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手術室ものがたりのはじまり ひとつひとつ完らせる

ここしばらく、思っていること

「私は、終わらせることが出来ていないんだなぁ」
ひとつひとつ完らせていくしかないのは知っているのになぁ

子どもちんが生まれてきてくれて、
さらに、もう一人生まれてきてくれて、
私の日常はめんこい天使達と共に「途中で手が止まる」
というか、日々の物事の進捗の仕方はもうそれしかない
とにもかくにも、「途中で手が止まる」

子どもが生まれる前
目の前にたくさんのやらなきゃ事があるときに、
母が私に声をかけてくれた言葉、
私が私自身にかけ続けた言葉、
「いっこん、いっこん」
いっこいっこやっていくしかないということ
そうして育った私は、

二十代半ば、手術室に勤めていた頃、先輩に、
一度に3つ4つのことが同時進行できないと仕事なんて出来ないよ
って言われて、
「え?!」って素で衝撃を受けたのを覚えている…

「お母さん、世の中そうじゃないらしいですよ(゜ω゜)」

私は根っからの一度に1つのことしか出来ないタイプ
明らかに、マルチタスクタイプではない…

マルチタスクで脳が刺激されるのも分かるけれど…、
一点集中型で、都度チャンネルを切り替える方が向いている

そんな私が、今40代になり、お子たちと過ごす毎日、
色んな事が途中になる毎日に、
やっと、上の子が小学生、下の子が年中さんになり、
送り届けてお迎えまでの、数時間という貴重な時間が出来た今、
しみじみ感じるのは、
この数年間、

「私は、終わらせることが出来ていないんだなぁ」

そう、それを積み重ねてしまった。

それはそれで納得している。
子どもとの時間を家族との空間を何より優先したいし、
そうするって、この時期の人生の優先順位を決めたのは、
ブレずに私の芯になっている
その上で、
何か自分事と天秤にかけるような選択肢があっても
無理はしないってゆう基準を決めたのも私 ←我ながらえらい
どちらの決定も、私にとって、グッジョブって自分に言える

そんな中、
お子たちはもう赤ちゃんじゃない
刻々と状況は変わってきているのは確か

私も動き出していいんじゃないか?
動いていける時間があるんじゃないか?

じゃぁ、なにをする?

うん、終わらせていこう。
ひとつひとつ。


先日、9月9日、このお日柄の良き日に、
我が家では、珍しく午前午後と来客が重なりました
目的は全く違うんだけど、
内容はとても似ていて、
「カワオウチを見て回る」お客さま

*カワオウチとは、我が家のことを指す
 川沿いにある家なので、
 越してきた頃にむすこ君がつけたこの家の呼び名

午後の客様は、カワオウチの建築会社さんによる
5年点検
あちこちそちこち、建物や土台や外壁や…とにかく
そんなところもあんなところも、
ありとあらゆる所をチェックしてくれる
ありがたき

一方、午前のお客様は、
来夏に撮影するらしい映画のロケ地として、
我が家が候補になっているらしく、
その映画の監督さんとカメラマンさんが、
このシーンはどうとか、こうとか、
時間帯による様子やら太陽の昇る方角やら
光の射す位置やら、登場人物の位置やら
窓から見える景色やら、なにやらかにやら検討しながら
カワオウチのそれぞれのお部屋を見て回る
撮影候補ではなく決定なのか?という勢いの具体的なやりとり

日常の中で、
ある程度のお片付けはしてその日を迎えたけれど
お掃除が好きな私は、
日々のお片付けに満足はしていない

家中のフィルターを掃除するときの気持ちよさ
水回りあちこち排水溝がきれいになったときの快適感
たまらない
くせになる

ただ、物理的にも、時間的にも、
その前にお片付け立ちはだかり、
これは、お掃除にたどり着かないんじゃないか
っていう位の気持ちになることもあるし、
じっさいに、例の「途中で手が止まる」何かがあり、
思う存分お掃除出来ないこともある

子どもたちと暮らす中、
ある程度のお片付けで、
ここ数年やり過ごしてきた事は、私が一番自覚している

でも、先日、
家をあんな風にじっくり見くれるお客さまが、
しかも同じ日に連続で来てくださり。
見回してくれるのはぜんぜん良いんだけれど、
その状況で、私が感じていたのは、
全部ぜーんぶ、見えないところも見えるところも、
奧から、中まで、根こそぎお片付けを終わらせたい
完らせたい
という感覚…

そして、想い出すのは、あるシーンのある言葉
3年前の6月のある日、
いや、ある日というにははっきり覚えている夏至のあの日
キッチンで呟いたんだ
口をついて出ていたんだ
「もう何も要らない」って。

子どもたちと暮らす中でそれに手をつけるのは、
また途中になったら嫌だなぁ…とかとか、
なかなか大事のような気がして気が進まないし、
正直めんどくさいし、
実際出来なかったし… ←言い訳したら切りがない

でも、もう、
おもて、きれいに片付いていたらそれでひとまずいいじゃない
が通用しない感覚まで来てしまいました


で、
お部屋も内側も同じだなぁと思っていて

私はこれまでおかげ様で、
本当に恵まれた学びの環境に身を置いてこれたし、
持ち前のわき出る好奇心(困ったことに)と、
なぜかのナイスタイミングと、
その時々のラッキーな決断のおかげで、
今、とってもありがたい日々を送っています。
もう感謝しかない日々。

欲を言えば、
(そう、今、自分に欲を許すときが来たという感じ)

自分の中で終わらせているかそうじゃないかの点で見ると、
もったいないほどに、
完らせていないことが、内に眠っている。
この内側にある諸々を、お宝発掘の勢いで、
コレまでの学びや経験をもう一度、今の私で見て回りたい。

若さに任せて目指したゴールまでの道のり、
若さ故、あの頃の粗削りによる取りこぼしも、
独り身の勢いによる力業のやり過ごしも、
残してきたことがある。
コレも、その度に自覚してきたこと。

自分の内側の物差しで終わらせていないモノがある。
それらを、通り過ぎたこととして、
やりっぱなしにしないで、
見て見ぬふりをしないで、
今の私として、ひとつひとつ内側を終わらせてみたいんだ。

ひとつひとつの選択に後悔はないし、間違えもない。
ただ、終わっていない感覚があるなら、
大切な大切な学びたちを、
自分の内から外へ出し、手放していって見たいんだ。

手放すことは内へ統合することだと、実感してみたいんだ。
そういう実験の1つとして、綴ってみます。

コレも、この夏、
大切なことを大切にする
って決めた自分自身の決意からの連なり

今を大切にしつつ、
過去を終わらせていこうと思います。

まずは、
初めて社会人として働いた手術室時代のことを
点と点ではありますが、
小さな手術室ものがたりとして、私語りで綴ってみます。

医療的視点でも、看護の視点でもなく、
たぶん、妙な切り口です。たぶん、独特です。
ご興味を持っていただけたら、是非、
手術室の中に入らないと見られない、
ディープな経験を、覗きにいらしてくださいませ。

最後に、
この物語のシリーズを有料と設定させていただきましたのは、
あまりにも、
手術室の内側にいる者にしか体験できえない世界を
綴っているからであります。
あなたは、その扉がどこにあるかさえ知らないかもしれません。
扉の場所さえ知らない、
あなたの人生で内側から触れることのない世界の、
その扉の内側を綴っているからであります。



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