ある同級生のこと 2024.8.21wed
8月もあと10日ほどになった。
1日、1週間、1ヶ月、1年、、、がどんどん短く感じる。
8月といったら夏休み、だが思い出らしい思い出がないような気がする。
何をして過ごしていたんだろうか。
それでも今年に入り、専門学校の時の友人たちとお昼に行ったり、高校の時の友人と20年ぶりに会って飲みに行ったり、何かと学生時代の友人と過ごすことが何度かあった。
今まで音信不通だったのだけど、皆何か心境の変化でもあるころなんだろうか。
しかし、写真も仕事も何も関係なく、何を話したかすら覚えていないようなどうでもいい普段のことを話すことが、あっけないようで、でも落ち着く。
家族と会っても同じで、写真の話なんてしたことがない。
大抵姪や甥のことや親戚のことや最近の出来事など、ここでもまたどうでもいいことをずっと話しているのだけど、たまにはこんな時間もいい。
中学校の同窓会を!なんてLINEも回ってきた。
あまり興味ないのだけど、出てくる面々が懐かしくも思う。
水俣に来て、写真のことや写真のこと、さらに写真のこと、、、
というくらいに写真のことかそれに必要なこと以外で何か考えることはあるんだろうか。と思った。残念なことに他のことを考える能がない。
困ったことに離れたいと思っても、もっと単純に楽しみたいと思っても、付いてきてしまうものだからお手上げだ。
でも写真のことをずっと考えていると、高校の時のある同級生のことを思い出す。
高校2、3年の2年間、同じクラスだった男の子だ。
最初からなんだが、私は彼がとても嫌いで、苦手だった。
きっと私だけではない。
何かと問題を起こすこともしばしばあった彼や彼の周辺は、事が起これば、「またあいつらか…」とみなが呆れ顔だった。
だけど、私はこの数年後、ちゃんと素性も知らずに嫌っていたことを反省することになる。
クラスの中では、スクールカーストごとの仲間同士でグループを作る。
所謂イケメン、可愛い人のグループや勉強が好きなグループ、趣味が合うもの同士のグループ。グループと言わないまでも、気の合う2〜3人で行動するのではないだろうか。部活があればそのつながりもあるだろう。
稀に一人を好むものもいるけど、大抵が仲のいい友達と行動する事が一般的とされるのが学校だろう。
その彼は、不良とまではいかなくても、少しやんちゃな人たちが集まるグループの中にいた。
クラスの中には、真面目に勉強して成績のいい人も、部活の部長や高校総体でいい結果を残す人もいたが、それは稀なことで、8クラスあった中でも比較的成績の悪いクラスだったような気がする。
だから彼がやんちゃだといっても、ひどく不良がいたわけでもなく、他もそう変わらない。
私のいたクラスは、普段から40人中10〜15人は欠席、または遅刻する。
雨が降ればクラスの半分、約20人来ない、なんてことも珍しくはない。
そんなことをいっても私も基本的に欠席の方に入っていた。
高3の大雪の日、南国九州は交通機関はすぐに止まる。遠方組は電車も止まり、近くであっても自転車も困難だろう…ということで、学校に行けなかったとしても公欠扱いになるような日があった。
友達数人は前日、私の家に泊まって遊んでいたので、みんなで自転車になり滑りながら学校へ行った。
そうしたら、担任もクラス中が驚いた。
唯一、クラス全員が出席したのはその日、たった1日だった。
大抵騒ぐくらいなら寝てる方がいいと教員も思うのだろう。
いくつかの授業は4〜5人を残して全員が居眠りしていたり、全校参加の講演会はいつも最後尾、最上階のステージから見えない席に追いやられ担任まで眠っている始末だった。
そんな悲惨なクラスが私のクラスだ。
彼は、病気の治療で一度休学をしていたらしく、学年は1つ上だった。
やんちゃなグループの中でも少し先輩、兄のようなリーダー的存在だった。
休み時間や登下校の直前直後はみな友達と話したり、好きに過ごしているが、彼らのグループも机の周りに集まったり、教室後ろの棚の上に座って話している事が多かった。そして何かとクラスの弱そうな人にちょっかいを出す。本人にも聞こえるように悪口を言っていた。
ある時は授業中に余計なことをしでかして、授業が中断されることもあった。
気に入らないなら、関わらないか、寝てればいいものを、何かしないと気が済まないのだろう。どうかすると子供のようなしょうもないことをしていた。
真面目そうな、弱そうな人に悪口をいったり、おちょくるような言動は、嫌がらせ、というよりはもはやいじめに近かった。
それを側から見て私たちは呆れ返っていた。
そんなことで過ごしていると、卒業の時が来た。
私はやっとここから解放されるんだと思うと、ただ嬉しかった。
友人たちとの楽しい思い出はたくさんあるけども、毎年辞めたいと思いながら、とうとう6年通った学校からようやく解放される。
春からは自分で選んだ学校で、好きな事が勉強できる。
そんなに嬉しいことはなかった。
卒業式当日。
あっという間に式は終わった。
そしてその夜は、楽しみにしていた謝恩会だ。
ただの宴会だが、学校が嫌いだという割に、こういう場は嫌いじゃない。
元々一人で飲むより、こういう場が好きでそんな時だけ飲んでいた。
今とは真逆だ。
謝恩会では、卒業したお前らはもう生徒ではない!と自由な担任らしく、皆思い思いに楽しんでいた。
