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社内事情〔64〕~対決~

 
 
 
〔片桐目線〕
 

 
 社長の声が流れている間、水を打ったように静まり返っていた。

 流川を始めとする敵方も、ひと言も声を発っさずに聞いている。恐らくは日本語がわからないであろう男たちも、社長の声に縛られたように。

 何とも言えない、不思議な空間だった。

 だが、社長の声が聞こえなくなり、一番始めに反応したのはやはり流川の手下の男たちだった。

 音も声も、何も聞こえて来ないが、流川に何か言っている映像が流れ、次いで流川が里伽子に向き直る。

 その顔を見た瞬間、おれは流川が社長に対しての気持ちを和らげてはいない事を悟った。先手を打たれた苛立ちか、それとも……。

(……里伽子……!)

 身を固くして見上げるおれの目に、何ら変わらぬ表情の里伽子が映る。流川に何かを言っているのは口の動きでわかった。そして、流川の方も何かを言い返しているようだ。

(……くそっ……聞こえん……)

 歯軋りしそうになる。

「ダメです。グルッと一周してみましたけど、全部鍵がかかってて……しかも防犯扉まで閉まってて忍び込むのは難しそうです~」

 拳を握ったおれの耳に、後ろから突然、緊迫感のない東郷の声が囁いた。

(……いつの間に……!)

 のらりくらりしているようで、いつもノルマは達成している東郷の手際の良さを垣間見た。おれたちが社長の話に聞き入っている中、ちゃんと聞きつつ、相手に気づかれないようにしつつ、建物周囲を偵察して来たと言うのだから。

「……強硬侵入は無理か……」

「……は~い……残念ながらぁ……」

 不法侵入どころか、何の装備もないおれたちには、扉を開ける事さえ出来そうもなかった。

 歯痒い気持ちを抱え、再び屋上を見上げた。

 下からおれたち全員がハラハラしながら見守る中、流川の表情だけが険しくなって行く。それを見て、おれの中には驚きしかなかった。

(……あの流川が……里伽子の言葉に内心を隠し切れなくなっている……あれほどに論争に自信を持っていたヤツが……)

 と、ついにキレたのか、流川が里伽子に掴みかかった。周囲からざわめきが起きる。

 当然、おれも息を飲む。しかし、当の里伽子の表情は変わらない。身長差も体格差もモノともしないで渡り合っている。

 女同士で揉み合いながらも、里伽子の唇は動いていた。そのたびに流川が反応している。これは、里伽子が相当、正確に的を刺しているとしか考えられなかった。

 流川の手下もどうして良いのか考えあぐねているようで、右に左に動くふたりを囲みながらも、眺めているしか出来ないようだった。

 すると、里伽子が痛い所のド真ん中を突いたのか、目を見開いた流川が叫び声を上げて圧し掛かった(もちろん声は聞こえない)。さすがに支え切れなかったのか、里伽子が流川と縺れ合うようにマットに倒れ込む。

 と同時に、里伽子の目が変わった。馬乗りに圧し掛かろうとする流川の腕をはらい、その手が目にも止まらぬ程の速さで動いたかと思うと……。

「……あっ……」

 固まったまま横にいた北条の口から、何だか場違いにマヌケな声が洩れた。おれが横目で見遣ると口を押さえ、「何でもありません」と言う風に首を振る。

 その瞬間━━。

 おおっ!と言う皆のどよめき。

 払い腰のような、巴投げを横に変化させたような、何だか不思議な動きで、里伽子が流川の身体をまともに投げ飛ばした。

「……っ……!」

 またしても北条が口を押さえる。……一体、何なんだ?

 ポカンとしていた手下のうち、最初に覚醒したごっつい男1号が、マットから投げ出された流川に代わって里伽子に飛び掛かろうとした。勢いづいた男を足払いですっ飛ばすと、素早く移動した里伽子が屋上の際に立つ。

「……里伽子……!」

 思わず声が出てしまった。

(……そんな際に立ったら危ないぞ……!)

 背中を冷や汗が伝って行く。

 里伽子が立っている所は、他の場所と違って手摺が低い。と言うか、ほとんどないに等しい。非常梯子に繋がる場所のようで、見ているこっちの方が目が回りそうだった。

 地上七階、一歩下がれば空中、を背に、それでも里伽子は流川に向かって何かを言い続けているようだった。その証拠に、漸く半身を起こした流川が、まだ床にヘタり込んだまま里伽子を睨み上げている。

 怒りで震える唇、凄まじい形相で何かを言っている。それを聞いているらしい里伽子。

 その時だった。

「…………!?」

 里伽子の顔を見ていた流川が……いや、流川だけじゃない。里伽子に詰め寄ろうとしていた手下の男たちも含めて全員が、目を見開き、息を飲むように驚いた顔をした。

 おれたちには里伽子の表情は見えない。完全に背を向けているし、スクリーンにも角度的に映り込んで来ないから。

 だが、流川たちの表情、それで、里伽子が何かを言った、もしくはそう言う表情にさせる何か、をしたのだ、と認めた次の瞬間━━。

「………………!!!」

 おれたち全員が、時間が止まったように固まった。流川たちでさえ。

「……里伽子……!」

 その場にいた全員の、息を飲む音さえ聞こえた気がする瞬間。

「……里伽子ーーーっ!!!」

 里伽子はおれたちに背を向けたまま床を蹴り、地上七階の屋上から宙に向かってその身を躍らせた。
 
 
 
 
 
~社内事情〔65〕へ~
 
 
 
 
 
 
 
 

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