候補2

薔薇の下で ~ Under the Rose 奇譚 ⑪ ~

 
 
 
【~Under the Rose~】 秘密で・内緒で・こっそり

 

***
 
 

誰よりも美しかったきみ
何よりも真っさらだったきみを
 
汚してしまったのは ぼく

寂びれた小さな町。いや、村か集落と言って良い規模の。

嘘くさいほどに穏やかな時間。裕福とは言えなくも素朴に暮らす人々。本当はそこから逃れたくて、気を抜けば野心に飲み込まれそうだった自分。そして、そんな自分を引き止めてくれていたきみ──。

いつも傍らで微笑んでくれていたきみ。

ただ、ひとり、大切だったきみ。

黒いシミで汚れ、とけて消えて行った美しい雪。ぼくの盾となって自ら堕ちて行った女(ひと)。

それを追うことも救うことも出来なかった自分。

きみを幸せにすると、幸せに出来るのだと、信じて疑わなかったあの頃の自分。

両親は早くに亡く、育ててくれた祖父母が後ろ指指されることなどないように、と言えば聞こえはいい。隙を見せないようにしていただけだ。

自分で言うのもナンだが、都会と比較しても引けを取らぬ程に成績はずば抜けていた。全国レベルの成績でも二桁中間外に落ちたことはなく、近隣の町で知らぬ学生はいない程で、常に知らない、特にじょしの視線にも晒されていた。

それでも、親がいないことを言う奴らはいる。自分の子どもより遥かに出来がいいぼくに、直接何か言う奴はいなかったけれど。ぼくの上っ面は、そのための鎧だったと言っていい。

微妙な立場にいたぼくと、周囲の思惑など全く意に介さず付き合ってくれていたのが幼なじみの彼女──鏑木美雪(かぶらぎみゆき)。

美雪もまた、近隣で知らぬ者などない美少女だった。ただ、ぼくとは違い、心の内も美しかった。名が体を、そして内面をも表す見本であるかのように。

母親はいいところのお嬢さんだったらしいのだが、恋人、つまり美雪の父親との結婚を反対され、半ば駆け落ちのような状態でこの町に住み着いたと聞いている。それもあってか、ぼくの祖父母が何くれとなく世話をしてやっていたそうで、彼らもぼくのことを可愛がってくれていた。

幸せだった──と言っていいのだろう。ぼくが大切なことを怠り、彼女を追いつめてしまうまでは。

狂ってしまった、美雪とぼくの歯車。

高校を卒業した後の進路を決める際、担任は強力に進学を推して来た。当然とも思える。ぼくの成績は目算通りに行けば最高学府も狙えるレベルで、こんな田舎町の高校から合格者を出せば、さぞかし鼻も高かっただろう。

けれど、それは無理な相談だった。両親がいないことを理由にしたくはなかったが、金の問題ではなく祖父母を置いて行くことは出来ない。まして、美雪と離れるなど、到底、考えられなかった。

校長や担任たちを振り切り、就職先を地元の役場に決めた。物足りなさはあったが、そんなものだと思ってもいたし、そのまま何事もなく年月は過ぎ去るはずだった。

あの日までは。

就職先も決まり、後は卒業まで気楽に過ごせばいい──そんな頃に耳に入ったのは、町のリゾート開発の噂だった。

その時点での信憑性はなかった。町中の人間が、「こんな何もないところに?」と思っていたはずだ。何のメリットがあるんだ、と。

そんなことは余所に、現実に調査の人間が現れ、当然、役場にもやって来たらしい。それらしい話を出し、町のことを色々と訊いていたとかで、正直、何か裏があるんじゃないか、としか思えなかった。

とは言え、若造の疑心など毛ほどのものでもなく、計画は着々と進められて行った。全てを飲み込みながら。やがて、奴らはぼくらの高校にも姿を現すようになった。開発計画に、学校の敷地が一部食い込むのだと言う。

気にはなったが、所詮、一生徒でしかない、しかも直に卒業してしまう自分たちには他人事のようなものだ。なのに、ある日、ぼくは担任に呼ばれ、そのまま校長室に連れて行かれたのだった。

「……就職?」

まさに寝耳に水だった。

「そうだ。大垣社長が直々に申し入れて来られたのだ」

いささか興奮気味の体で、校長が一気にまくし立てる。ぼくの方がついて行けずに置いて行かれる程だ。

「ちょっと待ってください。ぼくの就職、と言うことですか?」

要領を得ない校長の説明によれば、成績が群を抜いている生徒がいると聞いた大垣が、リゾート開発の事業部に地元民であるぼくを引き入れたいと言って来たのだと言う。そして、それが無事に終わった暁には、本社か、何なら山際産業に紹介してもいい、と。

校長は己のことのように有頂天になり、ぼくを進学させられなかった担任も乗り気の姿勢を隠さなかった。

正直に言おう。

ほんの一瞬も、心が揺らがない訳ではなかった。事業を成功させる一助として認められれば、少なくとも、今、決まっているよりは祖父母や美雪にいい暮らしをさせてやれる、と──そんな考えが脳裏を過ったのは確かだった。

