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旅の終わりはいつだって

車内アナウンスが告げる旅の終わり。
人という人がごった返す新大阪駅。
旅の終わりはいつだって、幾ばくかの寂しさを携える。

そんな書き出しを描いたのはもう1ヶ月も前のことだろうか。佐久良ソラという、少しおかしな愛すべきミュージシャンの友人に招いてもらい、竹馬の友である芳仲悠人と山口、大分でライブツアーを敢行した帰りだったような気がする。

それはそれは楽しい旅だった。
僅か遠方で鳴る我が音楽の、彼の音楽の機微に一喜一憂出来る素敵な夜だった。その朝も昼も素敵なものだから、すっかり僕はその街々を好きになってしまったものだ。きっと我々は奇跡のような数刻を忘れないし、必ず恩返しに還ることをここに約束しておく。なんなら後日、愛しの友に吉報が飛び込んだものだから、我々は嬉しくてたまらない。改めておめでとう。大阪に来い。祝う。

さて、散文を散らすのは彼の地高知である。言わずとしれた我が盟友の片割れの出生の地。言うなれば酒の孤島。

この駄文を果たして誰が楽しみにしてるのかと慮ると(期間が空いたのもあるが)、いささか蛇足が過ぎる気もするが、何も綴らないままに卯年を終えるのも如何なものか?とフリック入力をフル稼働させている。

兎にも角にも、話は冒頭に戻るが、旅の終わりはいつだって幾ばくかの寂しさを携えるものである。それは仕事であっても、だ。
現職も短くは無いので、得意先様と飲む酒にも旨味は加わる。高知県で旨い酒とおでんを出す店が知りたければ、聞いてくれたらいい。秒で返す。牛すじの「牛」がそこに漬かってていいレベルに無い。ショーケースに並ぶ酒酒も素晴らしい。ああそうさ、限りなく放置していた駄文記録を更新したいがために、酔いに任せて綴っているに違いない。言うなれば「連れてってもろたおでん屋くそ旨〜〜〜〜〜」である。

ただ、ここまで読んだ君とは仲良くありたい。旨い飯と酒に餓えているのだろう。幸いだがあてはある。共に行こう。フォース(酒)があらんことを。





良いお年を。

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