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追憶~冷たい太陽、伸びる月~

  • 巡る縁②

  • 第28話 2018年4月―光に染まって

聖マリアンヌ女学園入学時、真奈美には学校生活への期待が何もなかった。

 とはいえ、絶望を感じていたわけでもない。中学陸上部での功績があったからこそ、授業料免除にて進学できた。真奈美の両親もついて来ることで、これ以上地元で肩身の狭い思いをさせずに済んだ。何より、聖マリアンヌ女学園には真奈美を知る生徒がいなかった。

 そういう意味では佐奈子の勧誘に感謝していた。

 真奈美が感謝の気持ちを伝えるには、陸上にて時間と新たな功績を捧げられればよかった。

 あとは誰にも胸の内を明かさず、部員とも必要最小限の連携のみに留めるのみ。

 卒業まで孤独を貫く。両親が真奈美に望んでいないことを知っていても、当時の選択肢が一つしかなかった。

 部活初日、真奈美は鬱屈した考えを自ら一掃した。瑚子と出会ったからだ。

 スポーツ特待試験は、聖マリアンヌ女学園中等部と他中学出身とで日程が分かれていた。

 瑚子とは種目も分かれていた。走り方を見る限り、瑚子は短距離走向きだった。当時二年生の美鈴も佐奈子に瑚子の種目転向を提案していた。美鈴も短距離走選手なので、佐奈子への説得力もあると思っていた。しかし佐奈子は頑として瑚子をリレーに留めた。瑚子自身も、リレー以外の種目には興味がないと見た。

 そんな瑚子は、リレー・メンバー以外の部員にも可愛がられていた。

 誰もがスポーツ・ドリンクを飲み、瑚子のみが麦茶を飲む。走る部員にエールを送ると、完走後にわざわざ礼を言われる。また瑚子の出番になると、エールがグラウンドに響く。

 何より、瑚子の眼は色彩が完全なこげ茶色ではなかった。

 集団の中で異色であっても、疎外されない。後ろ指をさされることもない。真奈美の地元では考えられないことだった。

 真奈美の性的指向までは理解されないと決め込んでいた。それでも真奈美は瑚子のように、誰かに存在を受け入れられたくなった。

 しかし真奈美は同世代との関わり方をほとんど身につけていなかった。他種目選手が相手では、なおさら声をかけづらかった。

 三日間、真奈美は陸上や授業内容でもなく、瑚子のことばかり考えた。

 とはいえ真奈美には、無限に迷宮に浸る余裕などなかった。その日の授業が終われば部活の時間が始まる。特待生として全国区の聖マリアンヌ女学園に自分のレベルを合わせる義務があった。それにはまず、先の中体連九州大会優勝者のタイムを更新する。部活中はその義務と瑚子のことを両方考えられるように意識していたが、優勝者の同級生を追い抜くことができなかった。

「谷崎、村雨が気になっとか。まぁ、あいつも速かけんね。けど長距離走選手のお前が参考にせんば相手は他におるやろ」

 美鈴が声をかけてきた。すでに同じく二年生の部員に頼りにされて、一年生にも慕われ始めていた姉御肌。

 黙っていても声を掛けられる存在が、わざわざ真奈美を気にかけてくれた。

 嬉しさと驚きで、真奈美は硬直してしまった。

 それほど孤独に慣れていた。

「そいでも気になるなら、ほら」

 美鈴は、一年生が集まっている発泡スチロールを指した。

「もうすぐ村雨がバトンば握るけん、はよ行かんね。あいつの水稲は茶色、麦茶の入っとるけんね」

 真奈美に、瑚子との接触機会を与えてくれた。

 これを拒めば、瑚子はもちろん美鈴からも声をかけられなくなる。当然の心理を、真奈美は理解していた。

 美鈴に一礼をして、真奈美はゴール前の発泡スチロールに向かった。

 他走者を次々と追い抜く瑚子は、瞳孔が左右に揺れていた。考えごとをしながら走っていることが、真奈美にも分かった。それを見ていた佐奈子は納得したように両方の口角が上がっていた。

 実際に瑚子はいかにスピードを落とすか考えを巡らせていた。世間に注目され過ぎないよう、日ごろから正晃に言われていたからだ。その理由を、陸上部の中では佐奈子のみが知っていた。

 真奈美は、瑚子が考えている内容を気にしていなかった。涼しく柔らかい風が瑚子を包んでいるように見えて、意識を持っていかれていた。

 瑚子がゴールに近づくほど、その風も真奈美との距離が縮まった。真奈美のすべてを許してくれるかも、と期待が膨らんだ。

「おつ、お疲れさま、です!」

 麦茶の入った水稲が真奈美の緊張を体現していた。

 両手で握られて震え、発泡スチロールの中に張った氷水と空気の温度差で発汗量が目に見えた。

 瑚子は呆けて、五秒ほど真奈美を見つめた。水筒を受け取ると、瑚子は微笑んだ。

「ありがとう。でも敬語ば使わんでよかよ。同じ一年やろ? 去年部員の皆で、他校に凄か人の居るねー、って話しとったと。九州大会の長距離走で準優勝しとったやろ。高校で一緒に陸上ばできて嬉しかぁ。谷崎さん、よろしくね」

 市外に住んでいた中学時代ごと、瑚子は真奈美を受け入れた。

「天使ばい」

 この瞬間から、真奈美には目前の不安が見えなくなった。

 翌日、瑚子は真奈美を愛称で、真奈美は下の名前で呼び捨てるほど親しくなった。瑚子への親愛表現に躊躇いがなく、それがかえってクラスや陸上部での印象がよかった。鑑賞対象としてならば、真奈美は愛されキャラクターになった。出身地で過ごした時間を思い出す暇もなくなり、谷崎家での話題はほとんど、それぞれが長崎市で過ごす日常に塗り替わった。


 もえぎ色の光に染まって。

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