見出し画像

かりやど〔弐拾〕

 
 
 
『 も う も ど れ な い 』
 
 

 
 
どんなことをしても
守りたいのに
 
共にいることが
それを妨げると言うのなら
 
どうすればいいのか
 
 

 
 

 美鳥の意識が戻ったことで、昇吾の心も漸く落ち着きを取り戻しつつあった。
 
 詳しい検査の結果、美鳥の視神経や声帯などの器官には、特に異常は見られなかった。つまり、目が見えないのも声が出ないのも、極度の恐怖やストレスによる一時的なものであろう、と言うのが夏川の見立てである。
 当初、昇吾以外の人間には怯えて逃げようとする美鳥であったが、辛抱強い対応によって次第に周囲に慣れて来ていた。先に声をかければ大丈夫な程度には。
 少しずつではあるが、確実に回復していることが目に見え、それが皆の希望へと繋がって行った。
 
 そして、そんな中で昇吾は、合間を見つけては様々な勉強を始めていた。夏川自らも家庭教師となるところは、さすがに医師、と言えるであろう。
 加えて、ふたりは『現在の状況』『松宮の事件の正しい情報』『今後のための情報』を重点的に集めることも忘れなかった。
 夏川の計らいで、会計士の佐久田とも連絡を取ることも出来、松宮家が実質的に解体した現状、更に思いもよらない話まで得ることになる。
 その話をするに当たり、佐久田は昇吾に直接会いたいと申し出た。そして、その折りに昇吾に紹介したい人物がいると。
 外部との接触──それを極力避けている現状に於いて、夏川は迷った。だが、昇吾自身が望んだこともあり、佐久田がその人物を連れて出向いて来ることで合意する。
 
 当日──。
「昇吾さま!お久しゅうございます!ご無事で何よりでした」
 ひっそりとやって来た佐久田は、目を潤ませて昇吾に駆け寄った。
「佐久田さん、お久しぶりです。ご心配をおかけしました。……でも、このことはまだ父には……」
「承知しております。お気の毒ではありますが、下手をすると緒方社長にも害が及びかねませんからね」
 さすがと言おうか、松宮の一翼を担っていただけのことはある。夏川と言い、佐久田と言い、状況の熟知と判断は早かった。そして、佐久田の後ろに、影のようにひっそりと佇むひとりの男。
「……昇吾さま。まずは紹介致します。こちらが本多(ほんだ)です。……ああ、本名ではありませんが、呼ぶ時には本多、とお呼びください」
 昇吾の視線を感じた佐久田が紹介する。
「はじめまして、昇吾さま。佐久田様の仰るように、私のことは本多とお呼びください」
「……はい」
 静かでありながら、全く隙のない本多と言う男。昇吾は緊張した面持ちで頷いた。
 
