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ギフト①

noteをそんなにアクティブに
更新しなくなってしまったけど、
その産物として、
わたしにとってここは
あぁ仲良くなれたなぁ、
という人だけがいる
ちっちゃな公園みたいな空間になった。

こんなときだから、
久しぶりに寄ってみた。
ぼーっと座って物思いに耽りに。


一週間前の今頃、
泣き笑いしながら
何百ものありがとうと
だいすきだよを枕元に並べた。

おばあちゃんは
みんなで守るからね
と言ったら
声にならない声を出そうとして
舌が動いた。

それが最後の意思疎通だった。

おじいちゃんが
いってしまった。

あ、だめだ、
これは電車で書くものじゃない。
いったん、休止。

※涙がいったん引っ込んだので戻りました。

数えで91歳、天寿をまっとうした
おじいちゃんは、
愛されまくりの最強最高の最期で
みんなをあっためて、
いってしまった…
と言いたいところだけど、
たぶんまだ
そのあたりにいて、
いたずらざんまいしている。


そういえば、
人が集まることが大好きな
おじいちゃんが、
お正月のわいわいに
あんまり参加しなかった。

それが気になって、
ふとあと何回みんなで
お正月が迎えられるだろう…と
思ってしまったのを
水に濡れた犬がするみたいに
ぶんぶん吹き飛ばしたんだった。

書き初めタイムには
参加してくれてほっとした。

「幸せ」って書いたまわりに
家族の名前を書き込んでいく。
しかも達筆。

息を吸って吐いたら
こうやって愛が出てくるのが
おじいちゃんのすごいとこだ。


5月のある日、
ソファでいつもみたいに
口を開けて寝ているおじいちゃんが
小さくなっていた。
なにか覚悟みたいなものが
ふっとよぎって
わたしはまた濡れた犬のぶんぶんをした。

5月の終わり、
おじいちゃんが入院した。

日々の存在感をひそめつつある
コロナがまだまだシビアに扱われる
病院の面会ルールは
週に1度、2人まで、30分。

とみこ(92)と一緒に面会に行くと
ベッドごとナースステーションの前に
運ばれてきたおじいちゃんに会えた。
なんというか斬新な…?
令和な…?面会方法だと思った。

ベッドの上には
だだっ子がいた。

死んじゃってもいいから
おうちにかえりたい、かえりたい、
死にたくない

…どっちなんだい。

30分のタイマーが鳴ると
帰っちゃうの?と
子どもの目をした90歳が、
ベッドごとガラガラ連れていかれた。

涙がこぼれないように
上を向いて歩いてみたんですけどもね、
案外下を向いたほうが目立ちませんね。
第一、上を向いて歩くってのは
病院内では危険だわ、と気づきました。


さて、出張。

わたしが埼玉にいるから
何ができるでもない。
でもなんか、
離れた場所に行くのが怖い。

会社に着いたころに
「面会ルールゆるくします」の
連絡が入った。

…やめろや。

下を向いて歩いた。

栄養ドリンクで空元気を注入して
下を向いてがんばっていたら
取り組んでいた撮影は
奇跡の巻きを見せた。

初日の進捗確認の時に
ディレクターさんに
事情を軽く話したら、
そのまま初日にできるだけの撮影を
進めてくれた。

翌日言われた時間より少し早く
スタジオに到着したら
撮影クルーが全員揃っていて驚いた。

シマダさんを早く帰そうと、
集合を早めてまで準備をしてくださり、
爆巻きで2日目の
撮影を進めていただいた。

おじいちゃんよ!!
仏になったら
クルーの皆様に
何か良いことを…🙏
みたいなのってできます?

本当にやばいときは
上を向いても下を向いても
涙はこぼれちまうもんだと分かった。

そこで
Google先生に涙の我慢の仕方を
お尋ねしてみたところ、
口をあけるというものがあった。

…口角が切れた。

景気付けに食べた
大好きな明太子うどんで悶絶した。

おじいちゃん…
仏になったら
孫の口角も
見守ってもらえたりってしますか?


