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@人狼Game. 四、占【創作大賞2024 ホラー小説部門応募作】

 人狼ゲームが始まった。何の違和感もなく、特別なことは何もなく、厳かに人狼ゲームはスタートした。その静けさに却って違和感を覚えるほど、村人たちは人狼ゲームに慣れきっていた。怯え、騒ぐ者は誰もいない。
 人狼側に役職の情報が漏れていると聞いたとき、カケルはこのゲームは終わったとさえ思った。しかし、村陣営の役職は優秀だった。カケルにさえ、自分以外の役職は誰だかさっぱりわからない。それにも関わらず、村側は、狼もたじたじとなるほどの快進撃が続いていた。
 まず、特に優秀であるのは占い師だった。何と初日から黒を当てることに成功し、形成は一気に逆転した。
(人狼は、あの爺さんだったのか……)
 カケルの家から暫く下ったところに、独り身の老人が住んでいる家があった。言葉を交わしたことは殆どなかったが、何となくぎょろりとした目が怖く、常に誰かを監視しているような素振りが、人々を遠のかせた。カケルの家からは遠かったが、昨日、カンナギと別れたあとに、ばったりと逢った。カンナギのことがバレたかとひやりとしたが、そうではなかったらしい。ひたすらにカケルのことを追っている視線が気になり、学校でイツキともその話をしたほどだった。
(あのとき、爺さんは俺を疑っていたのか)
 もしくは、次に誰を襲うか見繕っていたのかもしれない。占い師は一日目に老爺を占い、見事人狼だという結果が出た。早速狼を一匹、吊れたことになる。無駄のない、スピーディーな滑り出しだった。
 霊能者も生きている。役職や人狼欠けのスタートはありえないから、全員揃っている今が踏ん張り時なのかもしれなかった。更に好調なことに、占い師や霊能の騙りがいない。潜伏しているのでなければ、占い師と霊能は真に決め打ちしても構わないと言い切れる。占い師が黒を出した老爺は村会議で吊られ、翌日に霊能者が老爺を黒と断定した。疑いようのない結果が出たとき、滅多に笑わない父親が、「今回は凄いな」と思わず賞賛の言葉を送ったぐらいに、頼もしい役職陣が揃っていた。
 カケルも奮闘していた。占い師は未だ検討がつかない。今わかっているのは、イツキが村人であるということだけだ。村の様子を探りながら優秀な占い師を守らなくてはならない。

 カンナギは、次の日には隣家から掻き消えていた。扉は以前と同じく頑丈に施錠され、二度と姿を見せることはなかった。窓から覗いてみると、錆びた色の血液痕を拭き取ったあとのようなものがうっすらと見えた。食べ散らかしていた菓子や飲み物も綺麗さっぱりなくなっていた。カケルには、やはり、カンナギは規則通りに死んだものと思われた。

 カケルは、一日目の夜も二日目の夜も、イツキを守っていた。これが、狩人として正しい動きなのかどうかはわからない。しかし、自信を持ってイツキだけは村人だと思える。真の村人なら、守護することに問題はない。
(だが――早いところ役職を見つけないとな)
 小さな村だが、たった数人の役職を見つけ出すとなると、村は案外広い。もしかすると、イツキが役職かもしれないとも思ったが、イツキはそんな素振りを微塵も見せなかった。
(イツキは村人だって言っていたが、役職はなさそうだったな……)
 ユズリハは人狼だということはまず確定している。そしてカエデが何であるのか、カケルは未だ決めかねていた。学校では、ユズリハとカエデは非常に親しく見える。それは前からと何ら変わりない。
(まさか……カエデは占い師か……?)
 大人しく、どことなく掴みどころのないカエデは、如何にも占い師のようにも見える。
(だが、カエデが占い師だとすれば、ユズリハとあんなに親し気に話すだろうか……。そもそも、霊能っていう選択肢もある)
 カケルが何故そんなことを思うかと言えば、カエデがどうにも役職持ちであるらしいことに気付いたからだった。儀式のあとから、カエデはどこか思い悩んでいるふうにも見えたのだ。だが、ユズリハが人狼となると、すべての想像が瓦解してしまう。
(ユズリハが人狼であることはほぼ間違いない。上手く情報が処理出来ないとすれば、俺の何かが間違ってるんだ……)
 二日目の朝、副担任がホームルームを慌しく取り仕切っていた。何故担任がいないかというと、昨日、人狼の襲撃に遭って死んだからだ。そうしたことは、取り立てて珍しいことでもない。むしろ、それこそがカケルたちの日常だった。
「今夜は通夜か……」
 ユズリハの笑い声が聞こえるかのようだった。カケルが今無事であるのは、ユズリハの一存に因るものに違いない。そして、ユズリハに従わなければ、カケルもまた簡単に殺されてしまうことへの見せしめのようにも見えた。このやり口、やはり人狼陣営は、完全にユズリハが掌握している。
(高校生であるユズリハに簡単に従うなんて……人狼陣営はあまり気が強くないのか? それともそういう作戦なのか……)
 担任の葬式は明日だ。明日にはカケルたちも参列しなくてはならない。三日目の夜、それはカケルの狙い目だった。
 既に二日目の夜に、カケルは与えられた狩人としての役割を果たしている。カケルは一日目と同じように、イツキを守っていた。すると、翌朝、人狼神社の掲示板にGJグッド・ジョブが出たと書かれていた。それは即ち、狩人のお蔭で、その人物が襲撃を免れたという証だった。
(や……った……!)
 両手の拳を握りしめ、カケルは部屋で一人快哉を叫んだ。一度もGJを出せずに終わるかと思ったが自分の手で、イツキを守れたということがあまりにも喜ばしい。
(俺が……イツキの命を救えた……!)
 カケルがいなければ、イツキは昨日の襲撃で命を落としていた。そう思うと、恐怖で慄然とする。同時に、何故イツキが狙われたのかと、不可解な思いがした。確かにイツキは村人陣営だ。普段の振る舞いからも、それは疑いようがない。役職もないイツキが狙われた理由は、恐らく一つしかない。人狼側は、標的をカケルの周囲ばかりに絞っている。真向かいの家、担任教師、そしてイツキ。段々と獣の臭気が匂うような近くへと、カケルに向かってひたひたと近づいてきている。だが、人狼陣営にユズリハが居ながらにして、イツキに手を掛けるとは一体どういうことだろうか。せめてイツキだけは助けてくれと、ユズリハが泣いて止めるべきではないか。
(ユズリハの奴……)
 仄暗い殺意が芽生える。許しがたい憎悪が、自身を覆っていく。ユズリハを今すぐこの場に引き摺り倒して、狩人の銃口を突きつけたい衝動に駆られる。人狼はユズリハだけではない。どういう話し合いになったか知らないが、それでも易々とイツキを売ったユズリハが許せなかった。
 一度、ユズリハと話をしなくてはならない。元々そのつもりだったが、イツキが襲撃された時点で、それは「絶対」となった。
 担任の葬儀のあと、カケルは学校の屋上に、ユズリハを呼び出した。

