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かりやど〔拾八〕

 
 
 
『 も う も ど れ な い 』
 
 

 
 
最後に聞こえた声
最後に聞きたかった声

記憶に留めたいのは
 
最後に呼びたかった名前は
最後に浮かんだその人
 
 

 
 

 夜会が始まる直前──。
 
「春さん?何やってるの?」
 ごちそうの一部を重箱に詰めている春さんを、飲み物を貰いに来た昇吾が見かけて声を掛けた。
「あ、昇吾さま。旦那様から夏川先生にも食事を届けて差し上げるように、とのことでしたので……」
 見れば、大きな重箱に大量に詰めている。しかも、五段もある立派なものである。
「……え……これ、春さんが運ぶつもりなの?この量を?」
「……無理でしょうかねぇ……?」
 無理とは言わないまでも、傍から見るとどう考えても大変そうには思える。昇吾は時計を見た。
「春さん。ぼくが一緒に運ぶよ。ちょっと待ってて」
 そう言って、美鳥のところへ急くと、会場に入るギリギリで間に合って声を掛ける。客への挨拶が終わり次第、夏川のところに来るよう伝え、キッチンに戻った。
 いざ、春さんが綺麗に料理を詰めた重箱を、風呂敷に包んで持ち上げてみる。
(……いや、これは、春さんじゃ大変だろう……)
 昇吾は苦笑した。もちろん、昇吾にとってはそれほど苦ではないのであるが。
「申し訳ありませんねぇ、昇吾さま」
 小さい方の包みを抱えた春さんが、本当に申し訳なさそうに言うのを聞いて昇吾が笑う。
「全然!でも、これじゃ、先生どんだけ食うんだ?って思ったよ」
「あれもこれも、と思ったらこんなことに……」
 笑い合いながら医師たちが滞在している宿舎に着くと、夏川が大喜びでふたりを迎えた。
「これは嬉しいなぁ。昇吾さまに運ばせてしまって申し訳ない」
「いえいえ、大した距離じゃないですし」
 すると、テーブルに重箱を並べながら、春さんが夏川に訊ねる。
「先生、お酒はどうされます?」
「春さんの料理と来たら飲みたいところだけど、パーティーの最中に具合が悪い客なんか出たら困るからやめときますよ。冷たいお茶ください」
 残念そうに、しかし笑いながらの返事。
 昇吾もお茶をもらいながら、春さんの料理を一緒につまむ。
「ところで、昇吾さまはパーティーには出なくていいんですか?」
「……ええ、まあ……。ウチの母親も来てますから……」
 言いにくそうな昇吾に、夏川が顔を翳らせた。
「それに、これから美鳥に付き合って花火大会に行くんですよ。え~と、ホームのあの子……みぃ?って子と約束したとかで。ふたりで行くとか、とんでもないこと言い出しますからね、あいつ。危なくてしょうがない」
「なるほど。ナイトご苦労様です。美鳥さまと関わっていると、悩む暇もありませんね。良いことです」
 今度はクククと堪え笑いをする夏川に、昇吾は苦笑いする。
「ホントですよ」
 夏川もお茶を片手に、春さん自慢の料理をつまみ出した。顔が幸せにほころぶ。
「……うまいっ!やっぱり春さんの料理は最高だなぁ」
 嬉しそうに笑う春さんもお茶を手に腰掛け、三人はしばし談笑に興じた。
 

 
 部屋に戻った美鳥は、着ていたパーティー用の服を脱ぎながら時計を見た。予定より少し遅い。
「あちゃ~……きっとみぃが待ってる。早く行かなくちゃ」
 半袖のシャツとホットパンツに着替え、サンダルに履き替えた。──と。
「……あれ?」
 軽い目眩。タンスに手をついて身体を支える。
「わぁ~……シャンパンなんて飲んだのがいけなかったのかなぁ?ほんの二口くらいなのに……まずいまずい」
 頭を振って水を飲み、深呼吸してそのまま2~3秒。
「うん!大丈夫!」
 ひとり頷き、ベランダからテラスに出て庭を突っ切る。そうした方が、夏川のところまでの近道なのだ。
 その時、美鳥が茂みに入り込むのと入れ違いに、庭を回って来た人影が彼女の部屋の前で立ち止まった。迷っているかのようにウロウロしている。
 やがてその影が、テラスから屋敷内に入り込んだことに、もちろん美鳥は気づいていなかった。
 
