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水曜日、桜の木の下

どうも、田邊です。

久しぶりに自分のホーム(ブログ)じゃない場所で書いてみたいと思いまして、こちらにやって来ました。

僕はネット上にだって確かに「場所」というものが存在していると思っています。
でもネットはやっぱりバーチャルなので、それは完全に想像の世界でしかありません。しかし、これだけ多くの人間が共通認識を持っていれば実際に一繫ぎの大秘宝があるかどうかなんて関係ないんじゃないでしょうか。

捕まった新井浩文さんも仰っていましたが

「相手がそう思うなら、そう」

だと思います。
だから今この文章を書いてるときは独りですが、
今この文章を読んでいるあなたに僕の存在を感じてもらえれば、ひとまず成功です。ありがとう。

2019年も3月が終わろうとしています。
上野公園の桜はまだまだ咲いていませんが、それでも花見をしている人はいて、それをネタにしてるTV番組も来てました。

桜が咲いたらこのネタは滑ります。
桜が咲いたら我々の何かが変わるからです。

今日はそんな予兆を感じる春分の日です。
春を分ける。なんだか寂しい気持ちになります。

でもそれは桜の綺麗さと、桜が咲いて散るまでにかかる時間が忘れさせてくれるようです。

この季節のお別れは桜によって完成するように思います。この花は誰の為にも咲いてない。だから勝手に散っていく。桜の木の下に思い出を置いてくる花見という行為は、我々には必要なんじゃないでしょうか

今年も桜は綺麗そうですね

全然関係ないけど、この前行った友人宅のキッチンがとても一人暮らしっぽくて好きでした。

おわり。

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