 ***

「カケルから話があるなんて、嬉しいなぁ。この前のこと、考えてくれた? カケルに『人狼こっちがわ』に来て欲しいって話」
 屋上は風が吹き荒んでいた。黒髪を強風に靡かせながら、ユズリハはカケルを振り返る。人狼側になって夜な夜な人々を襲っているという良心の呵責は微塵も見られない。曲がりなりにも人を殺しているなら、多少の苦悩と葛藤が垣間見えても良いはずだ。それだというのに、ユズリハの表情は晴れ晴れとしている。突風の中でも、妙に晴れ渡っている、今日の晴天のような違和感があった。カケルはポケットの中に手を入れた。
「そんなことよりも、第一に聞きたいことがある。――イツキに襲撃を掛けたな。一体どういうことだ。説明して貰おうか」
 ユズリハは歪な笑顔を形作った。
「やっぱカケル、ずっとイツキを守ってたんだ。そうじゃないかとは思ってたけど」
 のらりくらりとした調子のユズリハに、カケルは声を荒げた。
「誤魔化すな! イツキは俺たちの一番の親友だぞ。よくもそんな真似を……! 俺が守ってなかったら、もうイツキはこの世にいなかった! 今日はイツキの通夜だったかもしれない! 一体どういうつもりだ!」
 風に流されながら、気味悪いほどの鴉が無数に空を舞っている。ぎゃあぎゃあ、と泣き叫び、円を描くように飛びながら、カケルたちを監視している。しかし、カケルにはそんなことすらどうでも良かった。
「カケル怖い……。怒鳴らないで。きちんと説明するから……」
 ユズリハの瞳に涙が盛り上がる。小さくしゃくりあげているが、カケルには、到底同情出来るものではなかった。
「私も、勿論人狼仲間を止めたよ? でも――でも、私にはカケルを守ることで精一杯だった! 人狼たちは、ずっとカケルを襲撃したがっていた。カケルは狩人だもの。一刻も早く襲撃しなければならないって、ずっと責められてた。それに、既に初日、仲間の人狼が黒を出されていて、私たちももうあとがない。でも、カケルだけはどうしてもダメだって、そう泣き落としてどうにかその矛先を逸らすことが出来た。でも、カケルがだめなら、イツキだと――言われて、私には、どうすることも出来なかった。ごめん――ごめんなさいカケル……! 決してイツキを狙ったわけじゃない! でも、カケルへの襲撃を止めるだけで、私には精一杯だった……。本当にごめんなさい……」
 ユズリハは崩れ落ちる。泣き伏しながら、カケルを涙のままに見上げた。
「イツキへの襲撃は、突然決まったけど――カケルが守っていてくれて良かった。イツキを助けてくれてありがとう。カケルなら、信頼出来る。カケルだけは――信じられる。カケル……。カケルを狩人と見込んでお願いがあるの。今日、人狼仲間は、カエデを襲撃すると言っている。もう私には、カエデさえ守る術がない――お願いカケル。カエデを助けてあげて――」
「ユズリハ……」
 漆黒の艶やかな髪を肩に流し、ユズリハは涙を流した。
「お願い。私のことは信用しなくていい。でも、カエデのことは信用してあげて。カエデは役職持ちなの――人狼に殺されれば、その損失は村人全体にも及ぶ。心配なら、占い師にも占って貰えばいい。カエデは、必ず村人だから」
「カエデが役職持ちっていうのは――本当か」
 カエデは役持ちであると、カケルは薄々気付いていた。しかし、ユズリハはその役職を知っているふうだ。
「占い師に占って貰え――ということは、カエデは霊能者だな」
 占い師、霊能者、狩人。それがこの村の役職で、例外はない。カケルは狩人で、今ユズリハはカエデが占い師ではないと言った。そうなれば、消去法でカエデは霊能者ということになる。ユズリハはすっくと立ち上がる。両手を合わせて、笑顔を作った。
「昔から頼りになるね。カケルは。小さい頃と変わらない……」
 目尻の涙を拭い、ユズリハはくるりとカケルに背を向けた。細い肩が震えている。
「私ね――もう、諦めてるんだ。人狼は、もう残り二人しかいない。吊られるのも、時間の問題だよ。どのみち私は生き残れない。そうなんだったら、せめて――カエデだけでも救いたい。カケルもそう思うでしょ?」
 もしカケルが人狼で、勝ち目のない戦いならば、せめてイツキだけは助けたいと思うだろう。
「それはそうかもしれないが――その話は、真実か」
 予定より前の襲撃や、これまでの人狼のやり口を鑑みると、ユズリハが純粋な気持ちでそう言っているとは思えなかった。
「私ね、人狼の必勝法を考えたの! こうして、カケルと相談して、毎日GJを出し続けて貰えたら、もう誰一人死ななくて済む。人狼は襲撃をしなくてはならないけど、カケルが居る限り、村の皆は救われる。村が毎日襲撃に怯えることも――なくなる」
 カケルは目を瞠った。確かに、ユズリハの言う戦法が毎日取れれば、もう誰一人として死ぬ必要はなくなる。
「カケルはこの村の――この世界の英雄になれる。平和を導いた狩人として。私たちは、伝説になれる」
