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クロノスの末裔 #十二、day after day【創作大賞2024 ファンタジー小説部門応募作】

 クロノスが消えた。それは、王宮の外でも変わることがなかった。、クロウド以外の記憶からも、クロノスという存在が抹消されていた。グランツも、クロノスのことを覚えていなかった。
「――で、そのクロノスっていう少年を救う為に、お前は王家に押し入り、王と十二針を暗殺したっていうのか?」
 イタリア。フィレンツェにある、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会。十三世紀に建造が始まった、ドメニコ修道会の教会である。緻密に計算された大理石装飾の正面ファサードは、十五世紀にアルベルティによって手掛けられたものだ。修道院の「癒し」を起源として、世界最古の薬局と共に歩んで来た教会は、イタリア国でも有名な教会の一つとして、今も尚、人々に愛されている。
四方を囲むステンドグラスが、月明かりを通じて大理石の床に色とりどりの光を落とす。この教会の神父は顔見知りであるので、好きに使っていいと、寛容なことに鍵を預けてくれた。
「正確には、偽の十二針を退任させて、クロノスに正規の待遇を受けさせたかった。王家に長い間迫害されていたからね。時間を操るという、途方もない能力の持ち主だ。本来蔑ろにされて良い存在じゃない。国家レベルで守り育てるものだ」
「その少年が、お前と一緒に住んでいた――と」
「本当に覚えていないのかい」
 グランツは、元々生真面目な顔に、一層眉間に皺を寄せて記憶を手繰ろうとする。
「……すまん」
 クロノスは短く息を吐く。
「グランツは元々、クロノスと会う機会が少なかった。責めることでもない」
 組んだ足に頬杖を突き、クロウドはグランツを覗き込む。
「じゃあ、私たちが王宮に侵入した際、屋上に現れた王、タヴィアーニに発砲したきっかけは何だったんだい? あれはクロノスが君に連絡を取ったからこそだ」
 グランツは逡巡した。しきりに首を傾げている。
「あ、ああ……。確かに。何か連絡があって、射撃した筈だ。だが、思い出そうとすると靄が掛かったようになって、よくわからなくなる。こんなことはないんだが――」
「あの時、タヴィアーニは隙なく大剣を構えていて、手が出せなかった。私は真っ直ぐ銃口を向けていた。君に応援を頼んだのは、クロノスだ。君に、助けて欲しいとね」
「そう考えると、辻褄が合うな。まだ信じられんが……」

 なかなか戻らないクロウドに業を煮やして、グランツが駆け付けたとき、すべては終わっていた。グランツが外へ逃げ出した十二針を数人狙撃し、死亡させたあとのことだ。他の者は、崩落した天井の下敷きになり、生き埋めとなった。
王も、十二針も全員が死に絶えた。扉口で、グランツはあまりに凄惨な光景に絶句する。
「ああ、グランツ。待たせて悪かったね」
 返り血を浴びながら、クロウドは何でもないというように、小さく笑みを浮かべた。作って来ていた条件書を火種にし、ライターで点火し辺りに燃え移るまで待つ。グランツは呆然とした。建物は半壊し、王も、臣下も、すべては火の海に飲み込まれて行った。
 ただ一つ、クロウドが大事そうに抱えて帰って来た、どこか懐かしさを覚える、懐中時計を除いては。燃えさかる炎を眼前に、グランツは尋ねた。
「クロウド。それは」
「私の大切なものだよ。命よりも、大事な――ね」
 囂々と、城が燃える。人が燃える。
 地獄ゲヘナの王、サタンの業火のように、炎はすべて焼き尽くし、一切を無に帰していった。

 翌日。
 イタリア国王カミーレ・タヴィアーニ。消息不明。続く十二人の臣下も消息不明。幾人かの死体が、焼け跡より発見。何者かによる暗殺か、それとも王政を憂いた王とその臣下が殉職か。
 まことしやかな陰謀論と、ゴシップが市井を賑わせた。捜査が進むにつれて、全員分の遺骨が灰燼と化した中から発見された。しかし、その中から、誰のものともつかない少年の遺骨は、ついぞ見つかることはなかった。
 これによりイタリア王国の王政は廃止され、立憲君主制となった。歴史が急激に、あるべき場所に向かって収束していくかのようだ。

