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もし女性差別がこんなにもなかったら私はもっと幸せだったと思う

このtweetから連なる一連のツリーを、是非見てほしい。

このtweetは、翻訳なんだけど、「なぜ女性差別がこれほどまでに『存在しない事』になっているのか」について、非常によく、たくさんの角度から、教えてくれると思います。

だから、とりあえず見てみて。これを読んで、多分本当に傷つくのは、女性の方だと思う。自分がどれほど無自覚に差別の中にいたのかを、自覚させられるから。だから、悲しいけど、読んでほしい。

女性が意見を言うのは、怒ったブスのたわごと。
かわいそうな人だから、優しくジェントルマンとして接してあげなくてはいけない。
女が怒ること、意見をいう事は悪い事だと、教育されてきた。
そうやって、ずっとずっと長い事、ひどい事がたくさん、当然のように、女性の側からも声などなく、続いていたし、今も続いている。

まだまだtweetは続いているから、ちゃんと全部の流れを見てみてね。
ツイート部分をクリックすると、Twitterの方で全部見れるよ。


さて。
女性差別は、すごくたくさんあったのだと、最近になって私もよくわかった。

妹が「弟は男だから大学に行かせなきゃいけないし、私は我慢する」と私に不満げに言ってきた事。それは別に明治や昭和初期の話ではない。平成の話だ。

私はビジネスを始めてから男に頼った事はないのだけれど、周りの男性たちは「無職の時に彼女(妻)に生活を支えてもらって、今の仕事を起業した」という人がすごく多い。
女が同じように夫の稼ぎで支えてもらって起業したら「主婦の片手間」と揶揄される。そういうふうに揶揄されるから、やる側もイマイチ本気になれない。
それを乗り越え、事業にまで成長させる女性は、言っておくが半端な女ではない。相当にクレバーで才能があり人脈をつなげ、技術を持っていたり、センスがハンパなかったりする。そしてそれをひけらかしたら殺されると知っているから、けして表には出さず静かに笑っている。
彼女たちは「理解ある夫のおかげで、自由にやらせてもらって、とても感謝しています」というのだ。全員がいうのだ!
夫たちは「理解ある妻のおかげでビジネスをしています」とは滅多に言わないし、言う人は非常に愛妻家なのだと持ち上げられるが、女性はそういわねば人として減点されるのだ。


こんな女性を低く押さえつける社会でなかったら、私も自分の賢さを隠さずに、賢さを馬鹿にされずに、好きな勉強を臆さずにできたのかなあと思うと、すごく涙が出る。私はそこそこ頭がよかったが、それにあう勉強をすることができなかった。
学校に行く、いかないの前の段階で、バッサリと扉を閉じるのだ。それは私に力が足りなかったせいだと思っていたけれど、実はそうじゃなかったんじゃないかと最近思いはじめている。
そう思えば思うほど、とても悲しくなる。

体育の授業で大怪我をした時、担任と教頭が菓子折りを持って謝りに来た。
親には謝ったが、私には一言も何も言わなかった。
彼らにとって、私は存在しないも同義なのだろう。謝るべき相手は親であって、怪我をした本人ではないのだ。

全てを男が判断すべきという社会でなければ、父が多額の借金をしてまぬけな経営をすることも避けられたのかもしれないなあと思う。
(どう考えても、私の方が経営センスがあったが、父の面子を立てて黙っていた。毎日包丁を振りまわし、茶碗や皿を床に叩きつける男の面子を建て続けたのだ!)

もし女であっても一人前に給料がもらえるなら、家庭内暴力であれている時に妹も束縛の強い男に走る必要はなかっただろうし、私もストーカー化する男に頼って(結婚前提のお付き合い)生活する必要もなかった。

ビジネスをはじめてすごくよかったのは、男に頼るために力のない振りをしなくてもいいという事だった。男に頼る必要が皆無だったし、むしろ男は私のビジネスを全く理解できない、女性たちはツーカーで話が進むのに。
だから男に頼るために、常に弱々しくバカなふりを細心の注意を払って行うという無駄なことをしなくてもよかったのが、本当に心から嬉しく、楽な事だった。

同級生相手にmetoo案件が起きても告発できずに卒業までグッと耐え続ける必要もなかったのだ。なんで黙っていたのだろうか!
それは誰も聞いてくれないし、男に恥をかかせてはいけないという不文律が、わたしを被害者であるという事さえマスキングさせていた。今なら、わかる。その時は、わからなかった。
ただ、毎日教室にそいつがいるのをグッと耐えながら3年間を過ごしたわけだ。