けれど、誓って言うが、その後に町を出るなどと露ほどにも考えてはいなかった。美雪が町で暮らしたいと望む限り離れようなどとは思わなかったし、慎ましく人生を終えることに後悔などなかった。

当然、ぼくはその場で断った。落胆する校長たちのことなど、知ったことではない。

奴ら──大垣と山際の本当の目的を、その時のぼくが知る由もなく、ただ、リゾート計画が本格的に動き始めた頃、ぼくは美雪の様子がおかしいことに気づいた。どこが、と言うほど大袈裟なものではない。何となく、ぼくの顔を窺っているような気配、そして何か言いたげな。

けれど、大したことではないと気にも止めていなかった。

後になって思えば、その時に確認しなかったことが、怠ったことが最大の過ち。ぼくが、悔やんでも悔やみきれない痛恨のミスに気づいたのは、全てを失った後だった。

卒業までの間、校長だけでなく大垣たちはしきりに懐柔しようとして来た。正直言って、ぼくの何がそんなに気に入ったのかわからない。たかだか成績がいいだけの高校生に躍起になって、何の利があると言うのか?

その答え合わせは、卒業式の後すぐに始まった。

美雪がぼくの前から、いや、町から姿を消したのだ。

何も、告げずに。

当時、ぼくは祖父母の家の庭にある離れのような部屋で寝起きしていた。家が狭いため、物置にしてもいいからと、隣り合わせるように建て増したらしいが、ぼくが引き取られた際、部屋として丁度いいだろうと与えられた場所だった。

勉強も読書も音楽を聴くことも、ほとんど毎日のように美雪と過ごしていた部屋だった。

その日も、美雪は先に部屋に行っているはずだった。ぼくが着いた時、部屋の電気は点いておらず、うたた寝でもしているのかと扉を開け、無人の静けさに心の中で何かがざわめいた。

美雪から何か連絡があったのなら、帰宅した時点で祖父母が教えてくれない訳はない。足を踏み入れ、薄暗い部屋の灯りを点けた。

「…………?」

テーブルの上に置かれた一枚の紙切れ。それは、確かに美雪が一度部屋に来た事実を示していた。

『がんばってね』

ほんのひと言の手紙。震える文字と涙の跡。

訳がわからずに混乱する頭の中で、ひとつだけ理解し得た事実は、美雪がぼくの元から去った、ことだけだった。

「……なんで……」

自分の声も震える。そして、手紙を持つ手も。

呆然と立ち尽くすぼくの耳に、慌てふためく足音が近づいて来た。

「……おい! 何があったんだ!? 校長たちがお前のこと探して、呼んで来い言ってるぞ!」

幼なじみであり、クラスメートだった明男(あきお)だった。呆然としたままのぼくの顔を覗き込む。

「おい、しっかりしろよ!」

ようやく微かに反応したぼくを訝しみ、肩を掴んで揺すった。

「とにかく、来い!」

そう言って腕を掴んで走り出した。半ば引きずられるように辿り着いた校舎で、ぼくを待っていたのは大垣と、信じられない話だった。

「……一体、何のことですか?」

いつの間にか、ぼくは大垣のところに行くことになっていたのである。

「何も心配しなくていい。必要なものはこちらで全て用意する。就職が決まっていると言う役場にも、私の方から連絡しておく。ああ、一応、履歴書だけは用意してくれたまえ」

一方的に告げ、大垣は部屋を出て行こうと踵を返した。

「ちょっと待ってください! ぼくはお宅の会社に行くなんてひと言も……!」

「……落ち着けよ……!」

明男に押さえられたが、何がどうしてこうなったのかもわからないまま落ち着ける訳がない。

「ホントにお前が希望したことじゃないのかよ?」

「……違う……! ぼくは予定通りに就職すると伝えた! そうですよね、先生、校長」

話を振られ、担任と校長の狼狽に拍車がかかった。

「い、いや、大垣さんが……きみがやはり大垣グループに入りたいと言っている、と仰るので……」

「あれほど断ると言ったのに、そんな話を鵜呑みにしたんですか!?」

自分でも気づかぬうちにすごい剣幕になっていたらしく、普段、激昂することのないぼくだっただけに、二人は困ったように顔を見合わせた。

「そ、それにな。大垣さんの話では、きみが開発に関わりたいと言っていると……ぜひ、迎えてやって欲しいと言われた、と。何でもするからと、あまりにも真剣に頼まれたので聞き入れたと……」

「そんなことを、一体、誰が!?」

二人はもう一度顔を見合わせた。

「……きみが口添えを頼んだんじゃないのかね?」

「ぼくはそんなことしてません! 最初から言ってるように、そんなつもりありません!」

驚いた顔の二人。

「……と、とにかく、本人に確認を……」

「本人って誰なんです?」

「その……はっきりと名前は聞いていないのだが、大垣さんは『あんなに可愛らしいお嬢さんに、あんなに熱心に頼まれたら断れない』と……きみの将来のことでもあるし、だから、私たちはてっきり鏑木くんだと思い込んで……」

そのひと言で、美雪の置き手紙の意味は解けた。

どうすれば贖える

どうすれば償えると言うのか


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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