「グランツ。覚えていない君に問うのは酷かもしれないが、王家がクロノス一族を酷く迫害していた時に、王族はクロノスのことを人間ではない、、、、、、、と言った。私はそれを、クロノス一族への低俗な差別と受け止め、怒りに震えた。恐らく君もそう感じてくれていた筈だ。王家から虐げられ、理不尽な目に遭わされているクロノス一族への罵倒だと思った。しかし、この部分だけ取り上げてみれば、もしかするとクロノス一族は人間よりも寧ろ、神に近い存在だったのかもしれない。だからこそ、命をなげうつ魔法を使ったとき、クロノス一族は本来元となった姿に戻るのではないか、とも思うんだ。過去へは戻ることが出来ない。そう言われ、世界が始まって以来、一度も使われなかった魔法だ。クロノスはそれを使って私を救った。本人にも、自分がどうなるかなどわからなかったに違いない。ただ、『死ぬ』ということだけを覚悟して魔力を使い果たし、クロノスは元の、この懐中時計の姿になったとは、考えられないかな」
 教会から酒場へと場所を移し、カウンターに並んで座り、酒を注文した。グランツはモヒート、クロウドはモーニンググローリーフィズを注文する。モヒートはアフリカのブードゥー教のMOJOに由来し、スペイン語で「麻薬や魔術の虜」という意味を持つ。グランツは清涼感のある、緑のミントが眩しいカクテルをぐっと、憂いを晴らすように煽った。
「――わからん。俺の記憶はそもそも消されてしまっている。関わりが薄かったからか、クロウドにのみ覚えていて欲しかったのか――クロノス本人に尋ねなければ、本当の意味は誰にもわからないだろうな」
「――そうだね。あの子が……クロノスがもし、再び姿を現したら、聞いてみるしかないね」
 クロウドは淡く微笑む。
「君に取ってみれば、まったく身に覚えのない御伽噺を延々と聞かされているようなものだ。私なら、一蹴してしまうかもしれないというのに。疑わないでくれて――信じてくれて、ありがとう」
「俺も、何か忘れているような気はずっとしているからな。お前の話を聞いて、そうかもしれないと思うことが幾つもあった。それに、クロウド。お前は御伽噺が好きってガラでもないだろう。客観的なデータ以外は信用しない男だ。だからこそ、信憑性がある。何と言っても軍で苦楽を共にした同期だ。俺は、お前を信じるよ。一つ確認したいが――以前のお前は、自ら命を投げ出しそうなところがあった。今は――もう平気なのか」
 グランツの瞳が真剣にクロウドを見据える。落ち着いた笑みを浮かべて、クロウドは絹のハンカチの上に置いた懐中時計に触れた。
「クロノスは、どうして私なんか庇ったのかと、ずっと考えていた。このまま命を断って、クロノスの居るところに行こうとも思った。だが、あのとき、己のすべてを擲って、クロノスが救ってくれた命を、放り投げるべきではないと思った。そんなことをすれば、あの子は苦しむ。それに、クロノスは死んだんじゃない、ここに生きている。またいつの日か、あの子が懐中時計から、人間の姿に戻ったときのために――私は生きなければ」
「――そうか」
 かけがえのない我が子のように、懐中時計を優しく撫でるクロウドに、グランツは瞼を閉じると、俯いて微笑んだ。

