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うまいだけじゃダメみたい。デ・キリコ展

なんとか観に行けた。デ・キリコ展。
わかるようなわからないような、デ・キリコ。

ほとんどの日本人がそうであるように(主語デカ)、ルパン三世の映画でデ・キリコとファーストコンタクトを果たしているので、どこか「西洋絵画の大家のひとり」というイメージが弱かった。
あの車輪を棒でつついて転がす遊びも、やったことはなかったけど、似たような遊びはたくさんあったので、絵画の中の風景に見覚えはないけど似た感覚は伴っていた。


知らないが知ってる。

それがデ・キリコ作品の感触だった。

のだけど。
実際に見てみると。

ただのめっちゃ絵がうまい人だった。
特にまだ初期の頃は、普通にめちゃくちゃ絵の上手い人という感じ。

その頃流行っていたベックリンを真似たりして、その時代の若者らしい痕跡。(ベックリンはヒトラーが執務室にずっと飾っていた絵の作者としても有名)
その頃の流行りと、ギリシャ生まれのイタリア人という個人的な国際感覚(ヨーロッパのみの国際感覚だけど)が入り混じった、ユニークではあるけれど、そしてめっちゃ上手だけど、「普通」。

のちに彼は形而上絵画とシュルレアリスムからポップアートの源流にまで登り詰めた、デ・キリコになるのだけど、その前はそうではなかった。

うまいだけじゃダメってよく言われるし、なんかそれもわかるけど上手くない方がいいならなんでみんなあんなに練習させられるのかなと思ったり、わかるようなわからないような、嫌な感じがある。
でも、デ・キリコを見ていて、うまいだけじゃだめなんだなってはっきりと思ってしまった。

彼が、絵画表現でどこか視点がズレた奇妙な絵を作り出し、その時代の感覚をビジュアライズできて、さらに時代の中心をなしていた人たちから支持された、というところまで持っていくことができて、デ・キリコが生まれた。

うまいだけじゃダメ、社交も人気も必要、ニーズにも応えて、ウケなくちゃいけない。そのせいでのちに身内のゴタゴタなどでめっちゃディスられたりと大変なこともあったらしい。

だけど、絵を描くことではなく「芸術(主に絵画を用いる)」を志した結果が、そこにずらりと並んでいた。

展示会場も面白かった。
モチーフの広場やアーチなどがあちこちにあり、なんでここに?ってところに細い窓が開いていたりする。
その窓も、手前と奥の長さが違うのか、それとも同じ直線だけどライトのせいか、私の目のせいか、なんだか変にズレているように見えた。
絵の中のズレた構図をそのまま外まで持ってきたような。ベタ塗りの青や黄色。みんなあの広場に迷い込みたいと心のどこかで思っていた感覚を、スーッと表に持ってきてくれた感じの会場です。

それから、彫刻や挿絵、舞台美術まで並んでいたのもよかった。
これで稼いでらっしゃったんですね、みたいなのがわかる。

そして、画風の変化がわかりやすい構成で、とてもビビッドに伝わってきた。
新古典ブームの時の「えっ、デ・キリコ先生だいぶ変わらはったねぇ?」感。
どんどんポップアート感が出てくる後年の「勢いはあるけどなんか雑、でも大家だからこれでもいけるんやろね?」みたいな揺らぎ感。

人のごう!!業がすごいです。
あと、働き者。絵を描いて稼いできました、って感じがとてもある。
古典的な工房作品ではなくて、個人に作家性とブランドを認められた近代の画家って感じがひしひしとあった。そうなると馬車馬のように働くしかなくなる。

