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「運命の人」とは、「理屈抜きに」自分が変われる人。

私、初めて本気で好きになった人と別れた時、本気で病んで心も体もおかしくなって、病院に通ってたことがあります。

と、冒頭から若干ダークですが、

今、振り返ると、あんなにも夢中になって忘れられなくて、という恋でしたが運命の人とはほど遠く、これから書く運命の人とは真逆のような彼氏でした。


運命の人を語ろうとする時、

何においても「理屈抜きに」という言葉がとてもしっくりきます。

こんなにも好きなのだから運命の人に違いない、と思いたいでしょうが、とっても好きな人=運命の人、とは限りません。

こんなに好きなのに、と、どこか頑張っていたり、不安な気持ちがつきまとっていたりするならなおさら。


どういうことか、具体的に書き進めてみようと思います。


理屈なんていらない。
無意識に変われる自分。

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♡絶対的な安心感と深い信頼感

運命の人とは一緒にいて絶対的な安心感と深い信頼感があるがゆえに、自己主張も怖くない。

例えば、これ言ったら傷つけちゃうかな、これ言って嫌われちゃったらイヤだな、などと余計な考えが邪魔して言えなかったようなことも、運命の人になら、ちゃんと伝えることができます。

しかも、伝えないことの方が不自然に思えるくらい自然に。


たとえ言い争いのようになったしまったとしても、ちゃんと収束するし、その後は決して嫌なしこりを残しません。

さらに、二人っきりの沈黙は苦手…、

と思うことがなく、交わす言葉が特になくても、むしろ、静かな時間を共有できる喜びを感じることができるのです。


♡リラックスして地に足がついている感覚

出会った瞬間にビビっと感じるものがあった、などという話もよく聞きますが、それってちょっと違う。

一緒にいるうちに心が動いて、じわじわと運命を感じていくもの。

基本的に運命の人といるときはリラックスした状態で、ドキドキよりも落ち着くなぁという心地よさがあるものです。


落ち着いちゃうとワクワクしない、なんて思っている人、いませんか?

そんなことはないんですよ。

「ワクワク」は、よく「ドキドキ」と一緒に表現されることが多いので、ワクワクを勘違いしがちなんですよね。


「ドキドキワクワク」

これだと本当はここに「ハラハラ」もついてきますから、本当のところの「ワクワク」ではないのです。

本当のワクワクは、ハラハラのようなスリリングさは含んでおらず、心の奥底から湧き上がってくる、あたたかい感情


リラックスして地に足つけて、心の奥底からじんわりと湧き上がってくる「ワクワク」した時間を、運命の人とは過ごすことができるのです。


♡二人で1つであるような感覚。価値観も変わる。

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運命の人とは、二人で一緒にいるということが「完全」であるかのように感じると言います。

それは、今までに経験したことのないような感覚。

あなたに足りないところは、「運命の人」が埋める手助けをしてくれて、相手の足りないところは、あなたが「運命の人」として埋める手助けをすることができる

しかも、とても自然に


例えば今までの恋愛では、自分の主張が正しいと思って曲げることができなかったり、言い争いになってしまっていたような部分って、誰にでもあったと思うんですよね。

それが、その相手の前では、自分の主張を変えることがまるで苦にならないような感情が湧いてきて、無意識に価値観の違う部分を受けれたくなる。


自分には今までなかった新しい考え方に触れて、自分をバージョンアップさせていくことができるようになるんですね。

ここで大切なのは「無意識に」ということ。

そう、自然に、です。


「運命の人」というのは、お互いを高め合っていける存在

今まで自分が身につけていた価値観だけでなく、新しい角度から物事を見れるようになることで、彼との距離もまた、自然とぐっと近づくことができるのです。


単純な話でいうと、興味のなかったジャンルの音楽や映画など、趣味の分野でも受け入れられる幅が広がったり、

今まで興味がなかったことを否定せずに、興味を持って見たり聞いたりすることができますし、同じジャンルを楽しめる時間の共有が、さらなる幸せをもたらします。


よく、「彼氏に合わせるタイプ」とか「彼女に合わせるタイプ」とか言いますけど、そんな次元の低い話ではありません。

合わせる合わせないの話ではなく、

「理屈抜きに」心が動くのです。


❤︎ハマって砕けた「運命の人」とは真逆の彼の話

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冒頭で触れた、別れた後本気で病んだ彼との話を少しします。

彼とは初対面の時から、「ビビッ」と何か感じるものがあり、すぐに付き合い始めましたが、程なくして、別れたくないという不安がいつも付きまとうようになりました


「安心感」とは程遠かったとも思うし、私自身も、安心して心を預けられなかった、そう、信頼していなかったんでしょうね。

お互い、自分のことばっかりで、個と個のぶつかり合い。


それでも、二人で1つだって思いたくて、離れられない二人になりたいと憧れて、でも、そう思ってる時点でそうじゃないってことじゃないですか。

いつも些細なことですぐ喧嘩になり、でも私がいつも先に折れて、「私が頑張らなきゃ」ていつも思っていたんですよね。


とにかく夢中でした。

こんなに夢中になれるのだから、運命の人だって思っていました。

だけど、どんどん苦しくなって、最終的に私から別れを選びました。


何年も経って思うことは、私も彼も、

お互いを通して「理想の恋人」を見ていて、ちゃんと人としてお互いを見つめ合うことができなかったな、て

努力を履き違えてたし、付き合うことでお互いを独占できたと思い込んだのかもしれません。


「理屈抜きに」どころか理屈だらけで、

こうだからこうするべきだ、とか、きっとこうに違いないとか、二人の関係を正当化するのに必死だったような気がします。


この人は運命の人だと思ったけれど、そう思いたかっただけなんだってことが、今ならよくわかるのです。

でも言えるのは、その彼との出会いも別れも、彼とのいろんな出来事すべてに、たくさんの学びがありました。


彼との恋愛期間があったからこそ、次の彼との幸せにちゃんと気づくことができたのだとも思います。

幸せな人は必ずしも「運命の人」と出会っているとは限らない、とも言われますが、

たとえ運命の人じゃなかったとしても、そう思えるような、努力が努力でなくなるような、「心地よい恋愛」をしてほしいなと願います。







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