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学びとはなにを学んでるのか(副題:ハックなんて不必要だ)

土曜日は最近考えていることや、起きた出来事を書いています。
近いうちに有料noteに移行します。
 今回は、コンサルタントとか学びとかの話をしています。あくまでも私の感じ方の話で良いとか悪いということについていってるわけではありません。気分を害された方は、そっとブラウザのタブを閉じてパンダのあかちゃんの動画とかみるといいかもしれません。

 コンサルタントということを生業にしていると、クライアントにできることは提案が限界になってしまう。提案だと、やるかやらないかはクライアントの自由である。つまりやらなかったらなにも成果はでない、それだけのことである。世の中コンサルタントを名乗る方によると、成果が出れば自分の手柄、やって失敗したらその瞬間に逃げるという文化らしい。そしてクライアントもその程度にしか思ってない。クライアントがコンサルタントに期待してることは、子供が親に対する承認欲求とならんらかわらなく「あなたのやってることは間違ってないですよ」といって欲しいだけである。逆に私がいっているような耳に痛いような話は、「学び」という言葉に押し込めることによって、自分が変わらない決意を強く持つのである。そしてそのためにコンサルタントは雇われるのである。

 以前はセミナー講師の話もきていた。でも、最近は断らせて貰っている。それはセミナーがおわった後の長蛇の名刺交換で「今日はすばらしい学びがありました」とかいってる人だらけなのに、ほとんどの人は一歩会場でたら話をした内容を忘れてしまう。いやきっと忘れないといけないんだ。それはわたしのセミナーは耳障りのいいことは決して言わないからだ。だから、耳障りの悪いことを、「学び」という名前をつけて会場に捨てていくのだ。わたしの名刺と一緒に。紙資源の無駄使い。いらない名刺はリサイクルへ。

 学びとはそんなに都合のいいものだろか。圧倒的学びとかいってるセミナーとかほど参加者はなにも学んでいない。彼らが学んだ気になっているのは、講師から「いかにお前はダメ」だというメッセージで殴られて、ダメなわたしのままでいいんだというレッテルを貼ってもらってるからだ。そしてダメな私レッテルを集めて安心するために貪欲的にセミナーに参加するのだ。そうしないと不安になるから。さらにそのようなセミナーは、参加者たちをよく分からないルール競わせて、いわば蠱毒のような催しものを行う。最後まで生き残ったとしても、講師にとって都合よく栄養として吸われてしまうのだ。わたしはこれを疑似学びの環境と呼んでいる。いますぐ逃げろ。「逃げちゃダメだ」なんて声に耳を貸してはいけない。

 本当に良いセミナーは、なにか持ち帰った気がするけどなんだかよくわからないような状態になる。そしてそのような所に繰り返し参加すると、何かを持ち帰ることを目的としなくなる。そして学びをしているということを意識しなくなり、ただ目の前で起きている現象を受け止めて脳みそにいれてほっておくということをするようになる。するとしばらく経つ頭のどこかで発酵して自分の中のよくわからないものを言語化できるようになる。それを繰り替えして振り返るとその時の自分とは連続的でありながらも決定的に違う自分になっている。これこそが、「学びをした後」だと思う。「学び」という瞬間はどこにも存在しなし、逆にいえばどこにも存在してるんだ。どこかを時間的に切断すれば、はーいこれが学びですとか出てくるもんじゃない。だから「学びがありました!」なんて口出した日には、グラン・ブルー完全版を24時間耐久で見続けないといけないぐらいの精神状態になる。誰か一緒にみましょう。

 この一連のプロセスは意識することはない。ともかく頭の中によくわからないものをいれるところからこのプロセスは始まる。でもなにかよくわからないものはよくわからないものまま受け入れることが大事である。巷ではやっているような○○ハックとか時短ワザなんてした瞬間によくわからないものは既知のものへと変わってしまい、よくわからないままでなくなる。だからそのままでいることが大事なんだ。そしてぬか床のように毎日少しづつかき混ぜつづける。かき混ぜ方が不均一でもいいからともかく毎日ちょっとづつかき混ぜることで、糠は美味しくなっていく。なにをつけ込むかなんてそこからでいい。体の声がちゃんと聞こえれば、なにが欲しいかは体が知っているはずだから。

 結局のところ、50分程度のセミナーなんかで学びがあるとか売りにしてるのは、恐怖に訴え、承認欲求を満たして、変わらないわたしを認めてくれるものだ。だから「圧倒的学びがありました」といわれたら全力でその場から逃げることにしている。そんな擬似学び環境はわたしは参加しないし、講師として参加することで片棒を担ぎたくない。行動経済学っぽくいえば、参加者が時間的効用を求めて、なにか持って帰らないといけないと考えているセミナーなんて参加しなくていい。ただ目の前に「わけわからない」ことを提供してくれるところに、できるだけ多く行くことをするだけだ。振り返るのは死ぬ間際まで忘れていたい。

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