なんか………いい意味でも嫌な意味でも、人間的。

絵がうまくなければ絶対ここまでこれない、でもうまいだけではここまでこれない。
みんながどこかなんとなく理解、共感できる感覚を呼び起こせる表現力。
でも例えばエロなどは割と簡単に共通の感覚を呼び起こせるけれど、そこまで即物的ではなく、かといってポピュラーの枠の範囲内で、さらにそれを感じた側が自分は芸術性があるとか知的だとか、なんらかの自尊心をくすぐるような……そこをバチコーンと叩く。その時にやっと絵の技術が生きる。
順番としては、みんな絵の技術から身につけて、そのあとに個別の芸術性の話になるけど、ほんとは順番が逆なのだろう。
だから、教育の結果、芸術性から離れてしまうというのはあるあるなんだろうなと思った。

デ・キリコは、ちゃんと芸術性に辿り着き、芸術的な教育のない者にまでわからせた。

若い頃は、勢いと才能でそこにいくのだと思っていた。今は、ネゴシエーションとプレゼンテーションだよね(……めんどくさ)、と思う。
もちろん技術と才能があった上で、だ。
才能技術があって、それだけでは足りない。
せちがらい!

芸術性はそれぞれにあるが、人気のある芸術性はシンプルにわかる人が多いものなんだなと再確認した。
わかりにくい抽象画より、わかるモチーフを組み合わせるデペイズマン(手術台の上のこうもり傘とミシンの出会い)の方が意味不明でも、意味不明さがより伝わりやすい。
芸術の民主化というか、ポピュラー化。

で、すごいなと思ったのが、デ・キリコは流されなかった。
いや、流されたところも結構あったと思うけど、画風をつらぬき切った。

多分、そういうのが芸術家としての役割なのかなとも思う。
クライアントがある仕事だと、忖度する。あわせて曲げていく。
でも、主体は自分で制作をしていくのが軸になっている人は、それをやったらダメで、むしろお前が合わせてこいよくらい言わないといけない。
この立ち位置の取り方も、またなんとも言えないむずかしさがある気がする。でも昔の画壇みたいなものは、そういうことは考えなくてもよかったのかな。今の絵がクライアント仕事なのが一般的な事情とは違ったのかもしれない。そこらへんはよくわからない。
が、とにかく、一般ウケするけど忖度しない、というスタイルで、デ・キリコは揺るがないものになった。

若手からも高く評価され(若手というか、アンディー・ウォーホールとかだけど)、若い時代にシュルレアリスムの元祖で終わらずに、老境と言ってもいい時代には次のポップアートの元祖にまでスムーズに移行していった。

始祖になるのも、自分のスタイルをつらぬいた結果かもしれない。
自分のスタイルを貫く自分勝手で協調性のない人はたくさんいるんだけど、それにフォロワーがつくレベルの人はそこまでいない。
でも彼はそうなった。
その理由は、やっぱり絵が魅力的だったんだろうな、って思った。
クリエイターほど掻き立てられるものがある、デ・キリコの絵。
美術芸術に興味がない人も、デ・キリコの絵は興味を持つ。

意味がないといいつつ、めっちゃ意味深。
すべては謎といいながら、答えがありそうすぎ。

巧いだけじゃダメ、でも面白いだけでもダメ、人気がなければダメ、でも身内のノリに忖度してもダメ、なにがダメなのかはなんとなくわかるのだけど、じゃあどうしたらいいのかというのは、いつもはぐらかされてしまう。
その答えを、スパーンと真ん中で通過していった作品たち。

で、我々はデ・キリコの真似をしたらいいのかと思えば、真似をしてもダメなのだ。デ・キリコの後には、マグリットもダリも、キース・へリングもいるけれど。その並びに並ぶのが正解なのだろうか。(そもそも並べないという現実は置いておくとして)
ここもまた、答えはないが、デ・キリコの答えはこれだというのだけが並んでいる。

お前の答えはここにはない。ここにはデ・キリコの答えしかない。

お前はお前のイタリア広場に行くしかない。
お前のイタリア広場に出会うまで、その秋の影の長さに出会うまで、お前はお前の世界を生きるしかない。その間、技術を磨いて損はない。

でも、戦争がないとはいえ、それはそれで大変な道のりだ。






つよく生きていきたい。