本当の事を言うとなにひとつ悩んでいない
このところ、ずっと悩んでいたし、それこそ電車に乗ると倒れそうになって結局家に引き返したりするような事態になったりしていた。
でもね。
わたしは本当は、悩んではいない。
悩んでいるポーズをして、物事を忘れないようにしたり、やりたくないけどやらなきゃいけない事を覚えて置いたり、まあ、そういう事のために「悩む」という行動を使っていただけだった。
悩んでいれば、丁寧に考えていたかのようにも見えるしね。
実際に丁寧な思考や、丁寧な感覚は必要なんだけど、それと悩むことは別だ。
できる事と、わからない事のどちらかしかない。
わからない事を悩むことは、本当はできない。
できないとわかっているから、悩む必要なんかない。
誰かのために悩んだポーズをする、という対人関係の作り方の癖が自分の思考の中まで侵食して、悩んでないのに悩んでいるようなふりをしてしまって、本当に悩んでいるんじゃないかって勘違いしてしまっていること。
それが起きている。
わたしが悩んでいる時は、どれが一番利ザヤがいいか天秤にかけている状態か、本当に自分じゃできなくて、人に頼むにせよ金がかかってとりあえず止まってしまっているけれど自分でできなくもなさそうなっていう、そういうめんどくさい状況から逃げたいというような時だ。
グレーの状態でペンディングができるようになるのは、本当に年齢を重ねてできるようになった思考なので、これがあれば悩むことはもうない。
「はい」か「いいえ」か「わかりません」だけなのだ。
それを悩むことはない。
ただ、そのどれもがストレスにはなり得る。
だから、わたしはまだ器が小さくて、ちっぽけでチンケなことでうだうだと悩んで気絶しそうになって、正気を保つのに精一杯なのだろう。
でも、このゲームにはわたしの正気を賭け金として賭けた。きっとそれが手元にある一番私にとって価値のあるものだったから、だと思う。
掛け金は一度手元から離れるのだ。絶対に。
(ギャンブルしたことないけど)
そして帰って来た時、そこからがはじまりだ。
賭けたものがそのまま帰ってくるだけでは意味がない。利益を持って帰ってこなくては。
わたしは悩んでいない。
ものすごいストレスはあるけど、それは「悩んで」いるわけじゃない。
自分の器以上のゲームの場に立った、という証拠だ。たぶんね。
すべてが想定内のゲームはしてはいけない。
それはあまりに小さなゲームだからだ。想定の範囲内のゲームなんか、どっちかというと損しかしない。
さて、年間これだけ売って、これだけ年商ができて、新しくこういう商品を作ってこんな感じで売れていくっていうのは決まっているのだけれど、どうやったらいいかはわかりません。わからないけど、いつもどうにかできたしね。なる訳です。
やり方がわかっているゲームなんかゲームじゃない。
作業だ。
ストレスはあるけど、別に悩みではない。
(なんか個人的にちょっと吹っ切れた。自分に素直になれたというか。ビールは偉大なり)
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つよく生きていきたい。