 だが、その美鳥は、茂みを数歩進んだところで、再び原因不明の目眩に襲われていた。立っているのが困難な程にフラつき、目の前にあった木に倒れ込むように掴まる。
(……何、これ……?……お酒のせい?……でも初めて飲んだ訳でもないのに……)
 次いで、強烈な吐き気。
(……やだ……どうしよう……昇吾たち待ってるのに……動けない……どうしよう……気持ち悪い……)
 胸を押さえ、前屈みになったその時──。
 美鳥の鼓膜を、強烈な爆発音が貫いたかと思うと、視界がオレンジ色に染まった。吹き上げる炎、あちこちから聞こえる爆発音、屋敷が一気に炎に包まれて行く。
 木に凭れたまま、美鳥は自分の目が何を見ているのかさえ理解出来ずにいた。
(……何……?……何、これ……?……うそ……うそ……夢だよね……?……父様……母様……)
 掴まった腕で身体を真っ直ぐに起こそうとしても、力が入らずに震える。目眩で震えているのか、恐怖に震えているのかさえわからない脚。
「……と、父様……かあさ……」
 そこまで声に出すのが精一杯であった。平衡感覚を失った身体は、重力のままに地面に倒れ伏す。視界が回り、天地さえわからなくなりそうだった。
「………………と………う………」
 屋敷の方に向かい、必死に腕を伸ばす。回る視界が次第に滲んで行くのを感じながら。
(……誰か……助けて……昇吾……昇吾ぉ……助けて……父様と母様が……)
 目を開けていることさえ出来なくなりながら、それでも瞼の裏を焦がす強烈なオレンジ色の熱風。繋ぎ止める意識の片隅、数人の声と急ぎ足の音が聞こえる。
(……誰か……助けて……父様と母様……助けて……)
 だが、声を絞り出そうとする美鳥の耳に聞こえたのは──。
 
『……──の言う通りに行きましたな』
『しかし──はこの件に反対されてましたからな……お叱りを受けるようなことは……』
『いやいや、結果的にはいずれ──のためにもなること。──にも──にもご納得戴けるでしょう』
『それもこれも頑ななご当主の責任。これからの日本のためです。致し方ありますまい』
『それよりも、思ったより火の廻りが早い。我々も早いところ引き上げましょう』
『さ、──殿。急ぎましょう』
 
 遠くで響くように聞こえた声は、確かにそう言っていた。
(……何……?……何を言ってるの……?)
 そして──。
 
『……これでやっと、──は私のものに……』
 
 最後に聞こえた声。
(……今の声は……?)
 そこが意識を引き留められる限界地点だった。
(……昇吾……昇吾………………助けて……)
 意識も、そして身体も闇に吸い込まれて行く。
「…………ろ……う…………」
 