 艶やかな赤い唇で、ユズリハは蠱惑的にカケルを誘う。
「英雄なんか、どうでもいい。それよりも、今夜イツキを襲撃しないというのは、本当なのか」
 ユズリハは、艶然と微笑んだ。
「信じて――いいのか」
「私の声は、どう頑張ってもカケルには届かない。それはわかってる。でも、信じて貰うしか方法がないよ。どうしたって、証明なんか出来ない。カエデを救ってあげて、カケル。貴方にしか出来ない。役職持ちであるカエデを救うことは、他の誰にも出来ない」
 真摯な瞳で、ユズリハは真っ直ぐにカケルを見つめた。カケルは言葉に詰まる。早く役職持ちを見つけなければならないと思っていた。だが――当の人狼から、それを知らされることになるとは思いもしなかった。ユズリハを――人狼を信じて良いものだろうか。
(もし、カエデが霊能者であれば、今夜確実に村は役職を一人、失うことになる)
 占い師と霊能者のラインが出来ている今ならば、占い師の保護が絶対だ。しかし、占い師の居場所は未だ分からない。現時点でカケルは、何の役職もないイツキを私欲で守っているだけに過ぎない。それは果たして、狩人としての務めを果たしていると言えるのだろうか。更に言うならば、ユズリハの提案は完璧な平和への導きだった。狩人が未来永劫GJを出し続けられるならば、もはや人狼というゲームは成立しなくなる。ユズリハも仲間を失い、生き残る道を必死に模索しているのに違いない。ユズリハの言葉の裏から、その打算は読み取れた。カケルを「人狼側」に引き込むことを失敗した今、ユズリハがカケルと結託するには、「村人側」に情報をリークするしかない。GJを出し続ければ、平和な村になった証としてゲーム終了時も大々的に称えられる。かつて成し得なかったこととして、村の歴史に名を残すだろう。
(けれど――ユズリハを、信用して、本当に良いのか)
 信じて貰うしかない、とユズリハは言う。それしか方法がないこともわかっている。どうあっても、証拠品が出せるはずもない。それこそ、カンナギに貰ったスマホのようなものがなければ、口約束以外のどんな有効な手段も取れない。
「最後に――教えてくれ。もう一匹の人狼は、誰だ」
「そんなに疑われてるだなんて、心外だなぁ。でもカケルにならいいよ。本屋の、井手さん。あの眼鏡の。意外でしょ?」
「井手……」
 あまりにもすらすらと紡がれた敵方の名前は疑う余地すらなかった。糸目で、どこか爬虫類を思い出させる容姿の店員だった。見ようによっては、すらりとして見目が良いとも言える。
(成程。凡庸な村人にしておくには惜しい、か)
 チャンネルで人気の人物やアンチの意向で役職が決まっているならば、井手は開眼したときの本気を見たいというファンの意向に違いない。村人にしておくには惜しい逸材。普段は目立たないが、振り切った悪役を与えてみたくなる気持ちも分からないではなかった。カケルが考えるに、信憑性は高い。
「知ってた? 井手さんすっごく優しいよ。ユズリハちゃんのしたいようにしようって言ってくれるの。あんなに優しい人だなんて知らなかった」
 ユズリハはにやりとする。
「妬いた?」
「いや。全然。寧ろそんなに優しい相棒なら、イツキやカエデを襲撃するのを止めるよう説得してくれよ」
 強張った声で言うカケルに、ユズリハは溜め息を吐く。
「カケルはそーだよね。いつも、私よりイツキが大事」
「何だって?」
 風の吹き荒ぶ音でよく聞こえない。他のこんな場所を選んだのは失敗だったかと後悔した。ユズリハはかぶりを振る。
「んーん。ねえ。こんな争い事なんかもう全部止めちゃってさ。引き分けでゲームを終わりたいね。そうすれば……もう誰も死なない」
 ――引き分け。村陣営の勝ちで終わるしかないと思っていたカケルには目から鱗だった。
「そんなことが――可能なのか」
 村人側は勿論、人狼陣営との連携が必須だ。果たして、そんな夢物語は実現するのだろうか。これまで、ただの一度も、そんな結果がもたらされたことはない。何しろ、前例がない。だからカケルも考えたことがなかったのだ。
「出来ると思うよ。きちんと話し合いさえ出来て、信頼関係があればだけどね」
 さして難しいことではない――ユズリハはそう言わんばかりだ。カケルは意外なユズリハの一面を見た思いだった。これまでは、カケルにとってユズリハは喜ばしい存在とは言い難かった。閉鎖的な村社会で、一方的に思いを寄せられ、正直に言えば迷惑だとさえ思ったこともある。だが、ユズリハが人狼をこうした見方で、新しい結果を導こうとしているならば、少し見方は変わって来る。
「――わかった。ユズリハを信じる」
 引き分け。その未来へと村を先導出来るならば、ユズリハを信じてみてもいいのかもしれない。ユズリハの顔つきはぱあっと明るくなった。いつもの快活な表情が戻っている。
「本当っ!?」
「――ああ。イツキと話し合って決めるが、俺は、今のところ両陣営の引き分け狙いでいこうと思う」
「――うん。わかった」

