魔都に烟る~part31/エピローグ~
その日、新聞記者のジョン・ストックは、ターミナル駅で列車を待っていた。
大がかりな仕事が一段落し、久しぶりの長期休暇が取れたジョンは、延び延びになっていた里帰りをすることにしたのだ。きっと両親や兄弟は大喜びしてくれるであろう。
鞄に詰めた土産を眺め、喜ぶ家族の顔を思い浮かべる。特に母は、ジョンの大好物を用意して、今か今かと待ってくれているに違いない。
そんな想像に緩む顔を隠しがてら、ベンチに腰かけ、自分たちが書いた新聞記事を読み返す。
原因はおろか、当事者も不明のまま迷宮入りしてしまった事件。とは言え、大々的に一面を飾った自分の記事。
きっと家族も喜んでくれるに違いない。何よりの土産になるはずだ。こみ上げる嬉しさを隠し切れず、丁寧に畳んだ新聞を大切に鞄にしまう。
それにしても、本当に不思議な事件だった。ジョンはあらましを思い返してはそう思うのだ。
大貴族である伯爵家から謎の出火。しかし、領地内の住民が誰ひとり、消火に向かうことも出来ずに全焼。
にも関わらず、焼け跡からは主を含めて使用人ひとり見つからず、事前に逃げ出せたのかと思えば、数ヶ月経っても行方知れずのまま。
結局、真相は何もわからずじまいであった。
こんな不可思議な事件があるだろうか、とジョンは思う。
しかも、時を同じくして、さらに別の男爵家からは変死体が見つかったのだ。どのような死に方をしたのか、老男爵の身体はミイラのように干からびていたと言う。
全く無関係であろう、このふたつの怪事件によって、国にとって重要な二家が失われてしまった。
このことによって、たったひとつ残された子爵家の当主はさぞかし大変だろう。いや、却って動きやすくなったのだろうか?
━などと考えている最中、前を誰かが通り過ぎた瞬間、目の端に何かが落下したのが映った。
見ると、白いレースのハンカチが落ちている。その向こうには歩いて行く貴婦人の後ろ姿。
ジョンは慌ててハンカチを拾い、追いかけながら声をかける。
「あ、あの……レディ……!」
ジョンの声に立ち止まり、女はゆっくりと振り返った。
その姿を見た瞬間、ジョンの中で時間がとまったような感覚が湧き起こる。
鮮やかに赤みを帯びた瞳、輝くプラチナブロンド、シンプルな淡い薔薇色のドレスを纏ったその身体は華奢で、肌は陽を浴びたことがないかのように、まさに透けるような白さ。
思わず見惚れたジョンは、「何か?」と言う女の声で我に返り、慌ててハンカチを差し出す。
「あ、あの……これ……落とされましたよ」
差し出されたハンカチを見た女は緩やかに微笑み、
「まあ、ご親切にありがとうございます」
そう言いながら、ジョンの手から受け取った。
女が動くたびに、ふわりと甘く優しい香りが立ち、ジョンは夢見心地で俯く。
「ご旅行に行かれるの?」
不意に女からジョンへの質問が飛び出した。女の視線は、ジョンの手にある大きな鞄に向いている。思いもかけないことに、ジョンはさらに慌てて口をパクパクさせる。
「あ、いえ、あの……ひ、久しぶりに休暇が取れたので、実家に帰省します」
「まあ、そうでしたの。それじゃあ、きっと、ご家族もお喜びになるでしょうね」
見るからに高そうな身分。そして一見、気位の高そうな姿からは想像もつかないくらい、気さくに話しかけて来る。
「……あ、はい。きっと特に母が喜んでくれると思います」
その言葉に微笑む笑顔の美しいこと。
「あの……レディはおひとりでご旅行に行かれるのですか?」
その優しい微笑に気が緩み、ジョンはつい不躾に質問してしまった。
「私は……」
女が答えようとした瞬間、
「ルキア」
低く通る男の声が響いた。目を遣ると、少し離れたところに背の高い紳士が立ち、こちらを見ている。
振り返った女が「今、行くわ」と答え、ジョンの方に向き直った。
「レイの……彼の生まれ故郷に……彼のお父様とお母様にお会いしに行くの」
「そうでしたか。ご主人のご両親に……」
ジョンの言葉に一瞬だけ目を丸くし、すぐに可笑しそうに笑った女は、不思議そうにしている彼に、
「……主人じゃないわ。私たちは夫婦ではなくて、運命共同体なの」
謎の言葉を放つ。
「……えっ?」
唖然としているジョンに、女は艶やかに笑いかけた。
「彼が待っているから、もう行かなくては。お母様を大切にね」
そう言って、女は踵を返した。
「あ、あの、道中お気をつけて!」
その背中に声をかけると、
「ありがとう。あなたも」
少し振り返り、そう返す。
こちらを見ながら待っている紳士のところに行くと、女が何やら話しかけている。それを受けた男が、ジョンの方に向かって軽く会釈をした。きっとハンカチを拾ってくれた、などと話していたのだろう。
その紳士も素晴らしく格好が良かった。
まだかなり若く見えるが、背が高く、黒い髪、少し切れ長の黒い瞳、黒いマントが様になっている。
並び立つと絵のようなふたりの姿。またも見惚れていたジョンは、慌てて帽子を取って会釈を返す。
見事なエスコートで女と連れ立って行く後ろ姿を見送りながら、ジョンは思わず感嘆の溜め息を漏らした。
(あんなカップルもいるもんなんだなぁ)
後ろ髪を引かれるように座っていたベンチに戻ろうとした瞬間━。
『━レイ・ユージィン・セーレン・ゴドー伯爵、依然として行方不明━』
脳裏をその文字が駆け抜け、ジョンは慌てて振り返った。
(まさか!?)
しかし、あれほどに目立つはずのふたりの姿は、人波に飲まれてしまったのか、既に視界の中にはなかった。まるで掻き消えてしまったかのように。
(……夢……?それとも……幻……?)
不思議な出来事に、ジョンは放心していた。
その場に立ち尽くしていたジョンは、しばらくして、列車の発着案内で現実へと引き戻される。
「……どっちでもいいか。どっちにしても、もう結末がついてしまったことなんだから……今さら蒸し返すこともないか」
呟き、自分を納得させるように小さく頷くと、今度こそ自分が乗る予定の列車に向かって歩き出した。
*
この後、時を経て東の地に『ゴドウ』を名乗る人物が出現し、密かに暗躍する事実を、もちろん彼が知る由もない。
~Fin~
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