実力も運のうち
おはようございます☀
好きな歌手だったり、その歌手の曲で一番好きな歌は何かと聞かれたときに、本当は「Pretender」だとか「君はロックを聴かない」だとかが一番好きなのに、なぜかカッコつけてマイナーな曲を言ってしまう時があるのですが、この現象の原因究明のためにそろそろ科学的なメスが入るんじゃないかと思っている須川です。
さて。
今日は日本に住んでいるとなかなか意識することができないとってもとっても重要な話をしたいと思います。
テーマは「すべてが運の上に成り立っている」
参りまーす。
▼絶対的貧困者は日本にいない
少し過去を遡ってみます。
小学生の頃は勉強なんて全くせずに遊んでばかりいて、中学に上がると部活に思いっきりのめり込んで受験直前まで部活動を行っていたので、受験勉強は受験する高校の受験2ヶ月前から始めて、高校でも同じように部活に熱中して受験日の4ヶ月前から勉強開始といった具合にとことん勉強から縁遠い人生だったわけですが、なんとか生きています。
自慢話をするつもりはなくて、こうやって生きてこられたのは、2ヶ月前や4ヶ月前から勉強しても間に合うくらいの状況に自分がいられたおかげだと思っています。
ここまでの話だと少しわかりづらいと思うので一言で言いたいことを言うと、「努力でどうにかなるだけの環境にいられる時点で恵まれている」と言うことです。
この問題は日本にいると感じづらいかもしれません。
今日もフィリピンのスラム街には読み書きがまともにできない状態で、農作業をしている少年がいます。
彼らに「努力して勉強して進学した方がいい」と言ってもそれは無茶な話で、彼らの置かれている環境はそもそも「努力でどうにかなるだけの環境」ではないんです。
資本主義社会において下流階級から中流階級もしくは上流階級に行くには、必ず勉強が必要です。これは学校の勉強だけの話ではなくて、お金の勉強であったり、価値の勉強であったり、心理学であったりと多岐にわたります。
日本でも貧富の差はありますが、全ての国民に義務教育が保障されていますし、努力したらある程度までのレベルまではいけるようになっていますが、スラム街の少年にそのチャンスはないわけです。
それって悔しくないすか?笑
僕がやりたいことのルーツはここにあります。
▼自分だけが勝つことに全く興味がない
さらに一歩踏み込んだ話をします。
今度は日本国内をズームしてみた話。
僕らは前提として先ほどはお話ししたように、全ての人に教育の機会が保障されていて、努力をすればある程度のところまでは誰でも登れるような環境があるとっても幸運な島んちゅです。
ただ!その中にもさらに運が絡んでくるわけです。
家庭環境によってこの国でも個々人の教育レベルに雲泥万里の差が生まれます。
家庭環境が原因で、大学進学をせずに高校卒業で社会に飛び込むと言う選択肢しかなかった人もいますし(大学進学が正義と言っているのではなくて、あくまで教育の機会が家庭環境によって本人の意思にかかわらず損なわれているケースや状況があると言うことです)、もっと言うと、自分自身で努力はしてきたものの、塾に行くお金や参考書代が捻出できずに自分の狙った場所に行けなかった人もいます。
東京大学の学生の約60%が世帯年収950万円以上の家庭で育っていて、親の年収や学歴と子供の学歴は確実に比例関係にあるのが現実です。
ハーバード大学の親の平均年収なんて1600万円ほどです。
ここで僕が言いたいのは「高学歴の人たちは親に感謝しろ!」と言うわけではなくて(感謝はしましょう笑)、せっかく努力が報われる可能性がある環境を“運“で得たのだから、「残酷な社会での生き方」だとか「お金持ちになるには」なんて考えるのではなくて、「どうしたらより万人に優しい社会になるか」を考えるべきであると言うことです。(これが言いたすぎる!)
その想いを胸に行動を起こした結果、社会を少しでも優しくできるかどうかはまたそれも“運“の話ですが、その想いを持って行動し続ければ周りに同じ想いを持った人を増やすことができるのは間違いなくて、それだけでもその想いを持ち続けることには意味があると思っています。
多くの人が同じ想いを持った瞬間に、世界は一歩前に進むんだろうなあなんて思っています。
誰か僕に巻き込まれてくれないかな^_^
お読みいただきありがとうございました!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?