 思いのほか、話し合いは穏便なものとなった。あとはイツキに相談するだけだ。イツキは教室で、カケルの帰りを待っていた。
「ユズリハが――そんなことを?」
 イツキは驚いていた。確かに、村人陣営に人狼をリークし、引き分けにしようと画策する人狼など、史上初だ。
「どうやら、向こうも一匹既に落ちて焦っているらしい。引き分けを持ちかけられた。しかもどうやらカエデが霊能らしい。俺は、今日カエデを護衛するように言われている」
「カエデは――霊能者なの……?」
 眉根を寄せて、イツキは呟いた。
「カエデもどうやら役持ちだというのは間違いないようだ。占いではないと聞いている。だから霊能としか――思えない。ユズリハから、今日カエデを守らないと、襲撃でカエデが死ぬと言われた」
 しかし、イツキの顔は曇ったままだ。
「それ――狩人の誘導、じゃないよね?」
 狩人にここを守れ、そこを守れということは、村陣営にも禁止されている。狩人の護衛先を透かすことで、人狼が襲撃しやすくなってしまうからだ。
「俺も考えた。その可能性は正直否定出来ない。だが、カエデを見殺しにするのも気が引けて――凄く迷ってる。イツキはどう思う?」
 色素の薄いイツキの瞳は、思案するように翳った。
「僕も本当にわからないよ。ユズリハがカエデを助けて欲しいって言うのなら、真実なのかもしれないけど……。狩人の誘導、という線はどうしたって消えるものではないから――でも、僕はカケルを信じる。村陣営の一人として、カケルの意志を尊重したい」
「イツキ……」
 カケルが二日目にイツキを守ってGJを出したことは伝えていない。本人に直接そう言うことは、恩着せがましいようで気が引けた。イツキも、カケルには何も聞かなかった。
(ユズリハが協定を結びたいと言う以上、今日カエデを守らなければ、引き分けへの道は断たれることになる)
 カエデが死ねば、和平への道はなくなったも同然だ。そして、カエデが霊能者であれば、村陣営は役職を欠くことになる。
(――賭けて、みるか)
 イツキから守りを外すことに不安はある。だが、村の役職を欠けさせてまでイツキを守り続けることは、カケルの明らかなエゴだ。客観的な理由など何もない。ただイツキを守りたいからというだけで、そうしている。ようやっと、狩人本来の仕事をするときが来たのかもしれない。
 イツキと別れたあと、カケルは物思いに耽ったまま、帰り道の山道を歩いた。無数の鴉が、電線に止まり赤い瞳を光らせている。常なら騒がしく鳴き叫んでいる鴉たちが、何の声も発さない。辺りには夕焼けを孕んだ夜の帳が下りて来ている。この世の終わりを映し出したかのような、不吉な朱が頭上を覆っている。カケルは思索に耽っていてそれには気付かなかった。喪に服した真っ黒い制服で、まるで世界の終焉に向けて歩くかのように、ゆっくりと歩みを進めた。

 ***

 意を決して、古びた地図の守りを、イツキの家からカエデの家へと移動した。これが吉と出るか凶と出るかはわからない。だが、ユズリハと協定を結ぶならば、道はそれしかない。願うは引き分けの未来だ。カケルは祈るような気持ちで、GJの出る朝を願った。

 審判の夜が明けた。カケルは早朝に起き出し、神社の前へと走った。神社の前には、掲示板が設置されており、襲撃や占い師、霊能者の内容はすべてそこへ反映されることになっている。人狼神社は二十四時間体勢で人狼ゲームを担っており、早朝にはすべてが明らかになっている。家から走って訪れた掲示板の前には、新しい占い師の結果は記されていなかった。
(あれ――まだ、なのか)
 もう朝の五時になろうとしている。そろそろ結果が出ても良いはずだ。
 ついと掲示板に目を走らせる。カケルは、絶句した。
 掲示板には、襲撃に遭った家の名が記されている。
 そこには――百日紅家、という簡素な文字が並んでいた。イツキの苗字だ。この村には百日紅という家は一件しかない。
「う、そだ……。嘘だ……そんなはずない……!」
 昨日、ユズリハは、襲撃に遭うのはカエデだと言っていた。だから、今日は襲撃に遭うのは鬼頭家でなければおかしい。その為に、わざわざイツキの家を守りから外したのだ。理解が追いつかない。昨日、イツキはカケルと話していたではないか。カケルの相談に、イツキは乗ってくれたではないか。イツキは――カケルの親友であり、最も大事な人だったではないか。今になって思う。何故それほど、大事な親友から、護衛を外したのか。
「騙され……た……?」
 からからに乾いた声が霧の中に響く。冷静なつもりだったが、言葉巧みにユズリハに守り先を誘導された。まだ村が一度も成し得ない、永劫の平和、「引き分け」という甘い文句に誘われ、陥れられた。
「く、っそ……クソッ、クソオオオオオオ!!」
 イツキはもうこの世にいない。自身の命よりも大事な親友は、カケルがうっかり人狼の口車に乗ったせいで、殺された。人狼に。
 ――ユズリハに。
 血が沸騰するように燃え滾る。溢れ出る涙は赤い色をしているに違いないと思うほど、四肢がばらばらに引き裂かれそうだ。獣のような荒い息を繰り返す。このまま、ユズリハの家に殴りこみ、家族もろとも殺してしまいたいとさえ思った。早朝の掲示板の前で、カケルの慟哭が響く。それを聞きつけてか、神社の中年の巫女が現れた。
「――誰かと思えば、貴方でしたか。どうかまだ朝も早い。お静かに」
「けど……っ、イツキが……」
「昨夜の襲撃は百日紅家で間違いありません。お気の毒ですが……」
 カケルを落ち着かせようとしているらしいが、とてもそんなどころではない。
「占い師の結果は、まだですか。掲示板に更新されていません……!」
 詰め寄ると、巫女は静かに嘆息した。
「掲示板は、すべて更新済みです。占い師からは、連絡がありません。その意味は貴方ならおわかりでしょう。霊能者は昨日の村会議が票割れの為、吊られた村人がいなかったので、生存のみ確認しております」
「まさか……」
 カケルは一層青くなる。
 真の占い師は――イツキだったのだ。イツキの家はイツキ以外役職が済んでいると聞いていた。今役職に就ける者は、イツキしかいない。
 足元から地面が崩れていく心地がする。カケルはたった一晩にして、親友と、村で一番大切な、占い師を失ったのだ。
 まるで信じられない。世界の在り方が間違っているとさえ思った。愚かな自身を叱っても、何一つ元には戻らない。だが、カケルにもただ一つだけわかることがあった。
 ユズリハは、最初からそうするつもりだったのだ。イツキが占い師だと知っていたから、カケルが守護していることに気付き、守りを外すように仕向けた。昨日の話し合いは、ただ単にイツキから狩人の守護を外すことだけが目的だったのだ。浅はかだった。ゲームの引き分けなどと甘い言葉で誘い出し、まんまと約束を破った。人狼の甘言に耳を貸した愚かな自身を呪った。
「イツキの家に行っても……?」
 巫女に問うも、巫女は静かに首を横に振った。
「神社の処理方が、襲撃に遭った家に伺うまでは、禁じられております」
 ぐっと拳を握りしめた。
「親友が――殺されても、何も出来ないと言うんですか……」
「百日紅家の通夜でしたら、近々通達が――」
「そうじゃない!!」
 カケルは自分の背より低い巫女に詰め寄った。巫女は中年の、何の変哲もない女性の顔立ちをしていた。人狼ゲームに勝ち残った者たちだと聞いていたが、特別なものは何もないように思えた。今も、カケルの剣幕に押され、微かに震えている。
 ――あんまり表に出すと、今度はお前が疑われる。上手くやるんだな。
 人狼神社のことを、カケルはカンナギから教えられている。中立に見せかけた人狼神社が、実際人狼側に付いていると知ったら、村人たちはどう思うだろう。
(それとも、俺の妄言だと、言われるか)
 何の権力もないカケルがそう言ったところで、気狂いだと思われるのがオチだ。怯える巫女からカケルは距離を取った。
「すみません、取り乱しました――」
 諦めたわけではない。ただ、今この巫女といざこざを起こしたからといって、何も解決しない。それよりも、イツキを失った無力感が、カケルを苛んだ。掲示板と、階段に座り込んだ巫女に背を向ける。行きは、もしかすれば二連夜のGJだと、甘く考えていた自身が恨めしかった。

