ニーチェ「超人とルフィ/重力の魔と黒ひげ」
『ツァラトゥストラ』において「超人」は、道化師、太陽、無邪気な子供、笑う者、踊る神など、様々なイメージで表現されていますが、『ワンピース』のニカ・ルフィは、まさにそのような存在です。「超人」はニカ・ルフィのモチーフの一つになっているのではないかと思います。
その対極にある存在が「重力の魔」であり、暗くて重たい存在です。それはヤミヤミの実の能力者である黒ひげと重なります。ですから、「超人」と「重力の魔」が、ルフィと黒ひげのモチーフとなっているのなら、『ワンピース』のラスボスは、イム様でも、シャンクスでもなく、黒ひげということになります。
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人間とは、克服されなければならないものなのだ。克服するには、いろいろな道があり、いろいろな仕方がある。それを心がけるのは君だ。道化師だけが、「人間は飛び越すこともできる」と考える。
森一郎訳「新旧の石板」
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早くもあの灼熱する太陽がやってくる──大地にたいする太陽の愛がやってくる。無邪気さと創造の欲望が、太陽の愛である。
手塚富雄訳「無垢な認識」
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子どもは、無邪気だ。忘れる。新しくはじめる。遊ぶ。車輪のように勝手に転がる。自分で動く。神のように肯定する。そうなのだ。創造という遊びのために、兄弟よ、神のように肯定することが必要なのだ。自分の意志を、こうして精神は意志する。自分の世界を、世界を失った者が手に入れる。
丘沢静也訳「三つの変化について」
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わたしは重さの霊の敵だ。とりわけてもこれは鳥の生態ではないか。まさに宿敵、仇敵、不倶戴天の敵だ。
佐々木中訳「重さの霊について」
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この歌は、舞踏の歌だ。そして重さの霊をあざける歌だ。わたしにとって最高最強の悪魔、人びとが『世界の主』と呼ぶ悪魔だ──。
佐々木中訳「舞踏の歌」
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そこでは、わたしはまたわたしの昔なじみの悪魔、そして宿敵であるあの重さの霊と、その霊がつくったいっさいのものをも、ふたたび見いだした。つまり強制、規定、必要とその結果、目的と意志、善と悪などを。
──それというのも、舞踏をするためには、舞踏して飛び越えるものがなくてはならぬからではあるまいか。軽い者たち、最も軽い者たちがあるためには──もぐらや重い侏儒どもが存在しなくてはならぬからではあるまいか。
手塚富雄訳「新旧の表2」
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わたしが神を信ずるなら、踊ることを知っている神だけを信ずるだろう。
わたしがわたしの悪魔を見たとき、その悪魔は、まじめで、深遠で、おごそかだった。それは重さの霊であった。──この霊に支配されて、いっさいの事物は落ちる。
これを殺すのは、怒りによってではなく、笑いによってだ。さあ、この重さの霊を殺そうではないか。
手塚富雄訳「読むことと書くこと」
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【引用】
手塚富雄訳『ツァラトゥストラ』(中公クラシックス)Kindle版
丘沢静也訳『ツァラトゥストラ』(光文社古典新訳文庫)Kindle版
佐々木中訳『ツァラトゥストラかく語りき』(河出文庫)Kindle版
森一郎訳『ツァラトゥストラはこう言った』(講談社学術文庫)Kindle版
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