2023.9.18 考える日

大島新の「国葬の日」をポレポレ東中野に観に行く。上映後に森達也と大島新の対談があるー。
そして、ひょんなことから女友達とその彼氏と一緒に観ることになっている。なぜ?

しかもこの3席。

絶対私が前でカップル後ろになる。

観ました。


ドキュメンタリーは口コミが重要との事なので、まぁ書きます。
国葬の日感想。
いわゆる政治に無関心な若者、政治を自分事としない人々というのが、ある共通する視点から撮られているなと感じて、例えば、政治については喋らないようにしているという若者に、それってなんでだろうね?とタメ口で聞く取材者、加えて今日監督が「劇中で安倍さんを大統領なんて言っていた若者もいましたけど」と言うと劇場内が笑いに包まれて、つまり簡単に言えば、僕たちは馬鹿にされているんだなと思ったわけです。監督はそういう人にこそ届いて欲しい、届けたい言葉があるなんて言っていたけど、僕が受けた印象は、僕のような若者への呆れ、冷笑、でした。僕も典型的な無気力な若者であって、娯楽として映画、ドキュメンタリー映画を好んでおり、大島新と森達也のトーク目当てでこの映画を観たわけですが、この映画の文脈的には僕は当然アウェー、そして、この作品及び僕の周りに座る(この映画を政治的思想に基づいて観にきたのであろう)人達は、僕を当然見下しているんだろう。同時に僕も、どこかでこの映画を冷たい目で観ていた。

もちろん、国葬について語るたくさんの人の声を聞き、表情を見て、考えることがなかった訳では無い。ただ、この映画の作りとして、客観的事実をただ並べたように装っているというか、ひとつの主義主張を伝えることを避け、監督も言っていた通り、グレー、混沌、それ自体が今の日本の状況だと言う意味で、ドキュメンタリー映画としてのオチをつけずに終わらせてしまっている。早い話がこれを観てあなたはどう思いましたか?それが大切ですというような誘導が、目的の映画なので、そういう意味では、あなたの“言葉”は、僕に届かなかったのかもしれない。

作中でキーワードとなっていた「分断」という言葉、国葬賛成と反対、右と左の分断、よりも僕は、上の世代と僕たちとの分断、間にある溝を強く感じるのですよね。

映画としては、取材者によって映像の質が違いすぎて、特に下関の映像なんかはもう観ていられなかった。逆に冒頭の東京の映像と、最後の方国葬後の時間軸で戻ってきた沖縄の映像、あれはすごく素敵で、力のある画だった。あとは先にも書いたけど長崎の、若者にタメ口で話す取材者は不快だったなー。

糖分摂取。

授業で賞もらった時に「なぜ君は総理大臣になれないのか」のDVDとサインは貰ったんだけど、何となく一言挨拶したかったのでパンフ買ってサインを貰った。

教え子、と言われて嬉しかったな。

その後、実家に顔を出して、今後についてを話しに行く。気は当然重い。

話してきた。

帰ってきた。

彼と父が電話する。気は当然重い。

重いのでコマンドーシャーク 地獄の殺人サメ部隊を観ました。全然面白かった。

オレンジジュースを飲みながらタバコを吸い、ビタミンを相殺。


あ〜

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