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社内事情〔16〕~本質~

 
 
 
〔朽木目線〕
 
 

 
 
 片桐課長の前に、例の『戸倉』と言う女性が直接現れた、と聞いたのは、課長が伍堂財閥の定例会に、2回目の代理出席をした翌週のことだった。

 その週の課長は、ほとんどの時間をその対策の打ち合わせに費やしていたように思う。専務室を行ったり来たりし、夜もほとんど専務と一緒だった。

 その間に、普段通りの業務をこなしている訳で。

 そんな課長を横目で見つつ帰宅するのは、いくらおれでも何となく気が引ける。おれが代われるものではないとわかってはいても、厳しい顔をしていることが多くなった課長を見ているのは少し苦しかった。

 そんな気持ちを抱えて帰宅する途中。

 「あら、朽木くん?今、帰り?」

 名前を呼ばれて目を向けると、今井先輩…………と、その後ろには藤堂先輩と雪村先輩。

 (うわ……すごいメンバーと鉢合わせてしまった)と内心、焦る。

 「あ、はい。課長に遅くなるから、今日はもう先に帰っていいと言われて……」

 おれの言葉に、

 「片桐課長は、今、大変なことを抱えてしまっているからね」

 藤堂先輩は眉をしかめながら言うと、すぐにいつもの穏やかな表情に戻り、

 「ぼくたち、これから食事をしていくつもりなんだけど、朽木くん、良かったら一緒にどう?」

 先輩らしい、爽やかでキラッキラな笑顔で続ける。

 (えっ!!!)

 おれは再び心の中で焦った。

 この面々と食事なんて……もちろん、色んな話を聞けそうで興味はメチャクチャある。……あるけど、かなりのプレッシャーでもある。

 「いや、あの、でも、せっかく同期の方々で水入らずでしょうし、お邪魔は……」

 微妙に引き気味の返事。いくらおれでも。

 「そんなことないよ。用事があれば別だけど、もし良ければ……ねえ?」

 あくまでも押しつけがましくなく、爽やかに女性陣に振る。女性陣も普通に頷く。

 おれは、藤堂先輩のその裏のなさは却って凶器だ、とつくづく思う。

 だけど、もしかしたらこんなチャンスは二度とないかも知れない。片桐課長抜きで先輩たちと話せる機会なんて。

 「……じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて……ご一緒させてください」

 おれにそんなに爽やかな笑顔向けられても困る、つーくらいに爽やかな笑顔で頷く藤堂先輩。

 どうやら、本当の本当にこれが地らしい。

 実を言えばおれは、藤堂先輩にもだけど、今井先輩に訊いてみたいことがあった。片桐課長がいるところでは絶対に訊けないことだけど。

 社の近くのイタリアンに入り、和やかに食事をしながら先輩たちの話を聞く。

 もっとも、主に喋っているのは今井先輩と藤堂先輩で、雪村先輩は所々を締めている感じ。

 今井先輩と話していると、藤堂先輩も結構、砕けた話をするらしいことに気づかされる。

 「ところで朽木くん、仕事はもう慣れた?」

 藤堂先輩がいきなり話を振って来た。

 「え……いや、まだ、そんな……。まだ今のところ、課長はそんな無理なことを振らないでいてくれるので、何とかこなしてる感じです」

 「いやいや。課長、きみのこと褒めてたよ。新人なのに使える、って」

 いや、嘘だろ。

 課長がおれのことそんな風に言うとは思えない。何か失言してはどつかれてる気がする。

 と、おれが返事に困って困惑しているのを読んだのか、

 「課長は直接は言わないかも知れないけど、朽木くんのことは本当に気に入ってるわよ。すごく目を掛けてる、って感じだもの」

 今井先輩がニヤニヤしながら援護射撃してくれる。

 「はあ……」

 「どうしたの、朽木くん。今日はおとなしいじゃない?」

 今井先輩が面白そうに、さらに追い討ちを掛けて来た。

 「え、そうですか?」

 おれ、このメンバーに挟まれて平気でいられるほど心臓強くない。

 「……何か気になることとか、困ったことでもあるの?」

 身に染みる、藤堂先輩の優しい言葉。

 (もしかして今が訊くチャンスか?)おれは考えた。

 「……困ったこととかではないんですけど……あの、藤堂先輩や今井先輩から見て、片桐課長はどんな人、ですか?」

 一瞬、先輩方は『達磨さんが転んだ』のように動きを止め、顔を見合わせるような仕草をする。そして━。

 「片桐課長は、人としても、上司としても、信頼に足る人、だと思っているよ。ぼくは」

 藤堂先輩は少し真面目な顔になって語り出した。

 「いくら実力があるからと言って、まだ若かった当事、いきなり係長に抜擢されたりして、周りからの圧力が何もなかったとは思えない。それでも、それを見せることなく認めさせた。そう言う人だから」

 根本先輩と全く同じことを言う藤堂先輩。では、今井先輩は?おれは視線を今井先輩の方に向け、思い切って切り出す。

 「……今井先輩。片桐課長は先輩だけの前でなら、本当の姿を見せるんですか?素の自分に戻って寛いだり出来ているんですか?」

 おれが課長と今井先輩の関係に気づいていたこと、には、何故か誰も驚いた様子を見せず、当然、慌てもしない。否定もしないし、嗜めたりもしなかった。

 藤堂先輩と雪村先輩は、黙って今井先輩の方に意識を向け、静かに返事を待っている。

 一点を見つめ、少し考える様子を見せた今井先輩は、やがておれの方に目線を戻して静かに口を開いた。

 「……社内で……特に朽木くんたちが見ている時の片桐課長が、本来の課長の姿、だと思うわ」

 今井先輩の返事は、おれにとっては意外なものだった。

 おれがただ驚いていると、先輩はさらに続ける。

 「私といる時の課長は、確かに休息はしていると思う。でも、それはきっと課長の本来の姿、ではない。課長が本当の姿を見せるのは『闘っている時』なのよ」

 「……え、でも……休息している時が素の姿、ではないんですか?」

 おれの疑問に、「違うわ」と今井先輩はキッパリと言い切った。

 「昔と今では……時代でかなり違うとは思うし、もちろん、個人差もかなり大きいとは思う。でも……」

 そこで一度言葉を止めた先輩。おれは今井先輩の次の言葉を息を飲んで待つ。

 「男の人の本質は『闘うこと』なのよ」

 その言葉に、藤堂先輩が静かに目線を落とした。

 「……少なくとも、私は、そう思ってる」

 おれは言葉が出て来ず、ただ、今井先輩の顔を見つめていた。

 思いもかけない展開になった先輩たちとの食事会。

 だが、この時の今井先輩の言葉を、おれは後々になって理解するようになる。
 
 
 
 
 
~社内事情〔17〕へ~
 
 
 
 
 
 
 
 

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