 たった、一度。たった一度隙を見せただけで、人狼に一番大事な人を殺された。人狼ゲームは一瞬たりとも油断できない、殺し合いだ。カケルには漸くわかった。引き分けなどありえない。人狼と村人陣営の歯車が少し狂うだけで、惨劇が起きる。もう二度と、信頼関係は戻らないだろう。一度裏切られれば、敵を信用することは出来ない。自分一人の命ではない。自分一人の甘さが、村人全員を殺す。漸く、そのことに気付いたのだ。
「終わらせる。このゲームを一刻も早く、俺の手で」
 イツキの、村の占い師の仇を取りに行く。優秀なイツキのお蔭で狼は早くも残り二匹だ。
「あいつらは、正真正銘の――獣だ」
 人狼はもはや人ではない。役職を拝命したときから、人ではなくなった。人間を襲い、食らうだけの、ただの化け物だ。
「俺は――狩人だと、今日COする」
 カケルは決めた。今日、COカミングアウトする。村の吊会議にCOがあると言って、出席するつもりだ。普段はカケルの父親など決められた人間が吊り会議に出席している。許しがなければ参加することは出来ないが、役職のCOはまず出席を断られることがなかった。役職のCOは、歓迎される場合と歓迎されざるべきときがあるが、今回のタイミングは残すところ人狼二匹。悪くはないはずだ。
「こちらにも――カードはある」
 ユズリハとの対話に、カケルとて丸腰で挑んだわけではない。

 ***

 帰りがけ、イツキの家を遠くから確認出来る帰路を通った。それぐらいは許されるだろうと思ってのことだったが、イツキの家に入っていく数人の人影を見つける。
(人狼神社か――)
 カンナギにも似た防護服を着ているので、何者かはわからない。だが、どうやら家の中から大きなずだ袋のようなものを一つずつ運び出している。カケルはハッとした。
(あれ――は)
 丁度人間一人がすっぽり収まるようなサイズだ。中に入っているのは、百日紅家の骸に違いない。カケルはきつく目を瞑った。とてもではないが、直視出来ない。あの中には、カケルと一番仲の良い、親友であるイツキが、入っているのだ。人狼神社では、怒りで抑えられていた涙が、次々と溢れた。
「イツキ……」
 どれだけ泣いてももう遅い。イツキは、カケルが守れたはずだった。カケルがその命を散らすまで、守ることの出来た相手だ。他の誰にも出来ない、「狩人」にしか出来ないことだった。更に、イツキは村の優秀な占い師だった。それを最後までカケルに言わなかったのは、「占い師だから僕を守ってくれ」と言えないイツキの性格ゆえだった。言えば、カケルはカエデではなく必ずイツキを守る。それをわかって、カケルを困らせないために、最期まで何も言わなかった。
 暫く涙が流れるままに、手を組んで俯いていた。まるで祈りを捧げる敬虔な信徒のように、カケルは芝生に屈んでずっとそうしていた。漸く顔を上げると、既に骸を運んでいた人々の姿はなかった。
(イツキ――ごめん……)
 自身の僅かな油断が、友人を殺した。それは償いきれる罪ではなかった。カケルは早朝の風に吹かれ、イツキを悼むように佇む。
 ゆっくりと、漆黒の瞳を開く。新しい命を吹き込まれたかのように、カケルの中には静かな青い炎が燃えていた。音こそないが、水を掛けられようが簡単には消えない。静かな決意が全身に満ち足りていく。
(命を賭けなければ――勝てない)
 隠れたままやり過ごそうとしていては、このゲームには勝てない。カケルの命の危険は、段違いに上がるだろう。だが、もう今日しかない。

