せっけんの香りという嘘、その二
せっけんの香りというものは、本当は存在しないという話から。
清純さ、家庭的、清潔感といった「安全」さが全面に押し出されたイメージの香りであるところのせっけんの香りは、なんとなく野の花のような人の手を加えていないイメージがあるけれど、これほど人工的なものはないんだぞっていう話。
ここではナチュラルメイクという化粧法のアンビバレンツについても触れなくてはいけない。
アンビバレンツ。相反するふたつの気持ち。
つまり、ナチュラルメイクとは、まるで化粧などしていないかのようにきっちり化粧をするというもので。
自然さを目指して、あり得ない色を顔に塗っていく訳です。
透明感を出すために、パープルのパウダーをとか。
そんでもって、男ウケする女子アナメイクっていうものがあって、塗っていないかのように塗る。
生まれた時から美少女だった子が、美女になって、すれてなくて化粧もあまりしていないみたいな、髪も派手に染めたりまいたりしていない素直な…って感じの、あれです。
素直そうな眼つき、幸せそうに上気した頬、つやのあるくちびる。
あれ、ほぼ全部人工物ですね。
実は、せっけんの香りもそれと同じで、うまいこと作り込まれ、なおかつ絶妙に薄められた人工的な香りなのですね。
人工的な華美さを感じさせない、という人工的な清楚さ!
それにコロッと転がされて「純真でせっけんの香りがしそうな」と形容される美少女は、安いシャンプーの匂いなわけです。
ナチュラル、天然というフレーズにずいぶん長い事騙されてきていますが、どれもこれも人工的な天然風がほとんどで……
人工が悪いわけじゃないです。
という事に気づくのに、ずいぶん時間がかかってしまったし、今でも「天然」というまやかしに振り回されている人は多い。
それほど強烈な、広告の力だったという事です。
実際、本当に天然のものはすぐに腐るし長持ちしないし、色あせるし、すごく厄介。人工物は、それをうまく加工して必要な状態にしたものだから、悪いものじゃないんだけど。
だけど、一時期の環境汚染なんかの問題から過剰に怖がる人もいるし、実際問題になっていることもたくさんある。それにつけ込んだ商売も多かった。
そして、原発問題は、環境汚染とかいうレベルの話ではなく、日々傷は深くなっていっている……のかもしれない。
それらに反抗するように、天然がいいという人が多くなるのは仕方ない。
けれども。
純真さを突き詰めていくほど、人工物になっていくというあれはなんなんだろうか。
オリエンタル工業のセックスドールが、どれもこの上なく無垢で清純そうな顔つきをしているのと同じ構造だろうか。
そして、せっけんの香りは、それらの象徴でもある。
完全な人工物による清純さ、無垢さ。
せっけん水が少しでも混じった水では、魚は死んでしまう。自然物にとっては毒にもなる。
一般的なイメージとしてのせっけんの香りの裏には、これだけのひどい嘘がある。それを、唯々諾々と我々は受け入れてしまっている!純真さというまやかしを全く見破ることができずに!
つくづく、純真さというのは、恐ろしいものだなと思うのです。
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