noteで課金された感想

noteの醍醐味、課金。

もうあちこちでセミナーが勝手に開催されて「儲けるには!」みたいな話が盛り上がっているかとは思うのですが、しょーじき売れないよねって思ってます。

マガジン課金ができたので、大喜びで「死ぬ気でやったらお金がなくてもできた起業」のあれこれを書きまくっていたら、すでに公開3,4日で8人も課金してくれた。ありがとうございます。(食費ができた…)

課金されて思ったのが、「なんでお金になるの?」ということ。
自分で課金設定しているくせにね。
どうしてお金になるのか、いまいちわからないという不思議な感覚。

書いていることは、魂が叫ぶことを書きたいと思ってる。
人気を得るための事は、あんまり書けない。
noteは、ランキングとかないから、そういう無駄な波風がなくてただただ自分の魂の叫ぶ声をがらんどうの中に響かせることができて、誰もみてはくれないかもしれないけれど、そうやって叫ぶ場所があるのはとても幸せだと思う。

だから、ただ魂が叫ぶようなことを書いていたい。

で、おまけのように「課金ボタン」を置いておくと、誰かに「ビィイイン!」と響いてしまった時、そのボタンは押されるらしい。

魂の響く音が、数百円になる。

それが誰に響くかなんて、わからない。わたしには響くけれど、ほかの誰にも響かないかもしれない。

逆に言えば、なにか素晴らしいものを見たときに「すっげ感動!感動したんですっっ!!どうしよう、この感動どうしよう!!!」みたいなことになっても、その「世界」にはなかなか関わることができない。
自分がものすごく響いたことを、どうにかしてその響かせたものへ伝えたい。
焦がれる片恋のような絶望的な多幸感。
どうにかその世界にかかわりたくて、関連グッズを買い占めたりコスプレしたり、劇中の食事を再現したりと、人間はあらゆる方法でその世界にアクセスしようとする。
そんな激情の一端を、「課金ボタン」はさっぱりした顔で引き受けるのかもしれない。
「好きですっっっ!!!」課金!!!
みたいな。

残念ながら、わたしはまだnoteを「読む」ことがうまくできなくて、読みたい文章なんかもなかなか見つけられなくて、課金ハウツーコミュニティもあまり見たことがなくて、自分で課金することがよくわからないんだけど。

note内の検索がもっとできたらいいのにな。

わたしの文章がなんで課金されたかは、自分ではわからない。
課金した人にしかわからない。
それでも、課金されたってことは、なんかそれだけでも「価値」の存在をお互いに感じることができると思う。

売り手(書き手)だけではなく、買い手(読み手)も「この文章にはなんらかの価値がある」と感じる。

ほかの本屋に売ってる本もそうだと思うんだけど、そこらへんはもう流通とか社会の流れにパッキングされて滅菌されて、確かに価値はあるんだけど、自分が感じる価値以外の価値観でそれらは翻弄されている。売上数とかね。

でも、その前の畑からとれたて新鮮な文章は、ちょっとだけちがう。ような気がする。
単純に、そこにはひんやりとした価値しかない。
買う側だって媚がある。有名人に取り入りたいからその人に課金する事なんか普通の事だ。でもそういうのがまだ存在しない、泥沼から咲いた小さな睡蓮をめでるような、役に立たない価値。

それはどうしても、毎日会社に行って働いてやっと一ヶ月でもらえるお金とは何かが根本的に違っている気がする。

その違いに、通常のお金の流れは給料となってしまっている頭では「どうしてお金になるの?」と不思議に思ってしまう。
誰かの心に触れたことがお金になる、ということは、なかなか得難いものだし、そういう体験がないわけでもないにも関わらず一つの方法しか頭にないとほかの方向からお金がやってくると、たいへん戸惑う。

お金って、もっと自由なものなんだろうな。
わたしがおもっているよりも、ずっと自由なものなんだろう。

いままではお金の量でしか、物事を見てこなかった気がする。
多いか少ないか。リッチが貧乏か。
でも貧乏のほうがガッツはあった。お金があるほうが何をしたらいいか困ってつまらないものを買ったりした。
それって、お金のことを量でしか考える物差しがなかった弊害なんじゃないかと思う。
そりゃ、お金はあったほうがいいです。なんぼあってもこまりません。
でも、多い少ないだけではない、お金の価値についてnoteの課金ボタンが何かを囁く。

かつて、課金ボタンについてこんなことを書いた。
https://note.mu/yuukee/n/n2f47a3233b97

悲しみを思い出すから、墓標のようにおいておこう。
それが私が課金ボタンを設置する理由のひとつだった。

その悲しみは、あたらしく何かを生み出した。

ビイィィン!と誰かの心に響いたら、その響きが小さなコインになる。

ふしぎな感じがする。

多い少ない、だけではないお金の価値。
それがなんなのかまだよくわからないのだけれど、これからぼんやり考えていこうと思う。

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つよく生きていきたい。