 佐久田の話によれば、松宮家は代々親衛隊とでも言う、一種の諜報機関のようなものを抱えていたらしい。本多と言う男は、調査・その他諸々の処理などを行なうその集団の、現リーダーだと言う。
「陽一郎さまは……そう言った者を使うことを良しとされず、基本的に反対されておられました。人を道具のように使うなんて、と良く仰られて……それが今回、仇となってしまった訳ですが……」
 本多の表情が陰を帯びた。
「……陽一郎さまらしいな」
 本多の言葉に夏川も俯く。
「しかし、松宮財閥が解体しても、私たちの役目は終わった訳ではありません。私たちには戸籍上の存在は関係ありません。松宮の血が続く限り、私たちの存在意義はなくならないのです。……美鳥さまと昇吾さまがいらっしゃる限り」
 本多は強い意志のこもった目で言い切った。
「現状に関しては、佐久田様の方から……」
 佐久田の方を向き、説明を促す。
「あの事件が起きる直前、私は陽一郎さまの言いつけで、財閥解体の体裁を整える程度の資金を残し、その他の松宮の資産を全て動かし終えました。今、あの資産の持ち主は『敷島みどり』さま、つまり、美鳥さまのために作った別の戸籍上の人物です。そして、その資金の出所が松宮財閥であると言う証拠は一切残していません」
「……ちょっと、待て。それってぇと、つまり……陽一郎さまは今回の件、ある程度予測されていた、と言うことか?」
 夏川が驚きの声を上げた。
「……恐らく、な。まさか、あんな風に根絶やしにされるとまでは考えておられなかったかも知れないが、ある程度の危険を察知しておられたのは間違いないだろう。いざと言う時、最低限、美鳥さまだけは守られるように準備されていたんだ」
 昇吾は三人の話に声も出せないでいた。あまりにも現実離れした、昇吾の予想範疇を遥かに超える話に、脳がついて行かないでいる。
 それも無理ないことで、本当なら昇吾はまだ高校生なのだ。それでも、必死に食らい付こうとする気概を読み取ったのか、本多が昇吾に真っ直ぐな視線を向けた。
「昇吾さま。昇吾さまには、我々を自在に操る術を身に付けて戴きたいのです」
「……え……?」
「本来であれば、これは美鳥さまのお役目です。しかしながら、今の美鳥さまの状況では、それはあまりに難しいことはわかっております。それでも、周りの状況を掴み、動き、対処するには手足が必要です。何より、一刻も早く真犯人を見つけ、昇吾さまたちの安全を確保するために……我々が動くためには頭が必要なのです」
 正直、昇吾にとって荷の重い話だった。だが、美鳥以外に松宮の血を引く者は、もう自分しかいないことも事実である。何より、真犯人を見つけるために必要であるならば、やらざるを得ない。
「……わかった。努力する」
 本多は静かに頷き、そして付け足した。
「……そうそう、昇吾さまのお従兄弟君……小松崎家の二番目のご子息が密かに動き始めておられますよ。貴方様が生きているのなら助けたいと思われているようで、情報収集をされています。高校生ながら、なかなかのもの……さすが小松崎と緒方のお血筋ですね」
「朗が!?」
 本多のその言葉は、昇吾にとって何よりも心強いものだった。例え二度と会える日が来なかったとしても、もし可能なら伝えたい。自分も、そして何より美鳥も無事であると言うことを。
 嬉しげな顔の昇吾に頷きつつ、本多は続けた。
「そして、美鳥さまと昇吾さまには、既に仮の戸籍も用意致しました。省吾さまは『新堂龍樹(しんどうたつき)』と言う名前をお使いください。詳細はこちらの書面にありますので覚えてください。そして美鳥さまは……」
 そこで夏川の顔を見る。
「……夏川先生の養女としてお迎え戴きたい」
「えっ!?おれの!?」
 驚愕する夏川。驚き過ぎて一人称までが変わっている。
「……事件の折、松宮邸で美鳥さまと思しき遺体が発見されたと言うニュースはご存知ですね?」
「……あ、ああ……不思議だと思っていたが……」
 昇吾と夏川は顔を見合わせた。
「あの遺体はホームにいた西野美薗、と言う少女です」
「……西野美薗……?それって、もしかして……みぃ!?」
 昇吾が叫んだ。
「そうです。どうやら屋敷に忍び込んで巻き込まれてしまったようで……現在、ホームでは行方不明扱いとなっています。ですから、彼女を夏川先生との養子縁組と言う形にすれば、美鳥さまに『敷島みどり』とは別の戸籍を用意出来ます」
 残酷な話であった。美薗にとっても、美鳥にとっても。本当にそこまでしなければならないのか──即決出来ずに昇吾は俯いた。
「わかりました」
 だが、夏川の判断は早かった。昇吾は夏川の顔を見上げる。
「私には異存はない。美鳥さまにとって一番いいと思う方法を取ってください」
 佐久田と本多が頷いた。そして、本多はもう一度昇吾に目を向ける。
「……昇吾さまには、相当なご負担をお掛けすることになると思いますが……」
「……仕方ない。降りかかる火の粉は払わなければならない」
 昇吾も腹を括った。
 
 昇吾は、本多からは連絡の取り方や人の動かし方、護身の基本などを、佐久田からは財務関係を、徹底的に教わることになった。 
 身に付けなければならないことは山ほどあった。だが、世間から隠れるように過ごしているため、幸いなことに時間は自由に使える。元々、飲み込みは早く、父親の後を継ぐべく教育を受けていたこともあり、本多も驚くほどに吸収して行く。
 ただ、本多を始めとして、夏川や佐久田が最も心配したのは、昇吾の生来の優しさである。
 いざと言う時に、明らかに非情だとわかっている決断を下せるのか。そして、この少年にそんな決断をさせていいのか。出来るなら、そんな日が来ないうちに解決したい──それが共通した願いでもあった。
 だが、例え犯人を特定出来たとしても、今度はそれを暴くための手段が必要になる。証拠らしい証拠がない今、それが一番のネックでもあった。
 

 
 そんな中でも、季節は穏やかに流れて行く。
 その間、美鳥にも少しずつ笑顔が戻り、心配していた声も出せるようになった。しかし視力の方は、時折、ぼんやり見える時もあるものの、一進一退、なかなか完全には戻らず、夏川を悩ませている。
『何も見たくない』
 美鳥のそんな意思表示のようにも思えるのだ。
 この時、事件からは既に一年半が経っており、美鳥は移り変わる季節のように、緩やかに回復していた。最近では、昇吾に手を引かれて庭を散歩するまでになっている。
「……時の力に……頼るしかないか……」
 その姿を眺めつつ、夏川は呟いた。
 
