2023年4月1日

今日から4月。

大学を1年間休学していた関係で、今年も大学に通う。

大学生活5年目で、これが最後の大学生活の1年間になると思う。

本来であれば、今日から社会人だったのかなって考えることも少しだけあるけど、
今の自分は、大学という環境で過ごした方が、見えるものも多いだろうし、1人の人間としての価値を高められると思うから、
休学をした選択に後悔はしてない。

なんか今は、本当にフリーというか、
2019年の4月に大学生活が始まった時と全く同じ感覚。
色んな意味で、「何も持ってない」。

でも、積み重ねてきたものは確かにあって、そういう意味では、2019年の時とは明らかに違うかなって思う。

今考えると、2019年に大学生活がスタートした時、自分が何を考えていたのかが全く想像出来ないくらい、これまでの4年間で積み重ねてきたものは多い様に思う。

積み重ねてきた経験や思考、価値観を総動員して、これからの自分の進路だったり、生き方を考えていけたらいいなって思う。

これまでの大学生活の4年間を経て、
形成された、仕事選びの軸があるとするならば、

「自分自身が商品となり、自分自身の価値が選ばれる仕事」がしたい。
というふうに思っていて、
4年前はそんな事一切考えていなかったから、この考え方に辿り着いたことは一つの自信にしていきたいかな。

半年前くらいから、「本質」を見つけようとするクセが付いてきて、
人として本当に大切な事だったり、人生において本当に大切な事は何か?という事を思考することが増えた。

その時の思考と、将来の自分の仕事や生き方は、地続きで、延長線上にあると思う。
だから、今日の自分の思考や行動も、将来の自分の思考と行動に繋がっていると考えると、
一見何の変化が無い日常にも、意味があって、価値があるんだなって思える。
そう思うと、モチベーションが上がるというか、ちゃんとしないといけないなって思う。

人として大切なことや、人との向き合い方、自分自身が本当に求めている姿、
自分自身が本当に大切にしたい事などは、去年から始めた就活のおかげで大分明確になってきている。

主体としての自分自身は、大分はっきりとしてきたから、
あとは、自分がどこで生きていくか、どこで働いていくか、どのように働いていくかを決めるだけだなって今は思う。
でも今は、それらが全く明確になっていないからとても不安。

もしかしたら、この不安という感情は、
感情の形は違えど、
同年代の人たちは持っているのかな。

なんか生きてると、自分だけが上手くいっていなくて、自分以外の人たちは全員上手くいってるように思えてしまう。

そういう意味で、大学で、深い話が出来る
友人を作ろうとしなかったのは失敗だったなって思う。
別にそのために友人を作るわけでは無いけど、実際、そういう話ができる友人が居ないという事実だけ見れば、そこは失敗だと思う。



今、自分が不安と戦っていたり、生き方に葛藤していたり、
レールの上をなんとか外れないようにしがみついていたり、

そういう努力や苦労、辛さは、いつか報われる日が来るのかなって、
それが一番不安。

なんなら、いつか来るその日を楽しみに、今の不安や辛さとなんとか戦ってるまであるから、
その辛さや苦労が報われないことが一番怖いかな。

何を持って報われるのかとか、それすら明確に定義出来てないから、もうなんかよく分からないんだけど、

今年度はもう少し、自分の「本音」に耳を傾けて日々を過ごしていきたいなって思ってる。

極論、他人から見れば、自分が生きていようが、死んでいようが関係無いし、
だったら、自分の気持ちに正直に、好きに生きてみようかなって思う。

誰も自分のことなんて見てないし、興味もないんだったら、
自分の好きなように生きたらいいんじゃ無いかなっていうのは、きっと一つの「本質」なんだろうと思う。

だけど、人生には「レール」があると思っていて、そのレールから大きく外れてしまうことも怖い。
そう思ってしまうという事は、
他人は自分のことを誰も見ていないとかそういうことではなく、

