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追憶~冷たい太陽、伸びる月~

  • 杜を巡る旅②

  • 第20話 2020年10月―桃源郷②

 アジア南部の杜では、トビヒ族と人間が複数の意味で共存していた。

 男女での割合でいうとトビヒ族は九割五分が男性、人間は十割が女性だった。

 女性は昼間であっても腰の動きを意識していた。争いの根拠が見受けられないことに、瑚子も利矢も納得した。

「アタシら、実家が貧しくてね。出稼ぎで故郷を離れた者の、生きているんだって実感したことがないよ。食べ物が満足に食べられなかったころよりもね」

 出稼ぎとは、娼婦になることだった。現地の衛生環境はお世辞にもよいとは言えなかった。女衒の指導監督は厳しい上、どの娼婦も現地の暴漢や性病から守ってくれたこともなかった。

「その結果生まれた子どもも、ここでは母親以外からも愛情をもらえる。ここに逃げ込む前に腹から流れた女もいるけど、ここでは誰も後ろ指を指さない。市場のような賑やかさには欠けるけど、穏やかなこの杜が大好きさ。杜の女たちもアタシらのような畜生人間を対等に扱ってくれるし」

 確かに、その元・娼婦はほどよく肉づいていた。

 南アジアの杜では、男女別の役割はあるものの、杜の維持に必要な分だけだった。国籍や経緯での優劣は微塵も感じられなかった。瑚子には不思議なことだが、利矢は納得していた。

 杜は元来人間の世界ではない。トビヒ族のものだ。そこに繁殖が必要となれば、人間であっても女を受け入れざるを得ない。

 追手である女衒の手下からも守る。そうしてこの杜は栄えてきた。

「それでアレなんでしょ。お偉いさんが女の子っていう。アタシらがいた国の首相で女なんて考えられなかったよ。アタシらにできることがあれば言ってちょうだい。この杜のためになることなら何だってするから」

 女性たちは瑚子を歓迎した。しかしそれは性別上の問題であって、瑚子の本質を知らなかった。

 男性のトビヒ族は不服とも驚愕とも言えない表情をしていた。

 トビヒ族であれば、歴代のグリーン・ムーンストーンが男性だということを知っているはずだが、瑚子がグリーン・ムーンストーンになった経緯までは知らなかった。どの杜のトビヒ族とも交流がなかったと利矢は見た。確かに空の穴でも、どのハナサキ族からも南アジアの杜について聞いたこともなかった。この場面で瑚子の出方が気になった。

「そこまで言ってくれるのか。強いて言うなら、互いの出身世界事情、特に不平不満に関して口を噤んでくれればよか。そがんすればこの素晴らしい故郷は守られる。子どもの教育にもよか。そいにしても、今までよく頑張ってくれた。杜に来てくれた。感謝する」

 女性たちは瑚子を囲い、抱きしめた。瑚子は落ち着いた表情で彼女たちの抱擁を受け入れた。

 女性たちが編んだ花冠をも、瑚子は受け取った。中国の杜では考えられない対応だった。

「雪平、仕事だ」

 トビヒ族と人間の姿が見えなくなると、瑚子の声が沈んだ。

 瑚子は花冠を外し、利矢に渡した。

「あの杜の裏事情を掴んでこい」

「その花冠は?」

「実害のなか。ただの花やけん。ウチには分かる」

 トビヒ族の瑚子は、植物の状態を見誤らない。利矢はその特性を信じることにした。

「で、裏とはどこまで」

「アンタ、今までウチにくっつき回っといて見当もつかんと?」

 その声に、生来の豊かな表情が感じられなかった。

「つくさ。けど相違があったらでけん。ま、お前のことやけん、互いの種族を侵害するかどうか、やろ?」

「早(は)よ行かんね」

 瑚子は利矢を見送らなかった。瑚子は孤独から自分を守る術を身に着けていた。利矢が気づかぬうちに。


 調査の結果、瑚子が憂う要素は皆無だった。

 人間は居心地がよい場所から離れがたい。トビヒ族もその習性を理解している。自分たちの生態を脅かさない程度に、人間の女性たちに寄り添っている。よほどの事変が起こらぬ限り、神跳草に頼らずとも共存できる。

「ところでお前、オセアニア……オーストラリアまではどがんやって行くと? お前のことやけん、パスポートなんか持っとらんやろうが。服装もやけど」

 珍しく、瑚子の瞼が見開いた。利矢の翼を使うという交通手段の存在を、完全に忘れていた。

「お前、そういう間抜けなトコば見せると、俺だけにしておけよ」

 瑚子は人型の姿で利矢の背に跨がり、白金の翼が太陽光を浴びた。

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