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追憶~冷たい太陽、伸びる月~

  • 杜を巡る旅①

  • 第7話 孤独の杜⑦

「この、能無しが!」

 胃に溜まった熱に耐えきれなくなったのは、三族長の妻とその息子嫁たちだ。

 自らの夫を踏みつけて、足裏の温もりを押し付けた。

「なぜ温かい? 本当に、地中に熱が……?」

「子どもたちの安全のためだと思って大人しくしていたのに、とんだ恥をかかせられたよ。せっかく覚醒した力も使いこなせないようじゃあ、付いているだけで偉ぶるお荷物なんか要らないよ!」

 妻たちは夫の腹に向けて唾を吐いた。夫たちは妻にさえ感じ取れた熱を知らないと思い知らされた。

「このお方は間違いなく、あんたなんか比べ物にならないほど格上だよ。あんたがうんともすんとも言わせられない神跳草を、あんな遠くの根を使って従わせたんだ。ほら早く謝んな!」

 妻たちは夫の襟を掴み、砂粒に叩きつけた。さすがの瑚子も言葉が出ず、ペール・カラーよりも色褪せたオレンジの頭皮を哀れに思った。かつて瑚子の継母は家の切り盛りを夫に任せられていたが、瑚子の実父は目前の男たちのようにないがしろにされたことがなかった。

 少なくとも、瑚子の視界では。

「ご無礼を重ねて申し訳ございません。こんな大バカものですが、私たち家族の貴重な養い手なのです。どうか家族の領地だけは……グ、グリーン・ムーンストーン様」

 妻たちは膝を揃え、伏せる夫の横で頭を垂れた。しかしさすがに日本人のように膝を地に着けて腰まで前屈することはなかった。

 子どもたちの中でもようやくランク付けに整理がつき、自分たちの父親と母親を挟む形で立ち、柔らかい髪を静かに垂らした。視線の先では母親が心から懇願しており、自らの行動の正解を求めていた。

 瑚子は母親側につく子どもたちに既視感を抱き、どのトビヒ族とも視線を交える気にならなくなった。家庭内格付けには種族など無関係だと分かったからだ。

「は、ウチは領地など……」

「初めからお前たちのモノでは無か。勘違いすんな」

 瑚子と三族の妻との間に、霜柱が細長い線で隔てた。地上の天の川に例えると貧弱だが、散りばめられたカスミソウと思えば少々の冷気に耐えられるほど綺麗な白だった。

「あ、ちゃんと吐いてきたと?」

 カスミソウもどきに沿って近づいたのは、瑚子をこの杜に連れてきた利矢だった。

「こン気は……人間ではなかけどこの領地、じゃなくてこの方に手を出すな。お前、何者だ?」

 瑚子に傅いていた夫人たちが顔を上げて、瑚子の前で左腕を差し伸ばした。子どもたちは母親の尻に頬を押し付けて、片方の目で利矢を凝視していた。

「一体、何世代にも渡って孤立してきたとやろうか。そがん様子だと、過去のグリーン・ムーンストーンがお前たちに各領土を預け、管理を任せたことも忘れとるっちゃろう」

「預けて、だと?」

 利矢は瑚子ではなく夫人の一人と視線を合わせて、顎で空気の弾を吐いた。相手は王ワンの最年長妻だった。

「自然を破壊し続ける人間に辟易する気持ちは分からんでもないが、だけんって任された領地外のすべてを敵視するのは感心できん。こン地ば覆う我らの住処をも穢されて、先代までのグリーン・ムーンストーンにも我々にも失望されたと見える。だけんこの裸眼のこともクリア・サンストーンの存在も知らん、違うか?」

「まさかその赤い虹彩、アンタは……いや、貴方はハナサキ族? 族長? しかもちゃんと、まぁ!」

 瑚子を庇っていた夫人が膝と足の甲を砂粒に着け、両手の平全体で地面の砂粒を圧した。額を手の甲に落とすと、年少の族長夫人と若い母親が一斉に同様の姿勢で利矢に傅かしずいた。

 王の子どもたちも母親たちの真似をすると、李(リー)と黄(ファウン)の女たちも王の夫人たちと子どもたちに続いた。三族の下男たちは主人に傅く姿勢と変わらないが、状況を把握するのは三の族長よりも早かった。

 最後に族長三体が利矢の足元にひれ伏した。

「いやはや、先のグリーン・ムーンストーンではなく……他ならぬ現クリア・サンストーン様が我々を気がけてくださっていたなんて」

「現グリーン・ムーンストーンは貴方様が兼ねていらっしゃ——」

 李と黄の長が利矢の膝に縋る前に、利矢が二体のわき腹を蹴飛ばした。

「本当は翼で吹き飛ばしたかとばって、人型の姿でもここの空気が障るけん」

「あの、夫が何か無礼でも?」

 夫人たちが自分の夫を拾いに向かい、利矢から離れたところで夫の上半身を支えて訊いた。

「そうか、この忌まわしい空気で脳までやられてしもうたとか。俺が神々の代表であるからといっても、流石に手遅れだばい。現グリーン・ムーンストーンが生み出した神跳草で家族ば守れん、痩せた木々や土を回復させることもできん。そいでよく覚醒したと言えるものだ」

「や、しかしクリア・サンストーン様。お言葉ですが、その原因は人間どもの侵略に原因がありまっひ!」

 王が顔を上げると、王の膝が触れる砂粒のみが急激に冷えた。霧を拡散させるだけの王(おさ)でも利矢の力には耐えられず腰が反れた。

「人間だけが悪いとは言った覚えがないがはなかけど? 人間社会に生きながら自分たちが生き残ることだけば考えていたトビヒ族と我々ハナサキ族にも非がある……って、理解が難しかっちゃろう。仕方がない(しょんなか)けん、お前たちに分かるごと三つだけ教えてやる」

 他種族に対して傲慢に振る舞う利矢(クリア・サンストーン)と乾いた眼で許しを乞う三族のトビヒ族。

 瑚子が心から懇願されなかった理由を察していたが、本人(グリーン・ムーンストーン)が実像で現実を見せつけられるのとでは衝撃に重みが違った。


 瑚子は覚醒した力だけで動いていた自分が悔しくなった。

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