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かりやど〔四拾壱〕

 
 
 
『 も う も ど れ な い 』
 
 

 
 
悔やんでも悔やみ切れないなら
 
いっその事……
 
 

 
 

 昇吾が戻らぬまま、美鳥が副島の元に行く日がやって来た。
 『迎えに行く』と言う小半と、『送って行く』と言う朗、その双方の申し出を断り、美鳥はタクシーに乗り込んだ。もちろん、伊丹を始めとした親衛隊のメンバーが張り付いてはいる。
 
 玄関先から先の見送りも断る美鳥に、朗はなかなか手を離そうとしなかった。見上げる美鳥を見つめる目に、隠し切れない不安が顕になる。
「大丈夫だから」
 美鳥はそう言って背伸びした。朗の首にぶら下がるようにして口づける。
「……待ってて」
 自信ありげに笑い、朗の手をほどくと玄関の扉の向こうに姿を消した。
 
 不安気に立ち尽くす朗を、ひとり残して。
 

 
 タクシーの中で美鳥は、流れる景色を眺めながら頭の中を整理していた。
(……副島は私の知りたい事に答えるだろうか……)
 それが一番重要であり、難関でもある。
(……いや……答えさせなければ)
 美鳥の瞳は、強い意志を湛えているようでいて、反面、何も映していないようでもあった。まるで、周りを見ることすら拒否していた時のように。
「……昇吾……」
 呟いた時、車は副島に指定された店の前に停まった。
「こちらで宜しいですか?」
 タクシーの運転手に訊かれ、美鳥は頷いて料金を支払うと、敵陣へと足を踏み入れた。
 
 副島が待つ部屋に通されると、そこには豪華な会席が設えられていた。しかし、あまりにわかりやすいシチュエーションに笑いが洩れそうになる。
(……なるほど。あの後ろの襖を開けると、時代劇よろしく臥所になってる、と)
 笑いを噛み殺しながら座ると、真正面から美鳥を見据えた副島が手を叩いた。廊下に控えていたのであろう、仲居たちが膳を捧げて入って来る。
「……ま……ひとつ……」
 副島自ら一献注ぐと、互いにほとんど口を開かずに場が進んだ。時折、目で副島の顔を窺いながら、美鳥も黙って箸を運ぶ。
「私は先に離れに行っている。きみは少し休んでから来なさい」
 そう言い残し、副島は部屋を出て行った。
(……離れ……)
 奥の襖は関係なかったのか、と少々気が抜ける。
 しかし、ああ言われては仕方ない。30分程度、腹をこなし、美鳥は仲居に案内されて離れの扉の前に立った。
 
