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エリート95sとの出会いの話

今回は少し趣向を変えて、レビューよりは思い出話が中心。ということで文体もエッセイ風に。
私が初めて購入した金ペン、パイロットのエリート95sの話をさせてほしい。

(レビュー部分だけ知りたい方は、中盤くらいまで適当に読み飛ばしてください)


2023年、夏

SNSでとある噂が目に入るようになった。
その噂とは「パイロットの万年筆が値上げ予定」というもの。
当時はまだ噂の域は出なかったものの、その頃の私は順調に万年筆沼にはまり、気づけば手持ちのエントリー鉄ペンたちが両手で数えられない本数になってきた頃。

そろそろ金ペンというものを触ってみたい。
そして考えてみれば、私の最初にして最愛の万年筆はパイロットのkakuno。
同じパイロットの万年筆なら、最初の金ペンとして購入しても後悔しないはず。

などなどと考えながら、噂に背中を押され(というよりは噂を口実にして)、私は金ペンを手元に迎える覚悟を決めた。

私の住む田舎町では、そもそも万年筆を置いている店がとても少ない。
あったとしても、文具店や書店の片隅にちらほらと並んでいる程度で、在庫が入れ替わる様子もなく、試筆ができる空気でもない。
そんな中で一店舗だけ、小さな店内にたくさんの万年筆が並ぶ老舗の文房具店を見つけた。
少し調べたところ、店主は万年筆にとても詳しく、遠方から来た万年筆愛好家も満足する店とのこと。
できれば初めての金ペンは試筆しながら選びたい、と考えていた私にとって、この店を見つけられたことは本当に幸運だった。

買うことは決めた。
行く店も決めた。
いよいよ何を買うかを考える。
きっかけがきっかけなので、パイロットの万年筆がほしいとは思いつつ、地方の文具店にどこまで在庫があるかはわからない。
メーカーにこだわりすぎるのはやめて、いくつか候補を挙げつつ最後は直感と在庫状況で決めよう、と私は考えた。

透明軸好きとしては、以前から心惹かれているのはカスタムヘリテイジ92。
唯一無二の機能性を持ったキャップレスも良い。
デシモはたくさんの軸色から選べて楽しそう。
デザインが素敵なのはプロギアスリムの雪月空葉。
センチュリー3776も評判が良い気がする。

メーカーのサイトとレビュー記事やSNSを眺めては目移りしつつ、気になる万年筆をどんどんメモしていった。
kakunoやTWSBIから万年筆沼に踏み込んだ私は、透明軸やポップな色味の万年筆が大好きで、いわゆる仏壇カラー(黒+金)の万年筆にはあまり興味がなかった。インク見えないし気分も上がらないし。
だいたい候補を絞りつつ、次の週末にでもあのお店に行こうか、といよいよ考え始めた頃。
SNSで偶然に、ある万年筆の写真を見つけた。
革手帳の隣に映った小ぶりで細身の軸、キャップを外すと現れるのは見たことのない美しい形のニブ。
エリート95sとの出会いだった。

エリート95sという万年筆

パイロットの万年筆の中では比較的低めの知名度でありつつも、万年筆愛好家の中にはファンも多く、隠れた名品と言われるエリート95s。
昭和の大人気モデルをベースに作られた復刻版で、

  • ショート軸

  • 嵌合式キャップ

  • インレイニブ(胴軸から首軸、ニブまでの部分が一体化したデザインのニブ)

など、現代の万年筆ではあまり見られないポイントが散りばめられている。
その上、各社のエントリー金ペンの中でもトップの低価格。(これは値上げ後の今もなおトップクラス)
……などというのも、私はそのとき調べてみて初めて知った。
この数年前、万年筆沼にはまり始めてパイロットの製品ページを端まで眺めたとき、エリート95sは私のアンテナには引っかからなかったのだ。
それなのになぜか、SNSでたまたま見かけた1枚の写真をきっかけに、エリート95sは滑り込みで購入候補に加わった。
(今になって思うのは、万年筆は工業製品であり美術品であり実用品なので、「メーカーの製品ページでは気にならなかったのに実物を見たら一目惚れした」とか「新品を見ても何とも思わなかったのに誰かに使い込まれた写真を見て引き込まれた」とか「他の文房具と一緒に並んでいる様子に心を奪われた」みたいなことが往々にして起こるよね、ということ)