 美鳥の意識はそこで完全に途切れた。
 

 
「それにしても、美鳥のやつ遅いな」
 春さんの料理を口に放り込みながら、昇吾は時計を見た。予定より遅れている。
「ホームで道草でも食ってるのか?……やれやれ、ちょっと様子でも見て来るか」
 昇吾が立ち上がると、春さんも一緒に立ち上がった。
「私もそろそろお屋敷の方に戻らなければ……先生、重箱は明日取りに参りますね」
「お、春さんも帰っちゃうんですか。まあ、まだパーティーも続いてますしね。食べ切れなかった分は他の皿に移して、また明日にでもゆっくり戴きますよ」
「そうしてくださいまし」
 夏川も見送りのために玄関へと向かう。三人が玄関の外に出た、その時──。
 地面に響き渡る爆音。
「……な、何だ!?花火にしちゃあ……」
 夏川の言葉に、
「先生!あれ!」
 昇吾が指を指す。
 木々の向こうに立ち昇る炎。小刻みに聞こえる爆発音。
「松宮の屋敷が!」
「だ、旦那様……!奥様たちが……!」
 夏川の驚愕の声に、春さんの悲痛な声。
「……美鳥……!美鳥がまだ屋敷に……!…………美鳥!!」
 叫んだ昇吾が屋敷の方に向かって駆け出した。
「いけない、昇吾さま!危険です!行ってはダメです!!」
 夏川が止めるも、昇吾はあっという間に駆けて行く。
「昇吾さま!ダメだ!戻ってください!」
 遠くに夏川の叫び声を聞きながら、昇吾は屋敷に向かってひた走った。
(……嘘だ……!母さん……伯父さん……義伯母さん……美鳥!美鳥!!)
 走りながら、昇吾の耳は走って来る車の音を捉えた。胸に湧き上がる、何か嫌な予感。昇吾は本能的に木の陰に身を隠して様子を窺った。方向的にも、屋敷から出て来た車であることは間違いない。
(……屋敷がこんな事態なのに、見向きもしないで去ろうとしている?)
 怪しさだけが募る。
 一体、誰なのか?薄暗い中、通り過ぎようとする車の様子を窺い、陰になった車内に目を凝らした。
(……あれは……?)
 当然、顔は見えない。見えないが、どこか見覚えのあるシルエット。知っている人間である感覚を拭い去れない。その記憶を手繰り寄せるべく、昇吾の脳裏を過去が駆け巡った。
 ──が、すぐに我に返る。
「…………!…………美鳥……!」
 昇吾はそのまま茂みの中へと入って行った。ここを通って行けば庭を突っ切れる。美鳥の部屋の前に、最短距離で出ることが出来るのだ。ちょうど美鳥が夏川のところに向かおうとした道を、昇吾は反対側から駆け抜ける。
 茂みの隙間から見えて来た屋敷は、既に全体が炎に包まれ、夜空を赤く焦がしていた。茫然とする昇吾。
「……どうして、こんな……あの爆発は一体……」
 更に進もうとした瞬間──。
「………………!」
 木の根元に倒れる人影。
「美鳥!」
 駆け寄って抱き起こす。
「美鳥!美鳥!!しっかりしろ!美鳥!!」
 夏だと言うのに、美鳥の身体は冷たい汗で冷え切っていた。色白の顔は土気色になり、呼び掛けても触れても全く反応がない。心臓を掴まれたような恐怖感が昇吾を襲った。
「美鳥!」
 口元に耳を寄せると、本当に消え入りそうに微かな呼吸音。
(……生きてる!)
 昇吾は美鳥を抱き上げた。
「……美鳥、しっかりしろ!大丈夫だそ!今、夏川先生のところに連れて行ってやるからな!」
 反応のない美鳥に必死で声を掛けながら、昇吾は軽い身体を担ぎ、元来た道を取って返す。
 走りながら、昇吾の頭の中には既に美鳥のことしかなかった。母親のことも、伯父たちのことも全て抜け落ちて。
 宿舎が見えて来ると、他の医療スタッフに指示を飛ばしている夏川の姿。
「……ホームの子どもたちを頼む!怯えているかも知れないからしっかりケアを!」
「はい!」
 数人のスタッフが駆けて行く。そこに昇吾が叫んだ。
「夏川先生!!」
 昇吾の声に反応し、夏川が振り返る。
「昇吾さま!良かった!ご無事でしたか……っ!……み……美鳥さま!?」
 昇吾に抱かれた小さな身体を見た瞬間、夏川はそれが美鳥であることをひと目で認識した。血相を変えて昇吾に駆け寄る。
「美鳥さま!一体……!」
 昇吾の腕の中にいる美鳥の顔を見た瞬間、夏川の顔色も変わった。瞳孔、呼吸と脈の確認をすると、顔を近づけにおいを嗅ぐ。
「……これは……何かの中毒症状を起こしている……」
「中毒!?一体、何の……!?」
 夏川が中に昇吾を促しながら答えた。
「薬物と……あと恐らくガスも吸ってます。ここの設備じゃ間に合わない……応急手当だけして移動しますよ!」
 近くにいたスタッフに薬剤と機材の指示を出し、応急処置を済ませる。美鳥に吸入器を装着し、身体を毛布で包むと昇吾に告げた。
「昇吾さま、美鳥さまの身体を出来るだけ冷やさないように……ああ、ただし、ひどく身体を揺すったりしないでください」
「……わかりました!」
 美鳥を抱いた昇吾が車に乗り込むと、夏川は動転している春さんのことも、一緒に車に押し込むように乗せる。
「行きますよ!」
 車をとばし、夏川は自分のホームグラウンドである施設へと急いだ。
『美鳥さまのことを知られない方がいい』
 何故か、夏川の中の本能のような、勘のようなものが、救急指定の大病院ではなく、そちらに向かわせたのである。
 夏川たちは、予め連絡を受け、全ての準備を整えて待ちかねていたスタッフに迎えられた。
「先生……!美鳥を……!」
 声を震わせる昇吾に力強く頷き、夏川は美鳥を治療室へと運び込むよう指示する。ここから先は、昇吾と春さんはひたすら待つしかなかった。
「…………美鳥…………!」
 治療室の前で椅子に腰掛けて手を組むと、神でも仏でもいい、と昇吾は祈る。隣では春さんも組んだ手の上に顔を伏していた。
(……伯父さん……義伯母さん……美鳥を守ってやってください……)
 
 何が起きているのかもわからないまま。
 これからどうなるのかもわからないまま。
 自分たちの明日など知る由もなく。
 
 昇吾の長い闘いの始まりであった。
 
 
 
 
 
 
 
 

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