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社内事情〔59〕~伝言~

 
 
 
〔藤堂目線〕
 

 
「………………!」

 ぼくの意識が一瞬出遅れた。

(……しまった……!)

 だが、その一瞬前に、誰かが片桐課長を後ろから押さえ込んだ。両腕を課長の腕の下から通して。

 驚いたことに、それは根本先輩だった。

 その直後、ぼくが北条くんたちに目を向けた瞬間には、三人は一斉に動いていた。

「……っ……離せ……っ!」

 片桐課長の右腕を北条くんが押さえ、左腕には朽木くん、そして東郷くんに至っては、何と腰にしがみついている。

「……っ離せっ!!」

 ぼくは暴れる課長の前に走り、真正面から胸元を押さえた。

 背中を冷や汗が伝う。

 初めて遭遇した課長の姿。初めて見る顔。どんな交渉の時でも見た事がない、本当の猛き虎の……いや、片桐課長は豹だ。正に豹の目。

 この人を止める事が出来るだろうか。ぼくたちに。

「どけっ!藤堂!!」

「どきません!」

「……っ離せぇぇぇぇぇっ!!!」

「離しません!」

 大の男が五人がかりで必死だった。

 もし、根本先輩のあの一瞬の早さがなければ、ほんの一瞬でも遅かったら、北条くんたちが押さえる間もなく、それこそ一瞬でぼくたちは叩き伏せられ、突破されていただろう。

 それほどに片桐課長は腕が立つのだと、ぼくは前に同じ大学出身の中岡先輩から聞いたことがあった。もし課長が本気になる事があったなら、それは凄まじい戦闘力を発揮するのだ、と。

(本当にぼくたちで止められるだろうか……)

 五人を相手にしても抗う課長。ゾクリとし、鳥肌が全身を覆う。いや、何としても止めなければならない!

「……どけっ!……離せ……離せぇぇぇぇぇっ!!」

 周りにいる社員も、どうしたらいいのかわからずにオロオロしていた。片桐課長の形相と迫力に気圧されている。

「……離しません!課長をひとりで行かせる訳にはいきません……!」

 課長の目がぼくを睨み付けた。初めて向けられた目。きっと、今井さんのためにしかしないであろう。

 それでも、退く訳には行かない……!今、課長を行かせる訳には……!

 必死の揉み合い。少しでも油断すれば負ける。ぼくは力負けしそうになりながら、何とか声を絞り出した。

「……式見のためにも、そして何より今井さんを無事に救い出すためにも、ぼくたちは今、あなたを失なう訳には行かないんです!」

 『今井さんを救い出す』

 その言葉に反応したのかは定かじゃない。だが、一瞬、課長の力が弱まった。ぼくが目を開き、課長の目を見た、次の瞬間━━。

「………………?」

 ぼくと目を合わせた課長の視線が、微妙に動いてすり抜けた。ぼくではない何か、を見ている。そう、課長の視線はぼくの背後に向けられていた。良く見ると、こちらを向いている北条くんたちの目も、驚いたように瞬きを止めている。

 ぼくはゆっくりと振り返った。

「………………!」

 ミーティングルームの扉のところに立っていたのは静希だった。

 「……しず…………雪村さん……」

 彼女は一瞬だけぼくに目を向けると、すぐに片桐課長を真っ直ぐに見つめた。課長の視線も真っ直ぐに見返している。

 そして、彼女は躊躇う事なく真っ直ぐに歩いて来た。

 いつの間にか課長の身体からは力が抜けている。必死で押さえていたぼくたちも、誰からともなく、静希のために課長の周りを空けていた。

 向かい合って立った二人。真正面に立った静希は、その大きな瞳で課長を見上げた。

「……怪我はないか?」

 課長の問いに頷く。

 ━━と、突然、静希が頭を下げた。

「片桐課長……私だけが解放される事になってしまい、申し訳ありません」

 皆が固唾を飲んで展開を見守る中、一瞬、反応した課長は首を振る。

「何を言ってるんだ。とにかく無事で良かった。今回のこと、きみには一切責任はない。むしろ、社やおれたちの問題で、こんな風に巻き込んでしまって申し訳なかった」

 そう言うと、静かに頭を下げた。

「……片桐課長……」

 静希の呼びかけに顔を上げた課長は、いつも通りの課長に見えた。静希の前であるからにせよ、己を律する事を忘れてはいない。

 しばらく課長の胸元を見つめていた静希が、意を決したように顔を上げた。

「……伝言を……お預かりしています」

「………………!」

 課長だけでなく、その場にいた全員が息を飲む。誰からの、誰に対する伝言、であるかは明白だった。

「……聞かせてくれ……」

 課長が頼むと、静希がぼくを振り返った。じっと見つめる目が、課長だけに伝えたい、と言っている。ぼくは頷いて、北条くんと朽木くんに目配せした。

 ミーティングルームにいた全員が退室し、扉を閉じる。

「……大丈夫ですかね……片桐課長……また暴れたり……」

 誰かがポツリと呟くのが聞こえた。

「……大丈夫だ。どんな事があっても、何にもない女性に暴力をふるうような人じゃない」

 中岡先輩の言葉に、ぼくもその通りだと思った。

 全員が扉の外に何となく集まり、黙ったまま数分。実際には5分程度だったはずだが、一時間のようにも感じられた。やがて━━。

 静かに扉が開いた。視線が集中する。

 姿を現したのは静希だった。ぼくの視線に気づき、小さく頷くと扉の前を空ける。

 静希の後ろから現れたのは、本当に全くいつもの『片桐課長』だった。さっきまでとは、目がまるで違う。

(……一瞬であんなに……一体、どんな伝言だったんだろう……?)

 気にはなったが、静希のことだ……話してくれることはないだろう。

「藤堂」

「……は、はい」

 突然、呼ばれて焦るぼくに、課長はいつもの自信に満ちた目で言った。

「社長の生放送、いつでも出来るように準備しておいてくれ。社長にも、常に動けるようにしておいてもらうから」

「は、はい……!」

「頼んだぞ。おれはこれから、二日後のために最後の根回しに回る」

 自信に満ちた目で力強い言葉を残し、課長は北条くんを連れて大部屋を出て行こうとし、何かを思い出したように途中で振り返る。

「……その前に、雪村さんを送って行け……いいな?」

 そう言って、今度こそ出て行った。
 
 
 そして二日後、ぼくたちは流川麗華にではなく、今井さんに度肝を抜かれる事になる。
 
 
 
 
 
~社内事情〔60〕へ~
 
 
 
 
 
 
 
 

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