お昼過ぎ、
そう言えば明るい時間に上りの
新幹線に乗ることってないなぁと
東海道を眺めた。

そのまま埼玉まで移動して
急ぎの仕事を片付け…ようとして
桁を間違えるレベルのミスをした。
桁を間違えて大変なことになるなんて
危うくVIVANTが始まるとこだった。

救世主に泣きつき、
バルカ行きを免れながら
平然としてるつもりで大焦り。

おじいちゃんは
がんばってくれていた。
そしてその日は起きている時は
ちゃんと意思の疎通も図れた。

義妹の名前を声に出して呼んだり
弟を探そうとしていた。

…うらやましいじゃないか!!

わたしもなんかしてほしくて
ゆうきだよー
ゆうきでーす
ゆうきなんですがー
とアピールしまくったら、
たまたまだけど、
おでこあたりをぺちん、としてくれた笑

息をするのも大変そうなのに
孫たちをだっこしたり
いいこいいこしてくれた。

正確には、
孫たち自ら腕の下に潜り込んで
いいこいいこしてもらっていたのだった。

おじいちゃんが
ずーっとそうしてきてくれたみたいに。


翌日は仕事のために自宅に戻った。
ミーティングや作業、撮影を
普通にしているのが不思議だった。

その日のうちに、終電ででも
また埼玉に戻ればよかったのに
おじいちゃんの根性に甘えて
休んでしまった。この後悔たるや。

いつ電話が鳴っても取れるように
半分体を起こして寝た…
つもりが、普通に真横になって
朝を迎えた。

孫、根性なかったけど
おじいちゃん、すごい根性。
ありがとうありがとう。

もしこのタイミングで
いってしまってたら
一生ひどく後悔したとおもう。

その朝に、
目覚ましだと思った
バイブレーションは
いよいよだという連絡の電話で
真横のわたしは飛び起きた。

電話を受けた20分後には
電車を全力で急かしていた。

ハイパーせっかちが
スーペリアせっかちモードに
入った状態では
急行もぜんぜん早く感じられなかった。

10時半ごろ病院について
夜の20時まで、
ただ、そこにい続けた。
本当に無力だ。
ただ、いるだけ。
何もできない。

来来来世くらいで
できたらドクターになりたい。
来世でも来来世でも
しっかり医療ネタオタになりますので。
ただ来世あたりで
せいぜい一般的な算数力がほしいです。

しかし!
おじいちゃん!
根性がはんぱない!

このエクストリームせっかち
ワーカホリック医療ネタオタが
スマホもほとんど見ず、
macを開くでもなく
本を読むでもなく
デリーもしくはLAあたりまでの
フライトタイム相当を過ごした。

※点滴の薬の名前とか
酸素の流量とかはもちろん見ていた。

愛されおじいちゃんの元には
面会者が溢れかえったので
廊下のパイプ椅子から見守るなどもした。

病棟のナースさんたちには
ご迷惑をおかけしているだろうな、
そのうちバルス食らうかなと
そわそわしたけど
とてもとてもよくして頂いた。


おじいちゃんの意識は落ちていき、
目が覚めている時間が減り、
意思の疎通もうなづくか、
手を握り返すだけになった。
血圧も心拍数も
昨日より下がっていた。

とみこが2回手を握ると
2回握り返してくるのは
「スキ」のサインなんだそうだ。

ドリカムより早くから
そんな取り決めをしてたらしい。

2人だけの
長年の秘密を鮮やかにバラすとみこは
どこかすこし幸せそうな面持ちだった。

わたしだって
おじいちゃんが大好きだから
2回握ってみたけど、
スキのサインは返ってこなかった。

おじいちゃん、
まだとみこがしっかりわかるんだ!
すごい!さいこう!

