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ルックバックをサイコホラーだと思ってた話

今更、藤本タツキ先生の『ルックバック』の感想を書こうと思ったのは、もしかしたら自分がこの漫画に感じている震えるような恐怖って実は言葉にする価値があるのかもしれない、と感じたから。え、ルックバックって創作家特性を持った人に突き刺さってくるサイコホラー漫画だよね? 違うの?

そのように感じたきっかけは「ルックバック修正問題」でこの漫画が2回目の脚光を浴びたときだ。色々思うことがあり事実関係を調べているうちに度々こんな意見を見かけた──「この殺人犯は藤野のありえたもう一つの姿である」──納得感は余りないけど、なるほど? とは思った。修正直後、事実関係をググっていた時にかなり見かけた意見なので多くの人の共感を得ている意見なのだと思う。最近になってある方とルックバックの感想を差し交していた時に「犯人は京本に出合わなかった世界での藤野の姿なのではないか」というご感想を聞かせていただき、僕の目から大量の鱗が零れ落ちた。
「あれ、俺ルックバックを盛大に誤読してるかもしれない」

実は京本という女性を僕はほとんど特級呪霊かなんかだと思って読んでいた。もちろん誇張表現だけど。何度読み返しても京本が藤野を呼び止め「藤野先生は漫画の天才です」と言い放つシーンには震えが止まらなくなる。だってその時の藤野の頭の中に分泌されている致命的な量の快楽物質を僕は痛いほど知っているし、その快楽を一度味わったら最後「創作」という死の道に人間性全てを捧げながら歩いていかなければならないことを知っているから。怖すぎる。同作者の『ファイアパンチ』における「生きて」もまた然りだ。不死身の身体を持ちながら「朽ちるまで消えることの無い炎」に永遠に燃やされ続ける呪い。言葉は呪いだ。

だから「京本に出会わなかった藤野」を想像しても頭の中に浮かぶのは「死の道」を選ぶことを回避することが出来た限りなく陽キャな藤野だ。空手を習い、そつなく進学し友達もたくさんいる藤野だ。京本の言葉が藤野を永遠に燃え尽きることの無い炎の中に突き落とし、なおかつ本人はそれが自分に与えられた最高級の福音であると思いこまされている。それがホラーじゃないならなんだって言うんだ……助けてよ……怖いよぉ……
これが初読の感想である。

だいたい漫画ってさあ 私 描くのはまったく好きじゃないんだよね

https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496401369355

だからこの言葉が本当に心臓の芯にまで刺さってくる。俺だって文章書くの1ミリも好きじゃないよ。いや最初は好きだったかもしれない。そう思い込んでたんだ。「自分は何かを書くことに喜びを覚えているんだ」っていう神から何かを授けられたっぽいポーズをしていればカッコいい気がしていた。でもそんなの全部嘘だよ。あの時あの人が俺の文章をいいねって言ってくれて、君には才能があるよ、って言ってくれたからその人がいなくなってしまっても書くことがやめられない。文章を書くのなんて大嫌いだし今すぐ辞めたい。なんだ? ここはまさに地獄じゃないか!?

そういう思いが溢れ出してくる。さっきの台詞のあと漫画では京本が藤野の作品を時に涙を浮かべ、時に笑い転げながら読んでいる回想シーンが続く。地獄の窯で生きたままその身を茹でられているシーンである。いや、ごめん、さすがにそこまでひねくれてない。美しい追憶。

ここは地獄かもしれないけど、地獄の中にしか「あなた」は存在しないんだよ。なんだかそんなふうに語り掛けられている気がしてしまう。死の道で体を燃やされながら、でもこんなふうに何かを表現できることが、もしかしたら……って一瞬思わされてしまう。これが絵の力で、藤本タツキ先生はこういう絵が抜群にうまいと思う。返す返すホラーだよ。サイコだよ。

けど実際「呪われていない」自分をもはや想像することすら出来なくなっているのも事実なんだよ。同作者の『チェンソーマン』の最終巻、自身の闘う意味が一瞬揺らいだ時にデンジはなんと叫んだっけか。チェンソーマンになりたい……! そう叫んだんだ。「普通」になりたいと思っていたデンジはいつの間にかチェンソーマンという呪いと幻想のなかにしかもはや自分は存在しないと悟ったのだろうか。いつか僕も「それでも文章を書きたい」と叫ぶのだろうか。ああ、なんてことしてくれたんだ。

この漫画で一番怖いシーンは最後、藤野が立ち上がって、かつて自分がサインした京本の上着(藤野の下の名前「歩」が明かされる)の掛かったドアを抜け、自宅に帰り、自室で漫画を描くシーンである。最後のシーンではひたむきに漫画と向き合う藤野の背中が描かれる。この作品で何度もモチーフにされている構図である。これが恐怖でなくしてなんであろうか。

この行動は一般的に「覚悟」と呼ばれる。

おい。やめろ。そんなに簡単に「覚悟」しようってのか? もっとこう「京本は次第に藤野が漫画ばかりに囚われていることを不憫に思うようになっていた」ってサイドストーリー作ってさ、ほら、お茶しようぜ。「覚悟」はほら、アレじゃん、一度しちゃったらもう取り下げられないじゃん? だから「覚悟」は一番最後、ゆっくりでいいんだよ。え? 立つの? 立ち上がるの? 家帰ってなにするの……かな……? 漫画……? うあああああああああああああああああああああああああああああああああ

根源的恐怖の悪魔。「覚悟の悪魔」の爆誕である。
(チェンソーマン未読の人はごめん)

僕はまだ怖すぎてルックバックできない





もしよかったらもう一つ読んで行ってください。