 ***

「永墓カケル。役職COの為、村会議に召致をお願いします」
 村会議に申請すると、役場の最上階にある重厚な扉が開かれた。実際に会議が行われるこの場に足を踏み入れるのは、カケルも初めてだ。ものものしい雰囲気と、ぐるりと円形に座した村人たちが目に入る。窓もない、窮屈な部屋だ。座る間もなく、真ん中の召致席に通された。
「永墓カケル。COがあると聞いたが」
 議長らしき村人から、カケルへ質問が下される。心配そうなカケルの父親が視界の端に映った。
「はい。COと情報提供があります。俺は、この村で狩人の役職を拝命しました」
 場がどよめく。
「COがあれば、公式に発表することになる。それをわかってのことか」
 本来、狩人の役職は人狼にとって厄介な為、人狼に一番に狙われる役どころになる。公表した場合、カケルの命が危ない。そう危ぶんで口を挟んだのに違いない。
「承知しています。昨夜の襲撃で、一番の親友でもある百日紅イツキが命を落としました。彼は、村の占い師だった。俺は今朝それを知りました。二日目にGJが出せたのは、俺がイツキを守っていたからです。イツキに役職があると知らずに――人狼に言葉巧みに誘導され、イツキから守りを外すよう唆され、まんまとそれに乗ってしまった――俺の咎です」
 大人たちは息を飲む。
「君は――人狼が誰だか知っているのか?」
 ゆっくりと、カケルは頷いた。息を吸いこむ。
「不死川ユズリハ。彼女が――彼女こそが、人狼です。ユズリハは、俺が狩人であることを何故か最初から知っていました。それで、俺に提案してきたのです。人狼側に寝返らないか、と」
 先ほどより一層、村会議の座がどよめいた。それが本当なら、事態は急変する。カケルは、ポケットに忍ばせていたスマホを取り出した。カンナギから託されたその機械のボイスレコーダーを再生する、
「カケルから話があるなんて、嬉しいなぁ。この前のこと、考えてくれた? カケルに『人狼こっちがわ』に来て欲しいって話」
 ユズリハの声が、鮮明に室内に響く。
 カケルは、ユズリハとのやり取りを、すべて録音していた。いざというときの為でもあった。カンナギから下されたスマホは、圏外であって、通話すら出来なかった。カンナギも元々そのつもりで、他の何にも使えないと知っていて、スマホを渡したのだろう。この時代にも、カセットで録音出来る機器はある。しかし、それはかなり大がかりなものだ。ただ、それを高性能と小型化したものを、カンナギから貰っただけなのだ。だが、ユズリハはそんなものがあると知らないから、録音機などないと思い込んで、話をしたに違いない。
 ――これが、俺が出来るギリギリの範囲だ。
 カンナギの声が聞こえるような気がした。唖然とした村会議のメンバーたちは、録音した会話の一部始終を信じられないもののように、息を飲んで聞き入っていた。
「まさか――人狼側がこのような――……」
 絶句した村人たちに、カケルは高らかに宣言する。
「以上の内容から鑑みて、不死川ユズリハを吊り対象へと提案致します。万一人狼ではなく狂人であったとしても、この行動は村にとってもはや一片の利益もありません。俺は、ユズリハが人狼だと思っています。人狼仲間の井手――もし俺の記憶が正しければ、ユズリハが人狼になる前に、個人的に井手と接触したことはない。人狼の情報を信じているわけではありませんが、ユズリハはこのとき言いよどむこともなかった。会話のレスポンスの早さといい、真実味があります。不死川ユズリハ、井手の二人を人狼の吊り候補として下さるようお願い致します」
「それは――構わないだろうが、君の安否は」
「もう黒は一匹吊れています。残すは二匹と狂人。人狼さえいなくなってしまえば、狂人は為す術もない。このまま、進めてください」
 会議のメンバーは顔を見合わせ、即座に必要な手立てを整えた。
 今日の吊り候補は、満場一致で、不死川ユズリハに決定した。異論を唱える者はなかった。
「これから、学校に居る不死川ユズリハを捕らえに行く。カケルは――どうする」
 カケルの父は、気遣わしげな視線をカケルに送った。目の前の一点を捉え、カケルは迷いのない声を放つ。
「俺も行きます。この目で――真実を確かめる。イツキのときのように、もう知らないところでことが起こって――終わることは、嫌なんだ」
 学生鞄を肩に掛け、カケルは立ち上がった。不死川ユズリハは、イツキを死の淵に追いやった。ならば、イツキを救えなかった代わりに、今度はカケルがそうするしかあるまい。
(永久に引き分けの話を聞いたときは、ユズリハともわかりあえるかと思ったが)
 今更言っても詮無いことだが、誰もが夢みる桃源郷、「永劫の平和」はやはり作り出せなかった。しかし、それほど簡単なことならば、これまでにも平和は実現しているはずだ。つまり、人狼側と村人陣営が協力することは、現実にはほぼ不可能なのだ。騙されたとわかった今でも、それしか方法はないと言えるほど、「両者引き分け」はカケルの悲願だった。
(残念だ――本当に)
 もし、イツキの役職が占い師だと分かっていれば。もし、ユズリハと手に手を取ることが出来ていれば。このくだらないリアリティショーとやらが、根底から瓦解することも有り得たはずだった。
(そんなことは分かっている。分かっているから――終わらないんだろうな)
 平和への道は、砂漠の中、一粒の砂金を探し当てるようなものだ。誰もが、人狼ゲームに未来永劫の平和などないことを知っている。それでも――イツキが亡くなった今でさえも――カケルは、その夢を諦めることが、出来なかった。