自分自身が、「真っ当な人生を送りたい」と思っているからこそ、見える「レール」なんだろうと思ってる。

なんか、いまいち言語化できてないから、文章がめちゃくちゃだけど、結構素直な感情と思考を文字に表したら、こんな感じのブログになりました。

「自分の気持ちに正直に生きる」のと、

「レールから外れないようにする」こと。

合体させると、

「レールの上から外れないように、自分の気持ちに正直に生きる。」

これが、今現在、自分が人生でやるべきことというか、大切にしていきたい「本質」になるのかなって思ってる。

最近思う事で、「自分って、なんなんだろう」ってよく考える。
人生の意味とか、生きることの意味とか、そんな事ばかり考えるけど、
どうしたらその思考から抜け出せるかもわからない。

ここまで苦労したり、辛い思いをしてきたのだから、それなりの成果を出して、「何者か」になれないと、割に合わないって、自分が思っているから、そういう考えになってしまうんだろうな。

文章が長くなりすぎたから、今回のブログはここまで。

とにかく、今日が2023年の4月1日で、
今日から、大学生活の5年目、最後の1年が始まる。

どのタイミングで、この文章を、
「ああ、こんなこともあったなぁ」って、スッキリとした気持ちで自分が読めるようになるのかは、今は全く想像がつかないけど、

いつかその日が来る事を信じて、
出来る限り、自分の感情に正直に、
自分が本当にやりたいことや、大切にしたい事を、
今年は大切にしてみたい。

それがきっと、1人の人間としての価値に繋がると思う。
自分にベクトルが向いた、一個人としての価値ではなく、
他者に対して、何かの価値を提供するという意味での価値に繋がると思う。

例えば、自分自身が辛い経験をした分、
他人の辛さに、他の人よりも深く寄り添えるとか。
そういう意味での価値に繋がればいいなって思う。


長くなりすぎたけど、
今回のブログで一番大事だなって思う事を最後にまとめると、

「自分の気持ちに正直に生きる」という事。

他者と共存している限り、とても難しい事だと思う。

だけど、これまでの大学4年間では、その思考が出来なかったからこそ、苦しかったのかなって思うから、
今年は、その思考にチャレンジしてみたい。

その中で、自分の成長だったり、価値だったり、大切なものを拾って行けたり、

そういったことに繋がればいいなって思う。

そして、積み重ねてきた価値を、
自分が本当に大切だと思った人、一人ひとりに、なんらかの形で価値提供出来たら、一番理想だなって思う。

とにかく、自分に価値を感じてくれたり、自分のことを大切に思った人に対して、
丁寧に言葉を選びながら、誠実に向き合うという事を大切にしたい。

その人たちが、自分と関わって良かったって、少しでも思ってくれたら、本当に嬉しい。

最後に書いたこの一文が、自分の仕事選びだったり、仕事をしていく中で、
もっとマクロ的な視点だと、生きていく中で、
大切にしたい事、やりたい事、成し遂げたい事なのかなって、現時点で思います。




「今日の俺よりも明日の俺を好きになって欲しい。」

冬月グループの年間表彰式で、
YGGDRASILLの右京遊戯さんが仰っていたこの言葉を、
いつか自分も、誰かに対して、心から自信を持って言える自分になるために、
また今日から1日、1日を大切に、
自分の価値と人間性を高める事を意識して、過ごしていきたいと思います。

少しでも、右京さんに近づけたら良いな。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます!!

今年は、noteブログを最低でも月10投稿していくつもりです。

「思考の言語化」は、すればするほど自分の中に落とし込まれていくものだと自分は考えているので、
多少めちゃくちゃな内容になってしまったとしても、ブログ投稿を積み重ねていくことに意味があると思ってます。
インプット→アウトプットのサイクルをとにかく回して、思考を完全に自分の中に落とし込みたい。

いつかこのブログを、心が軽い状態で、
「ああ、こんなこともあったな」と、懐かしい気持ちで見返せる日が来る事を願って、
2023年4月1日のブログを終わります。



2023.4.1(土) AM5:33

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?