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追憶~冷たい太陽、伸びる月~

  • 探し求める者

  • 第38話 2111年~留めるもの

かつて長崎と呼ばれた街は、Pansyのスケッチ・ブックの実写化そのものだった。

 ある山に沿って民家が連なり、またある山にはホテルらしき建物がぽつんと建っていた。「浦上川」と彫られた石板を覗けば大きな川が緩やかに流れていた。Cocoが生前話したとおり、その川の先に大きな港があった。

 この大波止港にはCocoの知らないことが二つあった。

 大波止港にも大型客船が停泊するようになったこと、そして佐奈子の灯ともしびが微かに漂っていることだ。

 肉も骨も魚に喰われたり潮に流されていても、命の痕跡としてこの潮が覚えていた。

 Cocoが佐奈子のルーツをはっきり理解していなかっただけではない。Pansyもまた当然ながら佐奈子とだけでなく、トビヒ族とハナサキ族の混血児の存在すら知らない。佐奈子が最後の混血児だからだ。

 それでも、PansyとOliveが無傷でこの街に辿り着いたことを祝福しているように感じた。

 Pansyはその場に腰かけて、スケッチ・ブックの白い頁を彩り始めた。

「この光景を記憶に留めておかないと」

 Oliveは頷き、Pansyの左側背後に立った。道行く観光客は十七世紀の足取りを追うのに夢中で、二体に気も留めていなかった。

 大波止港より右方向には、建て替え中の駅があった。人通りがまばらな状況の改善を図っていた。かつての観光街は中世史マニアの聖地と化していた。

 二体はその後、街の細部を歩き回った。学校の数は減り、宗教系の私立が七割、公立が三割。併せても中高校で十校にも満たなかった。

 大学の数も減り、私立がわずか二学、公立はその半分だった。

 Cocoが住んでいた当時よりも高齢化、過疎化が進んでいた。

 かつてこの街に根づいていたトビヒ族が駆除という名目で虐殺されたのも要因の一つだ。

 中世より人間の混血児が常在していた街だからこそ、トビヒ族も同類に扮することができていた。

 一体の、本来の姿での胎児が公衆トイレで発見されるまでは。

 元凶スポットにも、二体は向かった。

 公園こそ残っていなかったが、トビヒ族駆除始まりの地である旨の石碑が建っていた。また政府の駆除政策と、それを受け入れた当時の知事、市長を称賛する石像までもが並んでいた。

 Oliveのトビヒ族としての誇りは傷つけられ、その誇りがないPansyは別種の憤りを感じた。Cocoの日常は、一体の胎児が明るみにさえ出なければ続いた。家族や親友を失うこともなければ、多くのトビヒ族から嫌われることもなかった。出産さえ気をつければ、人間として生涯を終えることもできた。

 Pansyのスケッチ・ブックでは、石碑が歪に佇んていた。

「事実を伝える者を探すのでは?」

「事実だ、私にとっては。杜で描いたのはあの方にとっての事実。絵心もないお前が口を挟むな」

「申し訳ございません」

 二体はその場に二時間、立ち尽くした。

 歴史の街特有の習慣を知らぬまま。


 世紀を超えた資産に固執する地域では、過去の風習や思考が世代を超えて残ることを。

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