 村人陣営の警護担当が数人、防弾チョッキや対戦闘用装備を整え、カケルの学校へと向かった。カケルの父親は、まだ仕事があると役場に残り、カケルは登校するため、警護団に付き添う。教室は授業中で、担任やイツキが姿を消そうとも、何ら変わりない日常が続いていた。
 イツキの席には、誰も座っていなかった。
 苦々しい気持ちで、カケルは廊下に待機する。さすまたを持った警護団が「失礼」と声を張り上げて、ずかずかと教室に入り込んだ。
「本日の村会議で、不死川ユズリハが人狼だという明確な証言があった為、今から吊り会議に同行を願います」
 教室が騒然となった。それはそうかもしれない。これまでにこやかに接していたクラスメイトが人狼だと知れば、騒ぎになるのも致し方ない。
「何で……!? まさか、カケル……!?」
 腕を掴まれ、引き摺り倒されながら、ユズリハは信じられないといった瞳で、廊下に居るカケルを見つめた。
「私を売ったのね!? カケル!!」
 人狼は、夜にならねば変身出来ない。しかし、金切声を上げたユズリハはもはや、獣のそれだった。カケルは静かな炎を瞳に灯し告げる。
「どの口がそれを言うんだ。俺はイツキを守っていた。その守りを言葉巧みに外させ、友人であるイツキを殺したのは、お前だ。ユズリハ。お前なんかの言うことに少しでも耳を貸した自分を、酷く後悔してる。この村にとって、お前は何の得にもならない。犯した罪を、地獄で後悔するんだな」
 カケルの絶対零度の声音が響く。罪人のように引っ立てられながら、ユズリハは叫んだ。
「何が私の罪よ! 人狼は、村人を襲撃しなければならない、そういう役割りと知ってるにも関わらず、騙されたカケルが悪いんじゃない! カケルは、私の気持ちを知ってるのに、ずっと、イツキイツキって……カケルはイツキしか見ていなかった! ゲームが始まってもそう! イツキが役持ちだって知りもしないのに、ただの村人だと思ってイツキを守っていた! 私がカケルの目を醒ましてあげたのよ! イツキが死ねば、私の言うことにも耳を貸してくれる! イツキじゃなく、私のことを好きになってくれる!! そうでしょ!?」
「……そんな詰まらないことの為に、イツキを殺したのか」
 カケルの声音が殺気立つ。
「ユズリハ。お前が何故今こうしてのうのうと生きていられると思う? 本来なら、お前は一日目にしてイツキに黒判定を受けているはずだった。お前が、俺に人狼だと明かしたことも、すべてイツキに相談していた。イツキは占い師だ。一日目にお前を占って、早々に退場させることも可能だった。――何故、イツキはそうしなかったと思う? 俺がカエデを守ろうかと持ちかけたときも、そうだった。自分が占い師だから、俺に守ってくれと言えばそれで良かったんだ。俺もイツキにはそうして欲しかった。だが、イツキは何故そうしなかったと思う?」
 カケルは言葉を切った。
「――お前が、友人だったからだ。ユズリハを占えば黒と出る。だから占わなかった。カエデを守るなと言えば、カエデが死ぬかもしれない。だから敢えて俺に何も言わなかった。自分が死ぬかもしれないとわかって、お前らさえ守ろうとしたんだ!! それなのに……お前は、そんな詰まらないことの為に――友人を、イツキを簡単に殺した……」
 イツキが襲撃を受けたときのことを思うと、やりきれない。カケルは涙声になる。
「お前らに、イツキが命を賭ける価値があったのか? 誰よりも優しいイツキより、お前らには存在意義があるのか? なぁ、教えてくれよ。俺の最愛の人間を奪った。もう、どれだけ泣き喚こうが、イツキはこの世にはいない……。お前らの、つまらない思いで――」
 さすまたと屈強な男たちに取り囲まれて尚、ユズリハは叫んだ。
「つまらないことなんかじゃない!! 私は幼い頃からカケルだけを思って生きてきた! その気持ちは何よりも大事なものだよ! イツキには悪いことをしたと思ってる。けど、カケルが好きだから――!! 好きになって欲しかったから……!!」
 カケルはふ、と口角を上げた。
「ずっと言おうと思っていた。俺がユズリハを好きになるなんてことは、一生、世界が二人になろうが有り得ない。それどころか、イツキを殺されて、お前には友人としての信頼も、ひとかけらも残っていない。お前に抱いている率直な気持ちを言う。――死んでくれ。ユズリハ。イツキを殺した罪を、その命でもって償え」
 初めて、ユズリハは勝気な表情に絶望の色を浮かべた。好きな相手に告白して、絶命を願われることなどそうそうない。
「や、だぁ……っ! やあだあああっ、死に、死にたくないいいっ! 私まだ、死にたくない……っ! こ、んな、こんなの、嫌あああ! たすけ、助けてええええええ」
 断末魔のような悲鳴をユズリハが上げる。警護団がそれを取り押さえた。
「イツキが襲撃を受けたとき、きっと今のお前と同じように思っただろうな。俺は、イツキを助けてやれなかった。ごめん――イツキ」
 周囲の人間がどれだけ不機嫌な顔つきでも、イツキだけは始終笑顔を浮かべているような、誰に対しても天使のような少年だった。ユズリハの悲鳴が教室中に響き渡る。クラスメイトは皆、距離を取るように端に寄り、人狼に怯え身を寄せ合っている。ユズリハの近くにいたカエデだけは、ガタガタと震え、俯いたままだ。ユズリハは泣き叫んだが、今日の吊り対象である為容赦はない。数人がかりの男たちが居れば、小娘の挙動などいとも簡単に封じ込められる。
 カケルはこのまま学校に居ようかと思ったが、今日まともな授業が行われる様子はない。ユズリハの結末を見届けようと、人狼神社へ向かった。ユズリハは役場に行くのではない。このまま人狼神社に身柄を預けられ――殺される。
狼穴ろうけつに放り込まれると聞いているが)
 何と言っても人狼神社は中立ではない。姑息な真似をして、ユズリハを逃がされては敵わないといった思いもあった。
 