そしていよいよか?を
数回繰り返しながら
おじいちゃんは、
まだ根性を見せていた。

みんなの覚悟が
ととのうまで時間を
稼いでくれていたんだと思う。

「おおかみおじいちゃん」を
きっとあと10ラウンドくらいはやるぞ
って言いながら、
それでも面会時間のおわりに
足が動かなかった。

家族があんまりにも
おじいちゃん好きすぎて
ナースさんが
「帰れとは言いませんよ」と
ひとりごとの体でつぶやいて下さった。

とみこはおじいちゃんを
置いて行けない…とぴえんしかけたけど、
ひときわおじいちゃん子だった弟が
一晩おじいちゃんに付き添うことになった。

そして、
おじいちゃんは
もう一晩、がんばってくれた。

家に帰って、
また半身を起こして寝たはずの孫は
また真横になって目覚めた。
なんかほんとごめん。


朝9時過ぎから、
また病院へ。

それが一週間前の、今日。

この日も入れ替わり立ち替わり
家族がきて、おば家族もきて、
ナースさんたちはシマダさんちの
お見舞いがまた増えたと驚いていた。

義妹は当直明けに
そのまま病院に駆けつけて
仕事の続きみたいにおじいちゃんを
ケアし続けた。

元は妹の同級生なんだけど、
おじいちゃんと
とみこにやたら懐いている
謎の「みなし孫」も
朝から娘を旦那さんにあずけてまで
おじいちゃんに寄り添っていた。

うちの夫は
タトゥーに
隠しおじいちゃんを入れる!と言っていて
ひときわ意味がわからないけど
とりあえずおじいちゃんが
好きなのはよく伝わる。

おじいちゃんの愛され方は
血縁を超えている。
それだけおじいちゃんが
まわりに愛を注いできたんだな。

昼過ぎ、
おおかみおじいちゃんが
弟を呼び出した。
さすがに寝不足が滲み出ている。

往復4時間以上の道のりを
中1日で2往復したおばも
Tシャツの色が変わるくらい
冷や汗をかき、倒れかけてしまった。

1日10時間以上も前かがみで
おじいちゃんの手を握り続けていた
とみこ(いや92て👏)の
体もガチガチだった。

ゆるっと
ただ病院にいただけの私ですら
なぜか身体中が筋肉痛みたいだった。

20時までの面会時間の終了を目前に
19時の時点で私と妹が交代した。

あと一時間くらい、とも思ったし
なんだかとてもざわついた。

だけど、もう
お腹が空いてふらふらしていたし
みんなが無理することをなにより
おじいちゃんが嫌がると思った。

現世で悟りを開いたんかと思うくらい
人間の大きな妹がいてくれることが
わたしにとっては安心材料にもなった。

家について、
ちょうどご飯を食べ終えた時、
妹から連絡がはいった。

バイタルが不安定になったと。
…全員集合。

おじいちゃん、
ご飯食べさせてくれたのか。

顔を見れば、
「ご飯食べたか?」
「いっぱい食べろよ」
だったもんな。

病院へ急ぐ大人たちを横目に、
面会を許されない
甥っ子たちが泣き叫んだ。
その姿に胸がギュッとなった。
比喩とかじゃなくて、
なんか本当にギュッとなった。

義妹もその道のプロとして、
看取ってくれたかったと思うし
私たちも義妹にいて欲しかったけど
ここは子供たちと残るといって
気丈に留守を守ってくれた。


父ちゃんから、
その時が来たらおまえが
セレモニーまわりを仕切ってくれと
話があった。

性格のよく似た父ちゃんが
わたしが悲しみすぎないように
役目を与えてくれる意図と
あとは単純に
事務的なことをぶん投げたい😀
意思があったんだと思う。

病院にいる間、何もできず
無力さに打ちひしがれていた
わたしにとって、
少しは何かできることがあると
感じられるありがたい話だった。


おじいちゃんは
待っていてくれた。

19時には
低め安定していたバイタルは
もう乱れていて、
医療ドラマオタ程度の知識でも
最後の灯火なんだとわかった。

心拍数の
下限アラームが鳴り続けていた。


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