そして店頭へ

ここから先の結末はもう、記事タイトルの時点でおわかりのことと思いつつ、少し早足でもう少しだけ続けさせていただきたい。
候補にしたい万年筆たちをメモして、私は胸を弾ませつつ目当ての文房具店へ出かけた。
店に入ると何度も脳内で練習した通りに、店主への挨拶と、初めての金ペンを買いたい旨、気になる万年筆がいくつかあるので在庫があれば試筆させてほしい旨を伝え、用意したメモを店主に差し出す。
店主は頷きながら私の話を聞き、ひとつひとつの万年筆の品番と在庫を確認してくれた。
結果として、候補にしていた万年筆の中でそのとき在庫があったのは、

  • キャップレス

  • キャップレスデシモ

  • エリート95s

の3つのモデル。
さらに、私がパイロット製を気にしていることが伝わったのか、候補にはなかったが店主が並べてくれた万年筆として、カスタム74やエラボーもあったと思う。

鉄ペンしか触ったことのない私が目の前に並ぶ万年筆たちの高級感に緊張している間に、店主は試筆用のインク壺を準備してくれていた。
店主はいちばん端にあったエリート95sのブラック軸を手に取るとキャップを外し、綺麗なニブの先端をブルーブラックのインクに浸す。
そして紙の上にペンを走らせて、「あ、書きやすい」と呟いてから、「どうぞ」と私に差し出した。
(今思えばこの時点で、自分が試筆する前からエリートに加点が入っていた。目の前で人が使っている様子を見ただけでペン自体の美しさに惹かれたし、たくさんの万年筆を知っているであろう店主が素で褒める書き心地なのか!と思ったのを覚えている)

そうして迎えた初めての試筆。
ペン先が紙に触れたときの感覚は、感動や喜びよりも戸惑いのほうが大きかったかもしれない。
それまで使ってきた鉄ペンと比べたら、紙にいつ触れたのかもわからないくらいにニブの硬さを感じなかった。
そして、このとき在庫があったブラックのエリート95sは字幅がM。
流れるようにインクが現れて濃淡を作り出し、見慣れた自分の文字さえ不思議と美しく見える。
万年筆の感想で見かける、ずっと文字を書いていたくなる書き心地、というのはこういうことなんだと知った瞬間だった。

それから一通り他のモデルも試筆をさせてもらい、字幅Fのディープレッドのエリートやキャップレスデシモ、エラボーにも心が揺れつつ、最終的に私が選んだのはエリート95s、字幅Mのブラック軸だった。
(思い返すとディープレッドはその後廃盤になってしまったからまだ残っているならほしい気もするし、キャップレスデシモはそのときの書き心地が忘れられずに後日改めて迎えに行くことになったし、エラボーは最初の金ペンとしては使いこなせる気がしなかったものの今となっては挑戦してみたい気もするし……こうやってほしい万年筆は増えていくのだと思う)

私のエリート95s

ここからは、晴れて私のファースト金ペンとして我が家にやってきて、現在も活躍しているエリート95sを紹介したい。

購入した日のエリート95s

まず、一見して特徴的なショート軸。
キャップをした状態だと長さは12cmほど。
ユニボールワンPとほぼ変わらない、と言えば短さが伝わるだろうか。

エリート95sとユニボールワンP

かつては、サラリーマンたちがショート軸万年筆をスーツやシャツの胸ポケットに差しておいて、サッと取り出して手帳にメモを取る、というような使い方が流行ったそうだ。
万年筆が実用品よりも趣味で楽しむものになりつつある現在では、ショート軸の万年筆は少ない。
個人的には小さい手帳とショート軸万年筆の相性が最高なので、もっと増えてほしいところ。

M5手帳(ロロマクラシック)とエリート95s。
私はこの眺めだけで買ってよかったと思った。

現在販売されているエリート95sはブラック軸のみ。
黒地に金色のラインが入った仏壇カラーの万年筆の中で、私が初めて心惹かれたデザインだ。
理由ははっきりとはわからないが、なだらかな弧を描く流線形の軸とベスト型の先端、そして短さが相まって、私がそれまで仏壇万年筆に感じていた重苦しさのようなものがなかったのかなと思う。
今となってはエリート以外の仏壇万年筆にも興味がわくようになった。
(そうやってまた、ほしい万年筆は増える)

