ビジネスは人を癒す

じぶんでビジネスを起こす、ということを本当に自分でやる日はもっと遠いと思っていた。

でも、28歳の時だったか、実家から電話がかかってきて、もうだめだと思った。

「あしたまでに50万円払えないと家を取られる」

実家は借金を抱えていた。別名、家のローン。
飲食店を経営していたけど、過疎化著しい田舎で外食産業なんかで持ち直すなんて不可能だ。それに両親はもう若くはない。

かといって、わたしも仕送りはできない。

「三年ふんばって。なんとかする」

口が勝手に言っていた。

とりあえず明日の50万円を兄弟でかき集めた金で払ったとして、そのあとも絶対にこういう電話がかかってくることは容易に想像できた。
借金苦に陥ってから、実家はひどいありさまだった。
父は暴れた。
わたしは暴れる父に食ってかかった。結局大学進学も全部あきらめた。
そして、ここにいたら父を殺すか返り討ちにあって死ぬかどちらかだと思って、家をでた。

家を捨てた。

それなのに電話がかかってきた。金が払えないって。
その時、逃げ切れなかったんだと思った。

今の状況を聞くにつけ、おそらくパートなどで稼げるお金も微々たるもので、そもそも外に働きに行く場所がない。
こんな状況では、もって三年だ。

その間になんとかするしかない。

あてがあったわけではない。
これをしたらいいというアイディアがあったわけでもない。
ただ三年で、あの過疎地にある家に収入をもたらす仕事をつくらねばならないと思った。

それが「起業理由」だった。

起業することに憧れ、鼻先にニンジンをぶら下げられた馬のような「起業家志望」とはわけが違う。
ライオンに追いかけられているウサギだった。
走りたいとか、どこまでいきたいとか、ミッションとかビジョンとか社会に貢献とか、まったくなかった。なかったけど、進まないと死ぬ。走らないと死ぬ。走ったらおいしい人参が食べられるという喜びはまったくなかった。
ただ、生き残りたかった。
そこに理由なんてなかった。
金が欲しかったけれど、それで豊かに暮らしたいわけではなかった。
逃げ切りたかった。それだけだった。

生き残るために、「起業」という選択肢しかなかった。
ほかにもあったのかもしれないけど、その時のわたしには思いつかなかったし、そういう助けも得られなかった。

ずっと父が家で暴れているとき、わたしは誰にも助けを求めなかった。
部屋に灯油をまかれそうになった時、はじめて「誰か助けて」と思った。
そして今まで誰にも助けを求めなかったことに気づき、泣いた。
そして家を捨てた。
誰も助けてはくれない。
なら、逃げるしかない。あるいは、最悪の結果を覚悟して戦うしかない。

それでも。

そんな最悪な状況下からスタートした私の考えたビジネスは、それなりに多くの人を喜ばせ、たくさんの人が買ってくれる商品を作り出せた。
あまりに売れた時は「どうしてすぐ売り切れるんだ!今すぐ電話してこい!(以下電話番号)」という脅迫めいたメールを山ほどもらうほど売れた。
大ヒットといってよかった。
それも三年のうちにやってのけたのだ。
(それをどうやってやったかが、このエクストリーム起業に書いていることそのものだ)

そうやって売れることで、わたしの中の「ライオンから追いかけられ足が折れても走るしかないウサギ」は、あいかわらず突っ走っていたけれど、その足の痛みが少し消えていくのを感じた。

お金を得ることで、ものすごく自分の感じていたことを肯定してもらったような気がした。
自分の感性や、人の心の動きに対する読みとか相対し方とかが、間違ってなかったよと言われているような気がした。
買ってくれたのがたった500円でも、わたしは飛び上がって喜びたかった。金額がどうこうではなくて、買おうとおもって実際にお金を出した事にものすごく感動した。
だってわたしはそう簡単に人のものを買ったりしないもの。
ほんの気まぐれで買ってくれたのだとしても、お金はとても大切なものだ。

ビジネスすることで、癒されるなんて思ってもみなかった。

たくさんお金が手に入ったら、ウハウハして成金趣味になるのかなーと思っていたのだけど、残念ながらそんなにお金は入ってこなかった。
でも、誰かが買ってくれて、確実にお金が入ってくると、こんなにも自分の事を肯定されていると感じて本当にうれしかった。
金額については、収支のバランスが悪くなければそれでよかった。

ビジネスは、人を癒す。
あんな最悪な場所がスタートだったのに、死にたくないから始めたのに、ビジネスをすることでわたしは自分の才能を発揮する場所を得ることになったし(途中で奪われたりもしたが)、褒めてくれる人も出てきたし、尊敬するとまで言われたりした。
こんな体験があるなんて。

ほかにももっと、「売れたいというよりは、わたしは誰かの心の中にどうしてもどんな方法でもいいから入り込みたいんだ」という強い欲求があることがわかったりもした。

ビジネスはお金を使ったコミュニケーションだ。
会話が下手でコミュ障とか言ってる人もいるけど、ビジネスではコミュニケーション能力抜群かもしれない。
コミュニケーションにはいろんな形がある。

お金を払うというコミュニケーションもあるけれど、お金を受け取って対価を渡すというコミュニケーションは、最高だ。

一生、そういうコミュニケーションがある生活をしていきたいと願ってしまうほど最高だ。

ただお勤めしてお給料を受け取るなんてどうでもいいと思ってしまうくらいに最高なんだ。

なぜビジネスをするのか、と言われたら、今はこういうと思う。

「お金を通したコミュニケーションをもっとしたいから」

ウサギを追いかけていたライオンは消えた。
ウサギは、それでも走り続ける。
ウサギよりずっと早く走れる馬は今も人参を誰かにぶら下げられて、本当に進みたい道なんか考えもしない。そんな馬を尻目に、ウサギは走る。

人参なんかなくたって、走りたいから、走る。

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つよく生きていきたい。