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明日地球が滅びるなら晩御飯は鍋にしよ!ー時間と価値観

問:あなたが一番大事にしているものはなんですか?
答:「お金」
と、目の前の人が答えたとして、この答えにあなたはどう思いますか?
素直に答えてください。

高校時代、学校外でお世話になっていた先生からあるワークショップに突然誘われた。
ワークショップ、という言葉自体初めて聞く言葉だった。
集まってきた参加者は地域の年配の方が大半で、私(学生)は学生というだけで、そして教員という組み合わせは参加者の中でも一際目立っていた。
優しそうな口調で話す講師は、私たち参加者にわかりやすく、「ワークショップとは…」というところから説明を始めた。

ワークショップの内容は至って簡単だ。
最初に、隣の人とペアになり、まずはカードサイズにきった紙を一人につき約10枚ずつ配られる。
そのカードに、一般的に人が大事にするだろうと想像がつく「家族」「友達」「仕事」「健康」「地位」「お金」、、、、など、みな共通の項目を書く。
次に、机の上の並べたカードの中から、その時の時点で自分が大事にしているものを2段階、選んでいく。
まずは6枚選ぶ。
まだ数が6枚と多いので、選んだカードの中には参加者同士、共通のカードも多い。
隣の人のカードを覗き込みながら、うんうんと頷いてみたり、ほ〜っと普段会話の中では選びそうになかったカードを見てはにかんでみたりする。知らない人同士も共通項について談話している。選ぶにも迷いは少なくサッと決められる。
次が最終選択だ。
6枚選んだ中から、絶対大事にしたいというカードを2枚選ぶ。
そしたら、隣の席のペアと見せ合いっこをし、なぜそれを選んだかを話す。
というとてもシンプルな流れだった。

講師が方法を説明している時に私たち参加者に向けられた問いが冒頭の文章だ。
さて、高校生の私はどう思っただろうか。

一般的な人であれば、あまり良い印象はないのではないだろうか?
「お金」に限らず、「地位」「名誉」なども、そんなものより大事なものがあるだろう…と言う人もあるだろう。
「友情」「家族」「正義」なんて言ってもなんか妙に胡散臭い。と思う人もあるだろう。逆に美徳に思う人もあるだろう。
「お金」と言った人をそれだけで批判する人は案外少なくはないのではないだろうか。

「お金」と答えたその人は、なぜ一番大事だったんだろうか?
講師は続けた。
その人になぜ「お金」かを聞いてみたとする。
そうしたらその人は、
たとえば、会社が倒産して大きな借金を返しているかもしれない。
または、家が貧乏で苦労して育った背景から、教育を受ける選択もできない経験などその必要性を痛いほど痛感していたとする。
他にも考えられる理由は山ほどある。
その結果に辿り着いた背景と経験談を聞き、表面の言葉だけでなく、その人の心情を聞き、初めて理由を知った時に同じように批判するだろうか?
と問われた。
その時の私は、同じような経験はしたことがなく、特段、裕福な家庭ではないがまだ生活することに困ったことはなかったから、感銘を受けはしないまでも、納得した。
このワークショップを要約すると、人の価値観は育った背景や経験により様々で、簡単に人を批判、否定しないでまずは相手を知ることから始めましょう。という内容だ。差別や人権啓発促進として地域住民を対象に開催された。

この時、相手が何を選んだのかは覚えていないが、私は「家族」「健康」の2枚のカードを選んだ。お互い向き合い、そのカードを選んだ理由を話す。
当たり障りのない言葉を選んだようで、これだけ書くとなんか気恥ずかしい。

