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社内事情〔65〕~収束~

 
 
 
〔片桐目線〕
 

 
 どう足掻こうが間に合わないことなんか、頭のどこかではわかっていた。

 それでも。

 それを考えるより先に、おれの足は動いていた。皆の手を振り切って。

 何か不思議な音が聞こえた気がしたが、何の音なのか確認出来ず……いや、そもそも本当に自分の耳が聞いた音なのか、それすら確証はなく。

 後ろから聞こえる声が、トンネルの中の音のように耳に響く。

 一瞬、ふわりと浮いてから落ちようとしている里伽子の姿が、スローモーションのように目に映った。

「…………っ…………!」

 次の瞬間、里伽子の落下予想地点に気持ちだけは到達したおれの視界を覆う、巨大な何かが広がった。

「………………!?」

 呆気に取られるおれの目の前で、その『何か』に里伽子の身体が吸い込まれて消える。

 例えるなら、超巨大エアバッグ、とでも言えばいいのか。それとも、トランポリン……マット……とにかく、そんなようなもの、に見えた。

「……里伽子……!」

 おれはそのエアバッグの波に飛び込んだ。予想通り内部にエアーを含んでいるらしく、生き物のように蠢くそれが纏わりつき、足を取られてなかなか進めない。掻き分けるのももどかしく、必死で里伽子の姿を捜した。

「里伽子!」

 はっきり言って、おれの方が溺れてるように見えるだろう。それでも手当たり次第に、纏わりつくそれを押し遣って進んだ。

「里伽子!どこだ!」

 急速に萎んで行く巨大エアバッグの隙間から、おれの目を掠めた何か。泳げない人間のように手足をバタつかせて近づくと、案の定、里伽子だった。

「里伽子!」

 抱え起こすおれを見上げ、驚いたような顔。

「……課長……」

「怪我は!?」

 おれの質問に首を振る。

「……大丈夫です。……びっくりしただけで……まさか、こんなスゴい代物だったなんて……」

 周りを見回して呟くその身体を思い切り抱きしめた。長い、しなやかな髪の毛に顔を埋めるように。

「……びっくりしたのはこっちの方だ……!……心臓が止まるかと思った……おれはそんな心臓が強くないって……言っておいただろう……!」

 情けないが、最後の方は泣き声に近かったかも知れない。里伽子の手が、ゆっくりとおれの背中に触れたのを感じる。やがて上着を掴まれた感触。

(……生きてる……生きてる……!)

 それしか浮かばない。力を緩めないおれの背中を宥めるようになで、里伽子はおれの耳元でこう言った。

「私も言ったはずですよ。私を信じてください、って……」

 思わず目を見開く。

「私は、確実に勝てるように外堀を埋め込んでから、勝負を掛けますから」

 自信ありげなその声と言葉に、ただただ脱帽だった。笑いしか出て来ない。やはり里伽子は、おれの上の上を行ってる。

 その時、大勢の声が重なって近づいて来た。

「片桐課長~今井さん~」

「課長!今井先輩!無事ですか!」

「……片桐課長~……里伽子せんぱ~い~……大丈夫ですかぁ~……無事ですかぁ~」

 おれは急いで上着を脱ぎ、里伽子に着せかけた。ほとんどエアーが抜けたエアバッグの隙間から手を振り上げ、駆け寄って来る皆に応える。

「おう!ここだ!」

 里伽子を抱えるようにして立ち上がると、皆がおれたちを取り囲むように集まった。後ろに専務の姿も見える。

「片桐くーん、無事だったかーい」

 いつもの調子の専務に、何故だか今日は少しだけほっとした……のに。

「まったく、もお……説明する間もなかったよ~」

 ……一体、何の説明だ?……そもそも説明しようとする素振りもなかっただろう。━━と。

「今井さ~ん。無事で良かった~。とんでもない目に遭わせてゴメンね~」

 おれの様子には見向きもしない(怒)。

「いえ……あの伝言だけでわかってくださって助かりました。こんなに完璧に用意してくださるなんて……まあ、ここまでスゴいものとは思ってませんでしたけど……」

(……伝言?里伽子は、雪村さんに専務への伝言も預けていたのか?)

 ……何となく面白くない。

 だが、人目も憚らずに不貞腐れるおれの目に飛び込んで来たのは━━。

「……社長……!」

 おれの声に、皆が一斉に振り返った。雪村さんに連れられ、車から歩いて来る社長を。放送が終わってすぐ、こちらに向かったらしく、場所を近くにしたのも正解だったようだ。

「……片桐くん、色々と世話をかけてすまなかった。……そして今井くん……私のせいでこのような目に遭わせ、本当に申し訳なかった」

 そう言うと、社長はおれたちに最敬礼をされた。

「……社長……そんな……」

 恐縮するおれたちに、社長が続けて何かを言おうとした時、これまた、いつの間にか強硬突入した警官?たちに連れられた流川の姿が目に入った。社長の視線が流川を追っているのがわかる。

 流川は面白くなさそうな、それでいて変わらない高慢な表情のまま、おれたちの方を少しも見ようとしない。どうやっても通じない社長の気持ちに、胸が痛くなりそうだった。

(……どんなに心を尽くしても、儘ならない事もあるんだな……)

 流川の中でも、もう変えようのない事なのかも知れない、とも思う。

 だが、その時、流川の視線が動いた。ほんの僅かに……そう、流川が視線を送っている相手は里伽子。意外な事に、里伽子を見る流川の目に、憎悪のようなものは感じられなかった。

 そして里伽子もそれを受け、何も言わず、いつもの表情のまま目線を返している。

(……そう言えば、ふたりは何をあんなに言い合っていたんだ……?)

 気になって仕方なかった。

 里伽子の放った言葉の何が、流川をあれ程に激昂させたのか。里伽子の後ろ姿を見下ろしながら考えるも、答はさっぱり浮かんで来なかった。

(……後で里伽子に訊けばいいか……まあ、答えてくれるかはわからないが……)

 やがて通り過ぎると、流川は再び顎を逸らしながら前を向いてしまった。そこで、いきなりおれは思い出した。確認したい事があったのを。咄嗟に声をかける。

「……流川!リチャードソン社長は無事なのか!?」

 チラリと目線をおれに向け、だが、何も答えずに促された車に乗り込んでしまった。

「……くそっ……」

 去って行く車が見えなくなると、専務がおれの方に向き直った。

「……さて……これから色々説明とか何やかやあるけど、とりあえず今日は、片桐くんはまず今井さんを病院に連れて行って、検査を受けさせて、何事もなければ送って行って、もうそのまま帰っていいよ。後の事はまた明日ね。今日は、ぼくがこのまま事情を説明に行って来るから。あ、藤堂くんは後始末頼むね。さて、皆、戻ろうか」

 そう言って皆を促すと、ゾロゾロと車に戻って行く。後には、現場を捜査している警官?たちの他は、おれと里伽子がポツーンと残されていた。

「……行くか……」

「……はい……」

 里伽子を車に乗せ、おれは専務の言いつけ通り、まずは病院へと向かった。

(明日から、また別の意味で忙しくなりそうだな……まだ知りたい事はたくさん残っているし……つーか謎だらけだな……)

 窓の外を見ている里伽子の横顔を眺めながら、今はとにかく、里伽子が隣にいるだけで充分だ、とおれは思った。
 
 
 
 
 
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