「……失礼致します」
 しゃがんで襖を開けた美鳥を、副島は脇息に片腕を預けて待ち受けていた。
 美鳥の顔を見ると、目で入るように促す。会釈をして入った美鳥は、副島の正面に座り、背を伸ばした。
 無言のままの副島が美鳥の目を見つめる。美鳥も、臆する事も怯む事もなく視線を受け止め、そして返した。
「……話を聞こうか」
 唐突に副島が切り出した。
「……はい……?」
 意味を掴みかねて訊き返す。逸らすように目を伏せた副島が、再び視線を上げた。
「……私に話があるのだろう?」
 その言葉の真意を受け、美鳥の目も窺うように上目遣いになる。
「きみが私に近づいたのには、何か理由があるだろう……?……人には言えないような……」
 気づかれていたのか、と思いながらも美鳥は心中で笑っていた。副島のような立場であれば、あり得ない事もない。しかし表面上は変わらない顔で訊き返す。
「……何のお話でしょうか?私は今日、恐れ多くも先生のお傍に上がるために参りましたが……」
 副島の目が光を帯びた。その眼光に、今まで何人もの人間が心酔し、反発し、恐れを抱いて来たのであろう事は想像出来た。
 それでも怯まず、目を逸らさない美鳥に、副島がゆっくりと手を差し出す。一瞬の間の後、美鳥は傍近く寄り、自分の手を預けた。その途端、美鳥の手を握った副島が引き寄せる。
「………………!」
 体勢を立て直すと、間近で副島の目が美鳥の顔を見つめていた。だが、美鳥はその目の中に、自分を女として見ている色がない事に気づく。
(……何……?)
 逸らした方が負け、とでも言うように互いの目を凝視しながら、やはりそれ以上の事をして来る気配は感じられない。
「……では、私の方から訊こう……」
「………………?」
 この状況に於いて、副島の台詞に対して浮かんだのは、自分の正体がバレたのか、くらいであった。同時に、松宮の親衛隊がバレるような処理をしたとも思えなかった。
 副島が言わんとしている、あらゆる事例を予測しながら、美鳥はあくまで無表情を貫く。
「……夏川美薗、と言う名はきみの本名ではないな……?」
 副島の目を見遣り、ほんの僅かな間の後、美鳥は口角を上げながら口を開いた。
「……私の名は夏川美薗です。住民票でも戸籍でも調べて戴ければおわかりになるかと思いますが……」
 探り合い、隠し合う視線。互いの声と呼吸以外の音は掻き消え、もしそこに第三者がいれば耐え切れないほどの緊迫感が部屋中を圧迫する。
「……訊き方を変えよう……西野美薗……と言う名ではなかったのかな……?……以前……」
「…………は…………?」
(……西野……美薗……)
 訊き返しながら脳裏で復唱した。その『名』を。
(……西野……みぃの事?……何故、副島がみぃの名前を知っている?そして何故、私を彼女だと思っている?)
 感情を表さない表情のまま、美鳥は思案する。何故、ここで彼女の名前が出て来たのか。
「……何故、私がその西野美薗、と言う女性だと?」
 副島が静かに目を伏せた。その表情は厳しく、だが、苦し気でもあり、自分の中から何かを掘り起こそうとしているようでもあった。
「……きみは西野美薗ではないのか……?」
「違います。……その女性は先生とどんな関係がおありなのですか?」
 美鳥の即答を聞き、副島は深く息を吐き、強く瞑目した。
「……西野美薗は私の娘だ……」
「………………!」
 さすがの美鳥も驚愕する。顔に出さないで済んだだけ大したものであろう。
(……みぃが副島の娘!?庶子と言う事!?……いや……)
 そんなはずはない、と美鳥は思った。庶子扱いであるならば、しっかりと戸籍に載る。本多たちが見逃すはずはないと。
 一見、何の動揺もない美鳥の様子に、副島は『美鳥=西野美薗』の図式を自らの中でも棄却したらしい。腕を掴んでいた手の力を弛めた。
「……『美薗』と言う名はクラスにひとりはいる、と言う名ではなかろう……だから、もしや誰かの養女にでもなった、と思ったのだが……」
 正確には、副島の考えは外れていない。ただし、あの事件がなければ、『美薗』が夏川の養女になる事もなかった訳だが。
「……何故、今なんです……?」
 美鳥の問いかけに目を開ける。
「……その確認、何故、今頃になって……」
 再び、副島は目を閉じた。その顔には酷く後悔の念が滲んでいる。
「……見つけられずにいたのだ……つい、最近まで名前すら……だから、もしや私が父だと知って、例え物申しにであれ、会いに来てくれたのかと……」
『そんな人間臭い事を!』
 叫びそうになり、必死で抑えた。
「……母親共々行方が知れず、漸く、思いつく限り、一番安全で優良な施設にいると突き止めた時には遅かった。運営者が変わっても優良な施設のままであるが故に、入所者の情報は決して洩らさなかった。何とか調べようとしたものの、どこかに養女にでも出されたのか……再び行方がわからなくなっていた。もしも、もっと前に、あそこに預けられている事を知っていたら……」
 その言葉を聞いた瞬間、美鳥は口元に薄く笑みを浮かべた。副島の手を払い除けて飛び退き、距離を取る。
 その動きに驚いた副島に、不敵な目を向け、そして問う。
「……知っていたら……?」
 何も答えない副島。
「……何としてでも止めた、のに……?」
 副島の目が驚愕に見開かれた。美鳥の顔を凝視したまま微動だにしない。
「……きみは……」
 美鳥は肩で大きく息をした。整えるように。
「……良いこと教えてあげるよ……」
「…………何…………?」
 訝しむ副島に、当て付けるように微笑んだ。
「……あんたの大事な美薗は……」
 『美薗』の名に反応した副島に、美鳥は勝ち誇ったように言い放った。
「死んだよ!爆発に巻き込まれ、炎にまかれ、黒焦げになってね!」
「………………!」
 息を飲み、腰を浮かした副島に、尚も美鳥は続けた。
「死ぬはずじゃなかったのに……他人の身代わりになって……挙げ句の果てに、その他人の遺体として処理されてしまったよ!」
 彫像のようになって聞いていた副島が、呆けたようにその場に崩れる。
「あんたがあいつらを止めていれば、あんな風に死ななくて済んだ!他人の遺体にされる事もなかった!……何故、止めなかった!どんな手を使ってでも、あんたには止められたはずだ!なのに、何故……!」
「……あんな風に……?」
 ふと気づき、呟いた副島が美鳥を見上げた。
「……きみは誰だ……?……何故、美薗の事を知っている……いや、『あの事件』の事を……」
 目をしかめた美鳥が唇を震わせた。
「『事件』なんかじゃない……!……あれは殺人……虐殺だ……!」
 ただ呆然と美鳥を見つめる副島に、美鳥が艶然と笑いかける。壮絶な美しさを湛えたその迫力に、さすがの副島も慄いた。
「……お久しぶり、副島さん?」
「………………?」
 唐突な挨拶の言葉に、副島が警戒を示す。
「……私は美鳥……松宮美鳥……」
 瞬間、副島の目が飛び出さんばかりに見開かれた。信じられないもの、あり得ないものを目撃したかのように。
「……陽一郎くんの……では……」
「みぃは……美薗は私を呼びに来て屋敷に入り、爆発に巻き込まれて、そして、私の遺体として処理されてしまったよ……!」
 一方的に美鳥は続けた。
「あんたは知ってたはずだ……あいつらがやろうとしていた事を……そしてあの晩、父が発表しようとしていた『重要事項』を……それが開示されれば……」
 唇を噛む。
「……あんな事をしなくても全て終わったのに……!あんたの『四天王』が唆されたりしなければ……!」
 副島が力なく項垂れた。
「何故、止めなかった!あんたにはその力があったのに!止める力があったのに止めなかった、あんたもあいつらと同罪だ!」
 返す言葉もないのか、ただ不運な死に方をした娘を儚いでいるのか。副島は項垂れたまま、身動きひとつしなかった。
「……あんたが止めてさえいれば……こんな事には……」
 洗いざらいぶちまけたのか、そこで美鳥の言葉も止まった。
 無言のまま、数秒。
「……あいつは……黒沼のところにいるんでしょ……」
 沈黙を破り、美鳥が訊ねた。
「……そうだ……」
 その返事を受け、美鳥は立ち上がった。
「……今、あんたを殺しはしない。だけど、いつでも、どこからでも、必ず見ている。あんたが苦しむ様も、もがき、足掻く様も……せいぜい、悔やむがいい」
 