なぜ私がそのカードを選んだか?
私が小学校へ入学する前日、初めて母が倒れて救急車で運ばれた。
雨の降る入学式。数日前に入学式用にと母と一緒に選んだ真っ白なスリッポンの靴が汚れないように水溜りを避けながら、叔母に手を引かれていった光景を今も覚えている。入学式なのにちっとも嬉しくない。帰りを職場で待っていてくれた父の顔を見てホッとした。その後も母は数年おきに病院へ運ばれ、その度に長くはない、と言われ続けた。
私は父の話ばかりするので父親っ子だと思われがちだが、それは正反対で極度の母親っ子だ。母が集まりなどに出掛けて帰りが遅いと泣き叫び、電話がつながらないと泣き叫び、一人で外泊なんてとんでもなく大嫌いな、ちょっと手のかかる子供だった。今では自分でも驚いてしまう。

小さな頃、「僕のボーガス」という映画が好きだった。
主人公の男の子はサーカス団員の母とその仲間たちと暮らしていたが、ある日、不慮の事故で突然最愛の母を亡くしてしまう。母の友人に引き取られることになり、そこへ向かう飛行機の中で落書きをしていたら、その絵が突然動き出し、話しかけてきて、ついには飛び出してきた。一人になった孤独と、母を亡くしたやりきれない悲しみが生み出したのが"イマジナリーフレンド"のボーガスだ。
引き取った友人は、キャリアウーマンで子供が苦手。どうにかと話してみるが意思疎通がうまくいかずボーガスだけが唯一心を開ける友達だった。ある日、耐えられなくなって母と過ごしていたサーカス集団の元へ一人でこっそり向かったが、すでにそこには居場所はなく、孤独からどんどん空想の世界へ閉じこもっていく。途方に暮れる友人にボーガスが助けを求め、二人は会話を重ねて、少年と友人女性が理解し合えた時にイマジナリーフレンドのボーガスは、また別の孤独に苦しむ誰かの元へ姿を消す。というストーリーだ。
小学校低学年の時だったから、その時の自分に重ねたものがあったのだろう。同じ時代、「天使にラブソングを1・2」も家族で見ていたが、この映画の友人女性役だったウーピー・ゴールドバーグはとてもかっこいい女性に見えて子供ながらにとても好きだった。

映画の中で、少年が引き取り手の友人宅へ向かう飛行機に搭乗しようとするシーンで、少年が持っていた荷物は、リュックと手に持った母の枕だった。
私は、この手があったか!!と言わんばかりに真似をした。

私たち姉妹と従兄弟姉弟の5人、子供だけで大阪の母方の親戚宅へ遊びにいったのだが、旅行の楽しみより、親元を離れるのが嫌でしょうがない私がリュックに詰めたのは、母の枕1つ。着替えはどうしたのか忘れたがきっと姉がもっていってくれた。毎晩泣いて涙で汚くなった枕を持って帰ったら、母は呆れ果てていた。
小学校へ上がる前は、祖父母が叔父家族と私たち姉妹をハワイに連れていってくれた。(両親は仕事が休めず留守番)常夏のハワイだ!ハワイの前にはトランジットで一瞬韓国へ寄り、簡単な観光と食事をした。しかし、この時もやっぱり常夏のハワイなんかより、家を離れる悲しみから夜が来るたびに泣き続け、泣いた記憶以外が見当たらない。写真も楽しそうな顔より、いつどこで撮った記念写真も俯いていた。
唯一楽しい思い出は、2つ上の従兄弟とホテルのベットで、昼に買ってもらったディズニーの人形を手に全開に振り回し、ゲラゲラと笑いながら、東京ジュリアナを踊っていた時だけだ。これは祖父がずっと旅行中に回していた旅行記録ビデオに写されてしまった。見つからないことを祈っている。笑
この2つの個人的"事件"のような出来事を、いまだに姉たちからは揶揄われ続けている。どこかで暴露される前に書いておこう。お恥ずかしい限りだ。。

