

 「……だめか……私では……拒まれている……」

 その呟きにローズはハッと我に返った。━と同時に、レイの言葉が真に意味するところも理解する。

 (ガブリエルの魂自身がレイに反発しているんだわ。レイに救われることを拒んで。……でも、ガブリエルを救えるのはレイしかいない……どうしたら……)

 その時、突然、ローズの脳裏に浮かんだ言葉。

 『ローズ様。護符の力、お忘れなきよう』

 別れ際のヒューズの言葉。

 考えるより先に、ローズは叫んでいた。魂に響く声で。

 『ガブリエル・アスター・オーソン!』

 その途端、光の核が震えるように揺らめいた。

 「……ガブリエル!……レイにしかあなたを救えない……!救えないのよ……!そのまま……取り込まれたままでいいの……!?」

 その声に反応するかのように、少しずつ、少しずつ形を変えて行く。

 「……解けた……!」

 呟くと当時に、レイは再び空に描いた何かを放った。すると、その紋様に包まれた光がある形を成す。━そう、人の形に。

 「……ガブリエル……!」

 ローズの声に呼応したように、ガブリエルの形を作った光がゆっくりと顔をこちらに向ける。

 『……この男は私が連れて行く』

 声と言うよりは頭に直接響く音、のような。だが、ガブリエルの『声』だと言うことはわかる。

 「……ガブリエル。その必要はありません。あなたとその男が向かう場所は違う。その男は行くべき先に私が送ります。これ以上、関わっては、魂そのものが共に消滅してしまいます」

 静かなレイの言葉に、ガブリエルは初めて、憎しみや怒り、ではない視線を向けた。

 『……構わん。どちらにしても、終わりなのだ。せめてもの道連れにするのも悪くなかろう』

 「……ガブリエル……!」

 ガブリエルに何と声をかければ良いのか、ローズにはわからなかった。その心を知ってか知らずか、ガブリエルはローズに意外なほど穏やかな眼差しを向ける。

 「いいえ、ガブリエル。あなたは、あなたが行くべきところに行かなければならない。私はそのために存在しているのだから」

 レイに視線を戻したガブリエルが静かに首を振る。

 「うるさい!何を勝手にゴタゴタと話している!」

 男爵の喚きに、ガブリエルは冷ややかな視線を向け言い放った。

 『せめてもの血縁の情けに、私が同行してやろうと言っているのだ。それ以上、望むな』

 「……ダメよ!」

 ローズは叫んだ。気づいたら叫んでいた、と言う方が正確ではあったが。その言葉に、ガブリエルは不思議なほど満足気な表情を浮かべる。

 「男爵と共になど行かせません。そう約束したのです。そして……あなたには待っている人がいるのですから」

 『……何だと?』

 訝しげなガブリエルの言葉に、あくまで表情を変えることなく、レイは答えた。

 「……あなたの母上が……」

 ローズは息を飲んだ。ガブリエルも、呼吸すら止まったように微動だにせずレイを凝視する。

 (……お母様が……!)

 ほとんど記憶にも残らない母ではあっても、ローズの心も揺れた。自分を守るために自ら男爵の元に戻った想いに、偽りなどあろうはずもない。

 「後は全て、私が引き受けます。父に託されました」

 「生意気を言うな、若造が!」

 喚く男爵の言葉など聞こえぬかのように、ガブリエルが目を見開いた。

 「……私が、全て終わらせます」

 信じられぬものでも見るかのような面持ちで、ガブリエルはレイを見つめた。

 『……いいのか?それで……』

 「……それが、私が存在する理由なのです」

 何の感情もこもらない声。

 (……レイ……?)

 ローズの心の中に再び湧き起こる不安の嵐。

 (私……何故、こんなに不安なの……?)

 『……父上も罪なことを……』

 そう言って目を伏せたガブリエルは、少しの間、何かを考えるように沈黙し、再び、開いた目には決意の色が滲んでいた。

 『……では、頼む……』

 ガブリエルの言葉に、レイは黙って瞑目して何かを唱え始めた。次第にガブリエルの身体の光が増し、輪郭がボヤけて行く。

 完全に人の形が光に溶ける直前、ローズの頭の中にガブリエルの最後の声が響いた。

 『━姉上』

 ハッとしたローズは、

 「……ガ、ガブリエル!」

 思わず返したその呼びかけが、彼の耳に届いていたのかは定かでない。

 しかし、それを確認する術もなく、ガブリエルの魂は天から射し込んだ一筋の光に導かれるように消えて行った。

 それを見届け、感傷に浸る間もなくレイが男爵に向き直る。

 呆気に取られるように眺めていた男爵も、レイから放たれるただならぬ空気に我に返った。レイの顔を睨みつける。

 「……これで、私の憂いはなくなりました」

 目を伏せながら言うその言葉は、憂いなど微塵も感じたことなどないような声音で放たれた。男爵の顔が怒りと屈辱、そして恐らくは、恐怖、に歪む。

 「……さあ、終わらせる時が来ました。全てを終わりにしましょう」

 そう言って、レイはやや切れ長の目を開く。

 「………………!」

 ローズと男爵は、同時に息を飲んだ。

 前髪の隙間から見えるその左目は『神眼』と言われた真紅を、そして漆黒であったはずの右目は━。

 左目と同じく、妖しく煌めく真紅へと変化していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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