感動や感謝が目的のビジネスはダメだ

「人を感動させる仕事がしたい」
「感謝されるような仕事がしたい」

これ、ダメだと思うんです。

ダメポイントその1
人からの感情をリターンと設定している時点で、騙されやすい
(特に若者。そして突然起業した中年)

ワタミのブラックな話をちょっと思い出してほしい。彼らは感動を食って死ねと言っている。
そもそも取引に感動とか感謝とかをうわのせしてくるのは、実質ごまかしが入っている可能性が高い。本当に崇高な理念の場合もあるけれど、半分はそんな崇高さは持ち合わせていない。それが世の中だ。
だから、ちょっとそういう事に憧れちゃう若者は、それを主眼にして求人しているようなところは避けたほうが無難。ブラック企業という難を避けるためにも。

あと、「いいことをしたい、自分の人生をいきたい」と混乱した中年が突然起業するケースは、7割近くこれに踊らされている様子があります。
それは、起業塾とかいうセミナーの類がブラック企業に当たります。彼らが受講料としてお金を巻き上げるために、起業ごっこさせるわけです。そういう視点をちゃんと持っていて!

ダメポイントその2
評価基準が非常にあいまいな仕事になる。それによって品質がばらつく

感動とか感謝は、個人の感情です。それぞれ感動ポイントも感謝ポイントも違うんです。そこを忘れてしまうと、とてもおかしなことになる。
Aさんはすごく感動したけど、Bさんは感動してくれなかった。Bさんも感動してもらえるように改良したら、Aさんは「前のほうがよかったのに」とクレームになった。
そういう事が、山ほど起こるのです。
個々人に合わせてサービス内容を変える事ができればいいですが、それを言いはじめたらきりがないんです。
お金持ちのAさんは「5万円でも安いわ」というけれど、一般市民のBさんは「3万超えるのはちょっとキツイ」といい、コスパ大好きなCさんは「100均で買えそうなのに」という。金額設定ひとつでもこのくらいばらつくのです。

たとえ、自分のまわりにアンケートを取った結果全員が感動し、感謝したとしても、母数を広げればどうなるか。
母数を広げるつもりがなくても、状況は刻々と変わっていきます。
今までにないものが発明され、市場に出回ります。
人の性格さえ変えるようなものが、続々と作られているではありませんか。
そういう状況なのに、感動・感謝を目的にしてしまうと、的確なサービスや商品は作れません。

ダメポイントその3
そんな簡単な話じゃない

感動させる。感謝される。
それは、一言で言えるような簡単なものではありません。
数年、数十年リアクションがなくてもそれをやり続けなくてはいけない、という事もあるでしょう。そのつもりだ!と思ってやっていたら、ストーカー的な感じの犯罪とされることだってあります。
そんな簡単に感謝されたり、感動させたりなんかできません。

だからこそそれを付加価値として、なんて言っている人もいますが、そこを目指すコストがどれほどか考えたら、感動なんかいらないから必要なことをきっちりやったほうがいいよね、っていう結論になることだって十分考えられます。

感動、感謝は難しいのです。もらえたらラッキーくらいなものです。

ダメポイントその4
人を支配したい感覚に取り憑かれる(取り憑かれている)

人を感動させたい、感謝されたいというのは、「自分の思い通りに他人を動かしたい」という気持ちがその下にあります。

えっと思うかもしれませんが、人を支配させる時に悪い事ばかりが目的ではないのです。言い事も、人を思い通りに動かせたという事であり、それは人の支配欲を満たすに十分なことです。

優秀な秘書やサポート役の人、ホテルマン、またはキャバ嬢やカウンセラーなど、人と接するタイプの仕事で優秀な人は、このさりげなく人を支配する力に長けています。

それのなにがいけないのか?
目の前の仕事はうまく進むでしょう。別に悪い事ではありません。
でも、たとえば経営方針や、今後予算をどう使っていくかという厳しい決断をしていく事があります。その時、人を支配することが目的になってしまっていたら、道を誤る可能性があります。そうなる、とは言い切れませんが、目先の事を追ってしまいがちなので、危険性がある、くらいのことかもしれません。

しかし、人を支配したい感覚に取り憑かれていると、逆に人から支配されやすくもなるという側面があります。それはとても危険です。
ダメポイントその1でもあったように、「人を感動させたい=人を支配する感覚に取り憑かれている人」とわかると、「感動のお手伝い!」みたいなエサをぶら下げられたり、やたら褒められたり「君のような人がいてくれたら」とか言われていいように使われたりしてしまう、という事が起きがちという事です。

まとめ
感謝や感動を作れる人間であると思いあがってはいけません

人間はプライドがあり、感情があります。
しかし、それはそれぞれ個々人のものです。それを他人である人が、勝手にどうこうすることは、基本的にできないのです。だからこそ崇高な仕事かもしれませんが、崇高な仕事であっても簡単ではありません。

しかし、大きな夢や目標を持つこと、つまり人を感動させるような仕事ができること・感謝されるような仕事ができることと、謙虚になることは相反しません。
それは人に対して尊厳を感じるかどうか、という事だと思います。

そんな立派なことはしなくてもいいのです。
普通に自分の仕事をしていればいいのです。
でも、それだけではいけないような不安に駆られて「感動」「感謝」などと言いはじめてしまう場合は、それを求める事で他者に自分の不安をなだめてもらおうとしているという事でしかありません。

感動も、感謝も、人に感じさせるものではなく、自分が感じるしかないものです。他人の感謝や感動に感動したり感謝したりしないで、普通に自分の感動や感謝の念を大事にしたほうがいいと思うのです。

そして、仕事にそれを持ち込むのはあまりよくないです。
自分が感動し感謝するならともかく、他人にそれを強要するのはパワハラのような、エモーションハラスメント(勝手に作った造語。感情の強要とでもいいましょうか)ではないでしょうか?

でも、感動系の職場だと、そうも言ってられませんよね。
他人の感動ではなく、自分の感動をもっと大事にしていきましょう。
感情というのは、伝わりやすいものです。それを「気持ちが伝わる」と大ざっぱに解してはいけません。感情が伝わるというのは、「情報をくみ取って、相手の感じていることを自分に再現して理解しようとするミラーニューロンの反応」でしかありません。そこに理解があるかどうかは、別問題です。
感動したり共感したりすることで、理解しあったかのように錯覚するのは、なかなか大変な問題を生み出します。

感情を共有したとしても、そして相手に何らかのよい強い感情を引き起こすことができたとしても、それによってあなたが素晴らしい人間になったわけではないのです。

静かに精進していくしかありません。

そして、とても感謝されたり、感動したと言われた時は、たまにはうまくいくなと思う程度で十分です。それを目的に仕事を作るなんて、宝くじをあてに行くようなものですから。


なんかこんなこと書いていると、感情が理解できないやつとか思われがちですが、大抵の泣けたらシェア系コラムは泣きます。ただし絶対シェアしません。滅びろパクリ系バイラルメディア!

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