キャップポストした状態

エリート95sのキャップは嵌合式。
キャップを閉めるときには、よくある「パチッ」ではなく「ピタッ」というような独特の感触がある。
これは「ばねかつら方式」という仕組みのキャップで、キャップ内部の金属部品がばねのような役割を果たし、ぴったりとキャップが閉まって、気密性も確保されるのだとか。
そしてキャップポストするとこちらもピタッとはまり、一般的な万年筆と変わらない長さに変身する。

胴軸・首軸と一体化したニブ

エリート95sの大きな魅力はやはりニブ。
18金のニブは大きめでありながらも流線形の胴軸と調和し、存在感が強すぎない気品のあるペン先だ。
インレイニブは爪ニブとも呼ばれ、美しい人の指先に例えられることがあるけれど、たしかに良い例えだと思う。
元モデルが昭和の名品ということも相まって、少し年季の入ったお屋敷に佇む貴婦人や燕尾服の紳士の指先なんかを想像してしまう。素敵だ。

エリート95s(M)で書いた文字と線

私の手元にあるエリート95sは字幅がMということもあり、インクフローは抜群で、すらすらと書ける。
エリートの字幅は、同じパイロット製の万年筆の中でも少し太めらしい。
手元にあるパイロットのMは鉄ペンのプレラだけだが、たしかにプレラと比べるとエリート95sのほうが一段階太い印象を受ける。
小さい手帳に小さい文字を書くのが好きな私にとってはちょっと太いのだが、それでもMを選んだのは、やはり太めのほうが書き心地のなめらかさと楽しさをより感じたことと、ブラック軸の在庫がMのみだったから。
ディープレッドはFの在庫があったしそちらも素晴らしいデザインだったが、一目で惹かれた黒いエリートの吸引力には敵わなかったのだ。
結果的には、普段のちょっとした筆記よりはゆっくり楽しく文字を書きたいときにエリート95sを使うようになり、そういうときは線の太さはさほど気にならないので、Mを選んでよかったと思っている。

インク残量問題

ショート軸の万年筆の中にはコンバーター非対応のものもあるようだが、エリート95sはコンバーターが使える。
これ自体は大きな美点なのだが、そこから生まれた大きな欠点もひとつ。
現在パイロットから発売されているコンバーターでエリート95sに対応しているものはCON-40。
エリート95sにCON-40を差し、インクの入っている状態が以下の写真。

インク満タンではないがこの状態

インク残量が全く見えない!
CON-40のインクタンク部分は、ほぼエリート95sの首軸に埋もれてしまう。
これはなかなかに深刻な問題だと思う。
(初代エリートの時代には旧品番のコンバーターがあったようなので、そちらだとインク残量が見えて問題なかったのかもしれない)
エリート95s+CON-40で使う場合、

  • 前回のインク補充日と利用頻度から推察する

  • インク切れかな?というタイミングが訪れたら、コンバーターのつまみを少しずつ上げ下げして、空になったか確かめる

というくらいしかインク残量確認の方法がない。
(私はそうしているので他にあったら知りたい)
これだと不便という場合はカートリッジで運用することになる。
カートリッジはとても手軽な一方、使えるインクの種類は限られてしまう。
カートリッジにシリンジでインク入れればいいや、と思える方なら何の心配もいらない。

おわりに

エリート95sが好きな気持ちを語ってみた。
現在は私の購入時よりも値上げされ、カラーバリエーションも黒一色となり、この黒軸もいつか廃盤にならないとも限らない。
(エリート95sは前述の通り、他の万年筆と異なる形状・仕様の部品が多く、製造コストがかかるので値上げと単色化から逃れられなかった、という噂だ)
もし購入を迷っている方がいれば、ぜひ一度実物を見て、手に取ってみてほしい。
エリート95sを愛する人の輪が少しでも広がって、今後も販売が維持され、さらにもっと贅沢を言うならショート軸万年筆やレトロ仕様の万年筆が再ブームにならないかな……と願ってやまない。

読んでいただきありがとうございました。

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