 一方、本多率いる親衛隊によって、真相究明の調査も進んでいた。
 そこにまず、不審人物として名が挙がって来たのが二名。大手製薬会社社長の黒川莞二と、大手建設会社社長の堀内満男である。
 黒川であれば薬物の入手は容易であるし、堀内は松宮邸の間取りや構造を把握出来る。何よりふたりの背後には、ある大物政治家がいるとの噂もあった。
「この堀内建設と言うのは、緒方グループのビル建設を請け負ったこともあるようですね」
 本多の言葉に、昇吾が記憶の糸を手繰る。
「……そう言えば、堀内、って父さんから聞いたことがある気がするな。……かなり前の話だけど……確か松宮のじーさんが元気だった頃に、その紹介で来た話じゃなかったかな……」
「先代のご紹介で……?」と夏川。
 佐久田が頷いた。
「その通りです、昇吾さま。堀内を緒方社長に紹介したのは先代の松宮総帥です」
「……ってことは、堀内の背後にいる『大物政治家』ってのも絞れて来るな……」
 佐久田が昇吾に感嘆の眼差しを向ける。
「おお、省吾さま……よくご存知でいらっしゃいましたね」
 昇吾は苦笑いした。
「……知ってるって言うか……まだ子どもの頃、美鳥と遊んでいてチラッと聞いたことがあるだけだよ。じーさんと伯父さんが何か話していて……確か、室田?とか……黒沼、副島……あと何だったか……小田島?小田切?……とか何とか……そんな感じだったかな」
「よく憶えていらっしゃる。そうです。一番、確率として高いのは黒沼と副島でしょうね」
「他にも仲間がいる可能性がありますね。ガス関係……爆薬関係……場合によっては食品関係……そして、黒川と堀内の背後を当たってみることにします」
 佐久田と本多の言葉に昇吾も頷く。
「ところで美鳥さまの様子は如何ですか?」
「視力以外は安定して来ている。そろそろ、少しくらいなら離れても大丈夫かも知れないけど……」
 昇吾の言葉に本多は首を振った。
「昇吾さま。事件からこれだけの時間が経っても、一番危険が及ぶ心配があるのは昇吾さまです。既に死亡したことになっている美鳥さまは、極論、素性さえバレなければいい。敵にとっての最大の問題は、松宮の唯一の血族である昇吾さまの生死がはっきりしていないことです。以前ほどではないにしろ、未だに緒方社長の周りを探る気配があるのは、松宮に支えていた者たちが、昇吾さまの元に集まることを恐れている証拠。それほどに松宮財閥の影響力は大きいのです」
 一瞬、昇吾の背筋が寒くなる。
「……ならば……ならば逆に、ぼくは美鳥の傍にいない方がいいんじゃないのか……?」
「……昇吾さま?」
「……ぼくが美鳥の傍にいると、それだけ美鳥の危険も高くなるってことなんじゃないのか……?」
 三人は言葉に詰まった。確かに否定は出来ない話ではある。が──。
「……しかし、昇吾さまと離れてしまったら、今度こそ美鳥さまは壊れてしまいます。恐らく、二度と元には戻りません」
 夏川がひとり言のように小さな声で訴えた。
「……でも……」
 ──と、その時、扉をさするような音が聞こえ、四人の意識が緊張する。取っ手が動いたかと思うと、扉がゆっくりと開き、姿を現したのは不安気な表情の美鳥であった。
(……今の話……聞かれた……!?)
 昇吾の背中を冷たい汗が伝う。
「……昇吾……?……ここにいるの……?」
 聞かれていない様子に、昇吾はホッとしながら立ち上がった。
「美鳥?どうした?」
 近づいて手に触れると、安心した表情でくっついて来る。だが、部屋の中に別の気配を感じたのか、再び眉根を寄せた。
「……誰かいるの……?」
「美鳥さま。佐久田です」
 警戒して昇吾の陰に隠れた美鳥に、すかさず佐久田が声を掛ける。
「佐久田さん?」
 美鳥の声が和らいだ。
「はい。ご無沙汰しております。ずいぶんお元気になられましたね」
「うん」
 昇吾にくっついたまま頷く。
「美鳥?どうしたんだ?昼寝の時間だろう?」
 訊ねる昇吾を見上げたかと思うと、すぐに顔を翳らせて俯いた。
「……眠れない……」
 美鳥の言葉に全員が押し黙る。
「……よし、じゃあ部屋に戻ろう」
 昇吾が美鳥を抱き上げると、本多が「では、作業の方を進めます」と一礼し、静かに出て行った。
「私もこれで失礼します」
 佐久田が後に続くと、
「佐久田さん、またね」
 美鳥が声を掛けた。その声に、佐久田は嬉しそうに微笑んで去って行った。
 
 美鳥を寝室へ連れて行き、ベッドに寝かせようとすると、昇吾の身体にしがみ付いたまま離れようとしない。
「美鳥?どうした?少し寝ないとダメだろう?」
「……ここにいて……」
「……大丈夫。ここにいるよ」
 昇吾の言葉に首を振る。
「……ずっと、ここにいて……傍にいて……」
 一瞬の間の後、昇吾は美鳥が言っている意味に気づいた。
(……やはり聞かれていたのか……)
 背中に回された小さな手に、ありったけの力がこもるのを感じる。その身体を抱きしめ、昇吾は目を閉じた。
「……大丈夫だ。ずっと傍にいる。美鳥、お前の傍に」
 しがみ付き、昇吾の胸に顔を埋めたまま眠る美鳥の顔を見下ろしていると、いつの間にか昇吾も短い眠りに落ちていた。
 
 意外な人物が昇吾を訪ねて来たのは、それから間もなくのことである。
 
 
 
 
 
 
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?