とにかく、才能のないふり、能力の低い振りをしなくてはいけない。
そして仕事にミスがあってはならない。
超矛盾しているのだが、そのことに誰も気が付かない。
女の方でさえ、気づいていない。

同じ能力だったら男を採用する。
「男は家族を養わないといけないから」

だから、女はずっと男の添え物として生きねばならない。

別にね、共に暮らす事が幸せな愛し合う二人ならいいの。
でも、生きるために男と結婚しないと存在できない、というのは、誰にとっても不幸な関係だと思う。
私も言う程好きではないが、無難な相手と何度か結婚しそうになって、そのたびに私の魂が「絶 対 反 対」とねじ込んできて、大抵破談になった。

結婚なんかしたくないのだ。
結婚というか、自分を隠して男を立てるふるまいを強制される生活を、望んでいないのだ。
今までだってこんなに存在するだけで気を使って息を殺して生きていたのに!

お金さえあれば、ちゃんと生きていく手段さえあれば、結婚しなくてもいい。それが不可能な社会だった。女はろくに給料ももらえない。結婚しない女に人権はない。子供を産んで合格、子供なしだと減点。
言い換えると、男は家庭を持たないと一人前と見なされない訳だけど、だとしても給料はそれなりにもらえる人の方が多い(全然もらえてない貧乏人も多いけどね)。


こういう状況を生き抜いてきたえげつないパワーウーマンたちは「そんな差別当たり前です!」と自分の戦績を自慢しにくる。
だとしても、彼女たちだって、そんなに差別される必要はなかったはずなのだ。

普通に才能を発揮して、社会に貢献したらよかっただけなのだ。

なんというムダ!損失!

ここまで失われたたくさんの物事に、才能に、涙が止まらない。


ここまで重要なものを失って何を守ってきたのかというと、「ちょっとした男の満足感」だったのかもしれない。
それが圧倒的生産性に繋がっていたのかというと、正直あやしい。
ちょっとした満足感のために、たくさんの女性の人生が狂い、世の中に生まれるべき素晴らしいものが生まれなかった。

私はそのことが、一番悔しい。

もっと面白い本やゲームや映画や、漫画や、服や絵画やアート、建築、ビジネス、医療、それから、そのほかすべて!きっとあった!もっと素晴らしいものが、たくさんあったはずなのに!

ちょっとした女の満足感の為に、たくさんの男が疲弊して鎖につながれて奴隷のように低賃金で働かされる社会は、よいものだろうか?
「結婚したらそうなったんだけど」みたいな男性側の声が聞こえてきそうだけど、そういう仕組みがもとからあるから、それを女性が結婚というシステムを逆手にとって夫をATM化させたのだ。かつて男にそうされたように。
彼女たちも普通にお金を得られ、出産などが社会的ハンデにならないのなら、好きな相手と結婚して、好きに子供を産むだろう。賢い人ほど、ここで産んだらダメだよね、とストップをかけるから、賢い人ほど割を食う。賢くない人は、搾取される。どっちも被害甚大だ。

もうこの社会のスタイルは、無理があるよね、って言われている。
今までは黙って耐えて男を立てるのがいい女だったけど、最近は「女性だけ一律減点してたよ、女医が増えると困るじゃん?」といわれたらみんな激おこするレベルには変わってきた。


ただ、まずは、たくさんの踏みつけられてきた女性たちが、本当はあれもこれも背負う必要のない事だったのだと知る事なんじゃないかと思う。
これはあまりに悲しい事に直面せざるを得ない。
今ある生活が、間違の結果だと知ることになるのだから。

それができるだろうか。

とりあえず、できる人間からやるしかないだろう。

痛くても、悲しくても、すべてが間違っていたとしても。
それを認めないと、変える事はできない。
レディースデーやレディースランチ、女性専用車両が女性を甘やかしている、女性優遇の愚策だなどという。いまだに。
そんな人たちを相手に、どれほどの格差があったのかを説明しても理解なんかしないだろう。そんな説明よりも、女性自身がどれほど今まで不遇だったのかを痛みと共に理解しないといけない。

誰かに理解してもらう前に、自分が理解しなければならない。
今までの数々の不遇を。
そして、それに、もう遅いかもしれないけど、NOという事を、始めなくてはと思う。

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つよく生きていきたい。