*   * *

「あぁ? 黒い髪と瞳のあの子どもか? 覚えてるぜ」
 真っ青のスーツに白地のストライプの派手なスーツに葉巻を吹かして、ロレンツォ・ルカーノは目を丸くした。それよりも尋ねたクロウドが言葉を失くしている。
「――覚えて、いらっしゃるんですか」
「お前んところで働いてたガキだろ。あんまりにも昔過ぎるが、今なら歳は十七、八ってところか?」
 ロレンツォはイタリア南部を牛耳るマフィアの頭脳ブレーンで有名だ。確かクロノスと話していたことがあったと雑談交じりに尋ねてみたところ、唯一ロレンツォだけが、クロノスのことを覚えていた。軽くあしらわれるか聞き流されるだけと思い込んでいたクロウドは、突然のことに絶句する。今となっては、クロノス一族のことも、世界中で誰一人覚えている人はいない。虚言ではなく、政府でさえもクロノス一族のことをすべて忘れてしまったようだった。文献にも、資料にもない。クロノス一族はこの世から姿を消した。
「もう……私以外誰もあの子のことを覚えていません。私の記憶はなくなっていないので、今も鮮明ですが――もしかすると、私の気が触れた可能性もないではない。心のどこかでそう思っていたのですが」
 日に日に自信のなくなっていたクロウドは、動揺したのかロレンツォに淹れていた紅茶を、ソーサーに溢れさせた。しかし、至極当たり前のようにロレンツォはあの日の出来事を思い出す。
「いや? 明らかに居たぞ。短時間だったが、割と色々な話をした。クロウドは、ギリシア神話の女神アテーナイで、坊主はそれに育てられた子どもだろって言ったら、嫌ぁな顔をして王宮に住んでるって言ってやがったな」
 今度は、クロウドが半眼になる番だった。
「……誰が女神アテーナイですか。大切な子ですが、流石に私が産み落とした覚えはありませんよ」
「事実の問題じゃねえ。概念の問題だ。お前さんは武神といってマフィア連中に崇められている女神だからな。その上、武器の扱いも一流とくれば、引く手あまただ。あの頃は特に忙しかったんだろう。裏路地で坊主が寂しそうにしていたもんで、つい揶揄って遊んじまった。そんなに寂しいなら、クロウドに甘えろって言ったんだが、どうやらやり方がわからなかったらしい」
「そう……でしたか」
 十年以上前の話を、まるで昨日のことのように思い出せるロレンツォに、内心舌を巻く。何故ロレンツォだけがここまで鮮明に、クロノスのことをはっきりと思い出せるのか。クロウドにもわからなかった。
「どうして、覚えているんですか」
 その答えは、明瞭だった。
「んー、俺ァ、ちょいと魔法とかそういうものに鈍感な性質たちでなぁ。打消し型とでも言うのか。催眠的なものには殆ど掛からんのよ。あと記憶もほぼ忘れることがない。二十年前の自分が何を食ったかまで覚えてる。要らねえ能力だよなぁ。だが、それぐらいしか取り柄がねぇ」
 とんでもない脳の記憶容量だ。そして、一度取り込んだ記憶は決して改竄されず、真実のまま記録される。マフィアの頭脳ブレーンであるから、優秀であるとはわかっていたが、底抜けの記憶容量に、クロウドは慄いた。
「そんなもの……、まるでアカシックレコードじゃないですか……」
「アカシックぅ? あれは神さんが、万物を記録した世界記憶の概念って話だろ? 俺のはその極少版よ。俺の周りのことだけ、だな」
 それでも、膨大な記憶量には違いない。そういえば、とロレンツォは手を打った。
「そん時に、女神繋がりで坊主と付喪神の話したな。物に付く神の話だ」
 物に付く、神。クロウドは何かを考える前に、ロレンツォに頼んでいた。
「すみません、その時の会話、そのまま諳んじていただくことは、可能ですか」
 ロレンツォは、穏やかな顔で頷いた。恐らく他人からも何度も頼まれているのだろう。まるで降霊師のように、当時のやり取りを暗唱した。

――おうよ。アイツの武器見りゃわかんだろ? アイツの持ち物になりゃあ、どれだけ大事にして貰えるか。俺なんか、よくクロウドの武器を買わせて貰っちゃいるが、どの武器も連れ出されるのが嫌なのか、いっつも泣いてるなぁ。望みもしねえ嫁ぎ先に連れていくようで、酷く後ろ髪を引かれる思いだ。クロウドに大事にして貰ってたんだろうからな。これは俺の勝手な想像で、実際には武器の気持ちなんてわからんから、どうだか知んねえけど。
――武器が泣くなんて、何かの間違いじゃないですか。
――無機物にも命はある。普段は俺たちがそれを感知出来ていないだけでな。東洋の国では、付喪神と言って、長い年月が経った道具には、精霊というか、神様が宿るって話がある。それと似たようなものかも――しれねえな。
「付喪神……」
「お前さんの物の扱いは、そりゃあ丁寧だ。所有物になりゃ嬉しかろうよっつー話をした。あの坊主も、どこかお前さんの磨いた武器を羨ましそうに見ていたからな」
 無機物にも命はある。もしそれを、クロノスが聴いていたならば。懐中時計を取り出すと、電灯の光を受けて、盤面が一瞬虹色に輝いた。
「ほぉ。それが坊主――か? よく手入れされて、なかなか良いツラしてんじゃねえか。おっと、もうこんな時間だ。クロウド。暗誦代はまた次回割引しろよ。じゃあな」
 無理難題を押し付けて、ロレンツォはクロウドの肩をぽんと叩くと、アジトを後にする。扉が閉まった瞬間、クロウドの灰青色の瞳から、はらはらと雨のように涙が零れた。恐らく、クロウドの気持ちを慮ってロレンツォは席を外したのだろう。クロウドは冷酷無慈悲な武器商人だ。いつもドライで、人を殺すことを何とも思わない。しかし、その日だけは、台風が近づいているのかと思うほど、大雨が街を覆い尽くした。

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