話は随分それたが、私がその2つを選んだ理由は家族のことを心配せず、安心して暮らしたいという理由だ。

このワークショップを受けた後、倒産し、父が癌で闘病している時に母も植物状態になった。10年ちょっと前の数年間、月1回程度の休みであとは働き続け、バイトとバイトの合間の移動の1時間でも絶対1日に一回は顔を見ないと気が済まないので5分でも病院へ寄る、合間に写真を撮る、異様な日々だった。もう2度とこの時には戻りたくはない。生活も大変だが、写真はやっぱり撮っていたかった。
誰もがまだ親が健在であることが多い世代で、時折寂しくもある。生きていてくれるならそれだけでどんなに嬉しいことだろう。
しかし、今は今で、今も必死ではあることに違いはないが、自分の好きなことで必死なだけだからむしろ贅沢なくらいだ。気兼ねなく誰の心配もせず、自分の意思だけで選択できる縛られない環境は居心地がいい。

苦労を美談にするつもりはない。
むしろ、尚更同じ道を通っている人がいたら耐える必要はなく、逃げ道を教えたい。その時の私は逃げ道がわからなかった。ボーガスは現れなかった。
学ぶ、知識を得るということは、選択肢を得るということだ。逃げていい。

一つ、行政の人に伝えたい。逃げ道の案内をもう少しわかりやすくしてほしい。受けれる制度もその単語一つわからない中で、手続きで1日たらい回しになったり、挙句該当しない、とよくわからないままに負担ばかりがのしかかった。だが最初に引っ越した先で、市役所ではなく区役所になり、そこの担当の人がその時の状況を調べ、医療や税関連の対処法と手続きの仕方を教えてくれて一気に負担が軽くなった。

こうした経験をしたことで、冒頭に書いた問いに答えた人の気持ちが理屈でなく理解できてしまう。
だからと言って「お金」だけでは何も測れないというわかりきった事実もやっぱり事実だ。有り余る富はいらないが、貧乏や無頓着を装うことが美しいわけでもない。
どれが正しい、不正解ではなく、必要なところには必要なもので、不要なところには不要なものだから、欲せず判断していけばいい。

今の私なら何を選ぶだろうか。
そしてあの時ペアになっていた人は何を選ぶだろうか。
日々状況は変わっていくので、当然変わっていく。

今私が選ぶなら、思い浮かぶのは1つ。
それは「時間」だ。

生きている時間は、人が思っているより遥かに短い。
私は今36で今年の10月には37だ。寿命が早ければ折り返し地点を当にすぎているし、どちらにしても長生きしてもそろそろ折り返し地点だ。
体が十分に動き回れる体力がある時間はそれより少ない。
そう思うと、到達した36年の半分は18年、18歳ということになる。
18歳の時を思い出す。
やっと写真の道もちらほら見え出したが、自分がどうなるかも検討つかず、何がしたいかわからず、とりあえず好きなことをやってみる。程度のところへ来た頃だ。先のことなんてわかるはずもない。
さらにその半分9歳を思い出す。
小学校3年生。過去も未来もなく、ただその時をめいいっぱい遊んでいる盛り。
さらに半分は、4〜5歳。
もう思い出せない。
微かな記憶はあまりに曖昧だ。
そう考えていくと、過ぎていった時間は、その時は長く感じても、過ぎてみれば一瞬に感じてしまう。時は戻ろうにも足掻いて戻れるものでもなし、ただ進むだけだ。
そう考えるとこの36年も一瞬のようだった。
であれば残り何年かはわからないが、きっとまた一瞬に違いない。

黒岩のことを知って、水俣へ来るようになって12年、住み始めて8年半の月日が経った。早かったのか、長かったのかわからない。
だけど、その間に私ができたことは恐ろしく微々たるものだ。これは訓練でもう少し効率を上げられるが、それでも微々たるものだろう。
水俣病へ関わり続けたある人は「自分の時間では足りなかった」といった。
もしそうならば私の時間でありるわけがない。

