戦略のなさ、あるいは心の走る方向とそのスピード
ただ好き勝手に文章を書いている。
書くことで整理されていく事もあれば、だた書くことが私にとっては音楽でありリズムでありメロディであり、あるいは時に香りや肌触りや温度がある。
それを楽しんでいる。
が、文字にすると、それは形を持って、他人にも触れる事ができるものになる。
noteは好き勝手に書いている。
でも戦略的に書いたほうがいいのかもしれない、とたまに思う。
ただ、それはそれで息苦しいので嫌なのだ。
素敵で役立つ内容、
エキサイティングな体験、
詩的なもの、
いろんなものが文字として現れ、言葉になり文章になる。
それで、お金を効率よく吸い集めるような構成を作り出すというのも、それはひとつの楽しさであり面白いゲームであり、ゲームというのはすべからく表現でもある。
とはいえ。
そのゲームが、ちょっとめんどくさいなって思っているのが今の自分だ。
私はすっかり疲れてしまっていて、エネルギーのある文章が書けなくなっている。残念なことだ。私の人生は、生きるということは、半分くらいはこの文章を書くということが支えている節さえあるというのに。
すごく、悲しい。
生きる事の力をすっかり、どこかに置き忘れてしまったようで。
またいい文章を、いや、誰かの心を一撃で奪うような文章を、魂を殴りつけるような文章を、書くのだ。
今のところ、とにかく何もかもがめんどくさくて、あちこちから「休んだ方がいいと思う」といわれている。
でもひとり会社だと、休む=収入なしになりやすいので、恐ろしい訳です。
でも、文章が書けないのなら、休むか。
お前、少し休んだ方がいいよ、という方はぜひサポートでいくらか投げて頂けると嬉しいです。
そのお金で、どこかのカフェでボケっと座って数時間を過ごす数日間を作ろうと思います。
こことか。
あと、どこか、ホテルに缶詰めとか、やりたいです。
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つよく生きていきたい。