1次会が終了して、店の外で喋っていた時のことだった。
"みんなごめ〜ん、本当にごめ〜ん"
"俺が悪かった〜"
私たちが嫌っていたその彼は、どうしたことか大声で泣き出した。
みんな何事かと驚き、友達同士で見合ってどうしたのかとはにかんで笑っている。
時効だと思うが、よいも回っていた。
あんなに人の悪口ばっかり言っていたのに。
あんなに悪ぶって授業妨害していたのに。
彼は、自分で自分が悪いと知っていながら、振る舞っていた。
なぜそんなことをしていたのか知らず、そういうやつだろうとばかり思っていた。
でも180度人間がかわり、大号泣している彼に、とにかく何が起きているのかわからなかった。
彼は、"ごめん"、"本当に俺が悪かった"と、頭を下げながらクラスの一人一人に言って回っていた。
でもやっぱり皆何が起きているのか、わけがわからず、酔っ払いを見届けた。
彼は、そのことからすっかりみんなの"お兄ちゃん"として、仲良くなり、卒業後の飲み会も率先して人を集めたりするようになった。
私も毎回ではないけども、行ける時は参加した。
いつだっただろうか。卒業して1年後、2年後、そのくらい経った時の飲みの席で隣に座った。
その頃には、文句を言い、悪態をついていた彼はどこにもいない。
徐に彼は私に話し出した。
「朝校(朝鮮学校)じゃ俺みたいな体が弱い奴はすぐいじめられるっちゃん。だけん、威張って、悪そうにしとかんといかんかったつたい。
俺、色弱もあるけん、授業で色を聞かれて答えられんくて先生にまで馬鹿にされていじめられたつたいね」
彼は、博多訛りが少し入った熊本弁で、北九州の朝鮮学校に通っていたときのことを語り出した。
私はそんなことも知らずに、単に悪態をつく彼のことを嫌っていた事が、申し訳もなく、結局のところ、本意も知らないままに表面上の振る舞いだけで判断してしまっていた事を反省した。
彼は、在日朝鮮人であり、そのことは苗字からもクラスのみんなが知っていた。それが特に話題に上がることもなかった。
ある時の現代国語の授業でのことだ。
現国の先生は、授業で教科書の前に必ず、本や新聞の一部の切り抜きを教材にしていた。話題になった映画の原作の本、熊本の藤崎宮の例大祭のこと、何かと気になるトピックのものを持ってきたいたのだけど、社会背景のあるものもさらっと入れ込んでいた。
私はこの先生の授業は驚くほどほぼ眠っていたのだけど、教科書の前のこの時間だけは好きで、時折教科書まで進まずそれだけで終えることもしばしばあった。でもこの授業のおかげで、私は高3という恐ろしく遅い時期に初めて単行本を1冊読み上げた。大の本嫌いが本を読むようになったきっかけを作ってくれた先生だ。
現国の授業で、1度だけ、在日のことに触れた記事を扱った事があった。
私たちはこの授業の後、1度だけ、彼の話題に触れた事がある。
単純に、彼はその授業でどう思ったのだろう?
話題というほどでもないが、在日である彼が教室にいながら、先生がそのタイトルを選んでいたことに対して、彼がいるのに触れて良かったのか?彼はいづらくならなかったのか?と友達を話したのを覚えている。
学生だった私たちは、"触れて良かったのか?"と思った。
しかし今思う。
それは、触れてはいけない、というのは腫れ物のように扱うことと同義でもあるような気がする。その沈黙はかえって除外しているのではないだろうか。だけど、生きづらさを抱えながら、この生きづらいこの世を生きていると、安易に触れられることが土足で踏み荒らされるような感覚になる時がある。でもやっぱり腫れ物のように触れられないこともなんか違う。
少し離れて他人事になると、それでも触れて考える事、きっかけが大事なんだ、とそれらしいことを簡単に言う事ができる。
差別は無意識の中に起きる事が大半だろう。
自分がいじめてる、と自覚することはあっても、差別してる、と思ってしている人は少ないだろう。
私個人、排除される差別、は普通とは思いたくないが、差別とは排除されることと思う。でもこれより辛いと思うのは、"配慮"の差別だ。
触れない方がいい、そんなこと気にしないから、という"配慮"は小さく、静かに、じわじわと浸透してきて、重く居座り続ける。
社会的マイノリティではなかったとしても、不幸とされ"配慮"されることはある意味で排除と同等だ。
しかし、同時に配慮されないことの方が多く排除されていくが、相手のことを思う配慮は大事なものでもあり、"配慮の差別"とは微妙な異種であることから見分けづらくもある。何より受け取り手によっても異なる。
マイクロアグレッションだ。
以前、高校時代に参加した"人の価値観"のワークショップについて少し触れた。
人の価値観は、その人の経験、育った環境でも異なる。
振る舞い、もまた同じ事が言えるだろう。
人格による振る舞いのことを言いたいわけではなく、感情の引き起こす振る舞いは時にストレートに表現されるものではなく、隠すために装う事がある。
言われのない噂話や表面の振る舞いだけでは、判断することは難しい。
なぜかわからない。
だけども、写真のことを考えるとよく彼と、この時のことを思い出す。
今は元気にしているだろうか。
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