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ニコ動が今すぐVTuber推しをやめた方がいい理由

まず最初に、VTuberに関する部分で比較的ネガティブな記述があるので、VTuberファンはブラウザバックした方がいいかも知れない。

派生コンテンツの重要性

VOCALOIDが衰退したと言われて久しいが、実はごく最近の2017年でも市場規模は拡大を続けている。
(ただし初音ミク一強は言うまでもない)

https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1712/05/news087.html
(出典:ITmedia NEWS)

これより新しい資料が見つからなかった…orz

なぜVOCALOIDの説明から入ったかと言うと、ニコ動の隆盛とVOCALOIDの発展は切り離せないと思ったからだ。
従来より音楽系のカテゴリ(2019年6月に変更)のボーカロイド、歌ってみた、踊ってみた、演奏してみた等、VOCALOID楽曲を源泉にする派生コンテンツはニコニコ動画を成長させ、今でもリアルイベント等の主力コンテンツとして活躍している。
ニコニコ超パーティーなどはVTuberでさえボカロ曲での出演である。

残念ながら2019年はニコニコ超パーティーの非開催が決定してしまったが…

さて派生コンテンツに話を戻すと、

この流れはニコ動ならではの王道である。
派生コンテンツが生まれるからこそ、その「源泉」であるVOCALOID楽曲の価値が飛躍的に高まる。

さらに音楽と言うコンテンツには、その他のコンテンツには無い「スルメ曲」と言う現象が存在する。
映画、漫才、小説、漫画、ドラマ、ゲームなどは一通り見終わって(し終わって)しまうと、二回目以降なかなか最初の感動を超えられない。
ストーリーなりネタなりを知ってしまうとどうしても感動は薄れてしまう。

噛めば噛むほど味が出る(聴けば聴くほど感動が高まる)のは音楽と言うコンテンツのみが持ち得る最大の特徴である。

繰り返し再生(プレイ)する割合はどんなコンテンツよりも高いだろう。


妖怪ウォッチと戦隊物の関係性

VOCALOID衰退論は兎も角として、確実に起こっていて政治的課題なのが少子化だろう。
これは子供向けの玩具やアパレルメーカーの死活問題でもある。

その少子化にしてパイの奪い合いは、TVのコンテンツも例外ではない。
特に子供たちは一つのものに熱烈な興味を示すと、その他には興味を示さないと言う習性がある。
妖怪ウォッチ隆盛の頃は戦隊物の人気が陰り、逆に妖怪ウォッチの人気が陰れば戦隊物が流行ると言う具合にだ。

これはインターネットで動画視聴をする層にも言える。
各個人の動画視聴時間には当然限りがある、2017年の時点で1日平均41.4分だそうだ。(出典:ジュピターテレコム)

その41.4分に何を見るかとなるわけだが、VOCALOID楽曲視聴者層とVTuber動画視聴者層はかなり重複しているのではないだろうか。これもまたニコニコ動画からYouTubeにユーザーが流れた一つの原因だと思われる。
VTuberがボカロ曲を歌ってみたなどは視聴者層が移動したと容易に想像できる。

ニコニコ動画(ドワンゴ)のVTuber推し

動画配信とリアルイベントの両輪で創作文化を盛り上げてきた(赤字云々はさておき)ドワンゴだが、今のVTuber人気は喉から手が出るように欲しかったのだろう。
ニコニコ動画であるにも関わらず競合である「チューバー」の名を許してまでもブッキングしてしまう。

リアルイベントに人を呼びたい気持ちは分かる。

そしてVTuberたちも新しいコンテンツの投稿が生命線である限り、やはり音楽と言う優れたコンテンツに頼りがちになる。
(音楽動画以外伸びないと言う大手VTuberもいるようだ)

そこに有名ボカロPたちが供給する図式となる訳だが、インフルエンサー的な意味合いでもVTuberとボカロPにとっては正解であろう。
ただしVTuberへの提供曲では派生コンテンツはほとんど期待できないし、主戦場がYouTubeである以上ニコ動にとっての恩恵はほとんど無い。

著名ボカロPたちが、自らの歌唱でメジャーデビューし「ボカロを踏み台にした」というワードが一時期注目されたが、まさにニコ動文化が踏み台にされていると言ってもいいだろう。
派生コンテンツの源泉の生みの親であるボカロPたちまでYouTubeに取られてしまう構図を自ら作り出していると言える。

「ついに魂を売ったか」とも言われたニコ動だが、実はニコ動で育った文化までをも手放してしまう構図となっている。

まとめ

「視聴時間を取られ、創作者を取られ、派生コンテンツも生まれない」
これがニコニコ動画がVTuber推しを続けて招く結果ではないだろうか。
すでに大手ボカロPはYouTubeに投稿した方が伸びるとも言われて久しい。

ニコ動で育ってきた文化なのにだ。

これを言うと元々ニコ動自体がYouTubeに乗っかったコメントサービスから始まったという意見もあるが、創作文化自体はニコ動が仕掛けた訳でもYouTubeが仕掛けた訳でもなく、初音ミクやクリエイターの存在等様々な事象が重なって、ある意味自然発生的に形作られたものだと私は思う。

この文化が無くなった時が本当のニコニコ動画の最後ではなかろうか。
ドワンゴは今すぐにでもVOCALOID推しに戻すべきである。


ニコニコ動画やVOCALOID文化を憂う。