 言い残し、美鳥は窓から身を躍らせた。
 

 
 後に残された副島は、項垂れたまま呟いた。
「……あれが大奥さまの……冴子さまの…………道理で懐かしい面影を感じたはずだ……言われるまで気づかなかったとは……」
 漸く立ち上がり、共の者を呼ぶと、力なく帰路に着いた。
 
 一旦、執務室に寄ると明かりが洩れている。今回、敢えて連れて行かなかった小半が、まだ仕事を続けていた。
「小半」
 呼びかけに驚いて振り向くと、慌てて立ち上がった。
「……先生!お帰りに気づかずに申し訳ありません」
 書類を揃えながら恐縮する小半に目を細める。
「いや、そのままで構わん。遅くまでご苦労だったな」
「てっきり今夜はお泊まりだとばかり……」
 余計な事を言った、とばかりに尻すぼみになる声。
「小半」
「……は……?」
 小半が一瞬身構える。
「……すまん……」
「……先生……?」
 窘められると思っていたところに、いきなり謝罪の言葉。驚いて首を傾げる。
「あの娘……未来に於いてもお前に添わせるのは無理になりそうだ……すまん……」
(……あの娘……夏川さんの事か……?今夜、何かあったのか!?)
 不思議に思って更に首を傾げた。
「……直に……お前にもわかるだろう……あの娘の事が……」
 副島がポツリと呟いた。
「先生?」
 小さく首を振った副島が顔を上げる。
「……疲れた。今日はもう休む事にする。お前ももう休みなさい」
「はい。それでは先生、失礼します」
 小半の挨拶を受け、副島は引き上げて行った。
 
 見送った小半の中には、疑問だけが残された。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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