 人狼神社に到着し、境内の前まで来る。
「御用ですか」
 巫女がしずしずとカケルに声を掛ける。
「今日、吊り対象の不死川ユズリハが、此処で処刑されるはずです。立ち会うことは出来ますか」
「案内しましょう」
 あまりにもスムーズな返答に、カケルは面喰った。
「良いんですか」
「元々、立ち会いは許可されています。――ただ希望する方が殆どおられないというだけです。永墓カケル様。立ち会い希望ですね」
 確かに、人の死に際に立ち会いたいという悪趣味な村人はそうそういないのかもしれなかった。
「お願いします」
 しかし、カケルは人狼神社が中立でないことを知っている。カンナギの入れ知恵だが、それを表に出してはならない。しかし、巫女は、カケルの思惑を知っているかのように告げた。
「そんなに心配なさらなくても――規則通り処刑は実行されます。出来損ないの人狼は、処分しなくてはなりませんから」
 巫女は口元を隠しながらくつくつと笑んだ。真白い小袖と、紅の長袴を身に着けた巫女は、妙な気味悪さを感じさせる。儀式の際のように、神社の中にある長い廊下を抜け、穴蔵のような場所を通り、遂には、広い敷地にある裏手――ようやっと外だ――に辿り着いた。
「なんだ……これは」
 人の手ではありえないと思うほど、地中深く深く掘られた穴は、隕石でも落ちたのかと思うぐらいだ。形は円柱形で、大きな井戸のようにも見える。幅は十メートルを優に超えており、相当に広く深い。底は真っ暗で、見通すことが出来なかったが、どことなく嫌な匂いが這い上がってきていた。間違って落ちたとしても、引き上げることはまず難しいだろう。その前に、落ちれば絶命は必至だ。
「噂には聞いたことがおありでしょう。狼穴、という吊られた方を落とす穴です。村会議で、吊られることになった方は皆ここに。まぁ、全員が人狼だったということはないでしょうけれど」
 カケルはごくりと唾を飲む。生臭い死臭を運んでくる、蠱毒のような狼穴は、これまで投げ落とされた人たちの怨念が中から漏れだしてくるようだ。這う手に引きずり込まれそうで、カケルは後ずさる。ほどなくして、ユズリハの泣き叫ぶ声が聞こえた。まだ命乞いをしているのか、しきりに周囲に助けを求めている。狼穴の近くに居るカケルを見つけて、駆け寄ろうとしたが無数のさすまたに阻まれた。
「カケル!! お願あああい助けてええええ!」
 カケルは返事をしない。先ほど言いたいことは言ってしまった。これ以上、ユズリハと押し問答をするつもりはない。今はただ、静かに送ってやるのが良いだろう。
「カケル……! カケルがこんなに早く勝負を掛けて来るなんて思わなかった! まだ井手さんが残っているって、言ったじゃない! カケルらしくもない……! 井手さんに噛まれちゃうよカケル!!」
 遂には気が狂ったのか、ユズリハは甲高い笑い声を上げて、酔漢のように奇妙な動きをする。どうにも人間離れしたその様子に、カケルは眉を潜めた。けたけたとユズリハは嗤う。
(獣に――堕ちたか)
 役職持ちは、受け取った役を自身の運命のように感じる。そう、、であることが当たり前のように思うというのだから、人狼もきっとそうであるのに違いない。占い師や霊能者、狩人らは村の為に動く役だから人間として振る舞えるが、人狼がその役職に染まったとき、もはや人間とは言い切れないのではないかと、カケルはぞっとした。
 さすまたで小突かれ、ユズリハは徐々に狼穴へと追い詰められる。
「下がって!」
 警護団が叫ぶ。狼穴に落ちては助ける術はない。カケルはユズリハの手の届かない場所へと非難した。さすまたに抗っていたユズリハだが、もはや逃れることは出来ない。それでもユズリハは、気狂いのような笑い声を上げており、辺りを震撼させた。
「――村会議により、不死川ユズリハの処刑を執行する!!」
 最後の一突きは、ごく浅いものだった。幾本ものさすまたが、ユズリハを軽く押し出すように、狼穴へと落とす。
「ばいばい。好きだよ。カケル」
 最期の最期まで、ユズリハはカケルに向かって歪んだ微笑みを残し、中空から姿を消した。カケルは思わず目を背けた。イツキを殺したのは紛れもないユズリハだが、ユズリハもカケルの友人の一人であったことにまた間違いはない。最後までユズリハの結末を見届ける精神力は、まだ幼いカケルにはなかった。ユズリハは悲鳴を上げながら、奈落へと落ちていく。
 狼穴はどうなっているかなど、もはや考えたくもなかった。
「放て!」
 松明が次々と穴に落される。
「火まで……!?」
 唖然としたカケルは、巫女に問いかける。
「これは、村の優しさなのです。周りが死体だらけの穴の中で、即死にもならず死ぬのを待つのは、無残過ぎるということで、こうしているのです」
 カケルは息を飲む。落ちれば絶命するはずの穴で、万一生きていることがあれば、いっそ火をくべて欲しいと望む者は確かに居るかもしれない。カケルが人狼の役職を拝命していたら、今頃ユズリハは自分だったかもしれない。警護団が手向けの言葉を口にし、予め用意されていた白い百合を投げ込んだ。もし穴の中で炎が燃えているならば、闇の中、真っ黒い百合と化してしまっているだろう。
 イツキも、ユズリハも死んだ。四人で課外授業や遊びに出たことが、走馬灯のように思い返される。あの日はもう二度と帰らない。ひぐらしの鳴く中を、自転車を押して家路に着いた日も、近くの喫茶店でだらだらと時間を潰した思い出も、もはや何の価値もない。すべては泡沫うたかたのように、消え失せてしまった。
「立てますか」
 気付いたときには、夕闇が辺りを覆う頃だった。狼穴の前に、膝を着いたままのカケルに、見かねた巫女が声を掛けた。四人で笑いながら帰ったときと同じ、ひぐらしの声が何の感情もなく辺りに響いている。
「帰ります」
 カケルはようやっと立ち上がった。どれぐらい此処にいたのか。すべては終わってしまっていた。

 

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