見出し画像

友達が見ていた,まさかの私

今回は,X(旧Twitter)に投稿したエピソードをもう少し詳しく述べていきます。

“生きづらく見られている” と知ったのは,友達からLINEが来たときでした。

「なかなか返事できなくてごめんね。今子どものことで悩みがあってすごく落ち込んでて。それで,ある先生の動画をよく観てるんだけど・・・」

何でも,そのときに観た動画が私に当てはまる内容(友達曰く “悠実そのもの” )だったらしく,続きにはこんな一言が。

「悠実の生きづらさにすごく近く感じたんだよね」

まるで私がそう感じているかのような言い方。とてもショックでした。それに悲しかったです。

とりあえず送られてきた動画は観ましたが,どこが当てはまっているのかよく分かりませんでした。見当が付いたのは,大まかに言えば “考え方の応用が利かない” という内容くらい。私はモヤモヤした気持ちで返信しました。

「特に生きづらさは感じてないから大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」

友達の思いを無下にしたくはなかった──。一瞬の仏心が,本心を抑え込んでしまいました。当然,後悔と憤りが湧いてきます

──も~,もっと強く否定すれば良かった!! 何で勝手に “生きづらい” って決め付けるの!?

最後に友達と会ったとき,私は近況を話しました。具体的には,“これから自分がどう働いていくか(仕事のこと)” とか “夜更かしのような生活になっている” とかだったと思います。細かいところまでは覚えていませんが,こちらとしては前向きに考えて(取り組んで)いることを伝えたつもりです。とにかく絶対に「生きづらい」とは言っていないので,友達の一方的な思い込みでしょう。

そこで思い当たることがあります。会ってしばらく経った頃,友達がリベンジ夜ふかしの記事をLINEで送ってきました(※こちらのブログでもチラッと述べています)。そのときに「これって悠実のことじゃない?」とか,「話を聞いたとき,子どもの困り事と似てるって思った」とか言っていたのです(※2023. 12. 24修正)。

おそらく友達は,自分の子と重ねて私を見ているのではないでしょうか。そのせいで,例えば “子どもが生きづらそうだから,悠実も生きづらいんだ” と無意識のうちに思い込むようになった。だからあんな一言を送ってきたのではないかな,と。

友達も友達で辛いのでしょう。もしかしたら,今は考え方の視野が狭くなっているのかもしれません。それでも,“生きづらいんだ” とは決め付けてほしくなかったです。

川柳の動画も応援してくれているのに,まさかの一言でした。本当にショックで悲しくて,友達の中には “架空の私” が存在しているように思えてなりません。

友達とは10数年の付き合いです。一体,私の何を見ていたのでしょうか。

私は,今が一番生きやすいです。それなりに悩みはあっても,今の自分が好きだとはっきり言えます。色眼鏡を通してではなく,直に “私という人間” を見てほしいです。

最後まで読んでいただき,ありがとうございました。

▼川柳の動画もぜひご覧ください!

頂いたサポートは,趣味や夢のために使います(※川柳集の出版や動画撮影用の機材購入など)。少しばかりで構わないので,ご協力いただけると嬉しいです。