でも、足りるか、足りないか、という概念の判断は何の容量を示しているんだろうか。容量を決めるというより、思うまま、進むままに行き着いた先が自分の容量、ではダメだろうか。
後悔のないようにというが、人は欲する生き物なのだから、欲した分、後悔も当然生まれる。そんな堂々めぐりは時間が勿体無い。

私が大きく時間の捉え方を変えたのは(短く感じるようになったのは)、自分自身が一度事故で死にかけたり、家族を亡くし、実際に死というものに触れて”しまった”ことにある。重たい話のようだけどやっぱり軽くもない。

小さな頃、ノストラダムスの馬鹿げた予言が、馬鹿げてるのに嫌いで怖くて、明日地球が滅びるなら何をしよう、と本気で悩んでいた。案外それは今までもずっと悩み続けている。
小学生のころ、ふと思った。
家で家族揃ってご飯を食べたい。
これと言って食べたいものはなく、別に豪華な食卓ではなくて、味噌汁とご飯でいい。食べるものより、食卓で家族と話す時間が好きだったから。
もう少し時間が経つと、味噌汁とご飯はなんだかな〜と思いだし、中学生くらいだろうか。次は、明日地球が滅びるなら、"家の食卓"で何が食べたいか?という悩みに変わった。

数年経っても一向に答えが見つからない。
と思っていたそのころ、すでに高校生だ。
これだ!!!という瞬間が訪れた。長い道のりだった。
なんのことはない、最後に食べたいものは「鍋」だ。
何鍋でもいい。とりあえず鍋だ。
我が家の鍋は何鍋なのかわからない。
「ぶっ込み鍋」とでも読んでおこう。
水菜や椎茸、榎茸に白滝、豆腐、肉は豚肉でしゃぶしゃぶにしたり、鶏肉にしたり、とにかく決まっていない。
出汁もたまに、気の利いた豆乳やキムチとあったが、大抵昆布などで簡単に出汁をとってあとはまあどうにかなるようになるという大雑把な鍋だ。
最後に雑炊で締める。
特別凝った鍋ではないから、特別美味しいかというと普通に美味しい程度だろうが、それがみんなで食べたら特別美味しいものになる。
やっぱり食卓の場が好きだった。

大抵、父、母、次姉、(長女の)甥、私というメンバーなのだが、集まるととにかくうるさい。私たちは、外では少々おとなしく、私は人見知りが発病すると恐ろしく喋らないので、想像がつきづらい。が、とにかくうるさい。たまに来る来客にはよく驚かれる。私の横には母、向かいに甥と姉、TV の向かいが父、という席順だが、普通会話というものは、誰かと誰かが言葉のやり取りをすることで成立すると思う。それが我が家の場合は、みな自分の好き放題喋っていて、誰と誰が喋っているかわからない。うるさ過ぎて自分達で、「誰としゃべってんの〜」と大笑いしながらツッコミ合い出す始末だ。結局、誰が誰と喋っているのかはわからずじまいだし、誰もそれを疑問にも思わないで、また各自が喋り出す。
なかなかに楽しい食卓で、冬場は週に2〜3回鍋の日も珍しくない。私もバイトが休みで家にいる時はよくリクエストしていた。

それから月日は経ち、私は水俣へやってきた。
そして、5年ほど前、バイク事故にあった。
事故のことは何も覚えていないが、家族の次は自分が死に目に遭ってしまった。
死というものが、想像の中の架空の世界ではなく、目の前に突然現れた。
生き延びたが、死というものは案外あっけなくやってくるらしい。

明日は永遠には続いていかない。
明日もしも本当に滅びるとしたら、ためらって行動しなかったことを、死んでも悔いるだろう。だからどの道選んでも、安全地帯もリスクがあるんだから、どうせなら自分の選んだ道でリスクをしょいたい。

時間は有限なのだ。
そんなわかりきったような理屈が、時間の終わりに触れたことで一層現実味を帯びた。
死は時間の有限性を具現化してしまった。

時間は有限なのだ。


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