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紅子さんのクラファンに応援メッセージを贈りました

元吉原ソープ嬢の紅子さん(Twitter)が手掛ける写真集の実現を目指すクラファンが4月26日から開始されました。

同クラファンに応援メッセージを寄稿しました。クラファンでは文字数制限があったため、こちらでもう少し綴ってみたいと思います。

紅子さんと初めてお目もじしたのは、私が経営するカストリ書房弊店併設のギャラリーで開催していた吉岡里奈さん(公式サイトTwitter)の個展へ、紅子さんが観覧に訪れた4、5年前だったと記憶します。

その後、来場者のお一人(のちの紅子さん)が〝元吉原高級ソープ嬢〟の過去を明かしてYouTuberになっている。前例のない切り口をみて、巧い戦略だと思いました。「巧い」や「戦略」に少しばかりの意地悪さと嫉妬を含む私は、無意識にどこか批判的な視線で紅子さんの動画を眺めていたのだと思います。

が、これは私の浅慮でした。動画の中の紅子さんは、カメラの前に座ってもなお逡巡し、ときに想いに胸が詰まり、精一杯、言葉を紡いでいる。元風俗嬢だった過去を鼻白むほど自負するでもなく、逆に卑下して媚びることもない

かつて日本には、前世紀の半ばまで「遊女」と俗称された娼婦がいました。すでに半世紀以上が経ち、この時代を経験していない世代が社会を占めるようになりました。遊女を過去として扱いつつある現代の私たちが彼女らについて言い表すとき、「単なる娼婦ではなく諸芸に秀でた芸能人」とポジティブに持ち上げたり、あるいは逆に「楼主と男性客に搾取されただけの性奴隷」とネガティブに見下げたり、いずれにしても遊女観は両極に引っ張られて薄くなり、厚みを失っています。確かにこの二評は一側面でありながら、個々の遊女が背負った半生のすべてを言い表せてはいません。両極の間にある無限のグラデーションの狭間で、遊女とされた女性たちはわずかでも豊かに生きようと足掻いて送った半生を思うとき、その厚みある半生に圧倒され、称揚や蔑視いずれの体裁を取ろうとも、単純化そのものが彼女たちが持っていた尊厳の無視に繋がることに気づくはずです。

同様に元吉原ソープ嬢だった紅子さんも、ポジティブとネガティブの間で迷い、ときに流され、ときに抗ってきた。私は動画をこう拝察しました。前を見つめようとして足をすくわれ、捨て鉢の中に活路を見出す。これは紅子さんだけではなく、私たちの誰もが辿ってきた道ではないでしょうか。紅子さんは元ソープ嬢だったからでもなく、その過去を明るく語るからでもなく、強さと弱さを併せ持つ等身大のお人柄こそが、YouTube開始以来、ファンを着実に増やし続けている理由なのだと、動画を観るたびに感じ入ります。

タイムラインに流れてきた上のツイートを拝見したとき、紅子さんに心ない言葉を投げかけた人物と、私が冒頭述べた遊女を持ち上げる現代人の姿が重なりました。

「単なる娼婦ではなく〜」は一見、遊女が無教養な女ではなく才女だったのだ、と褒め称えているようで、実は娼婦を見下している裏返しでしかありません。実際に才女と呼ぶに相応しい遊女も歴史上存在しましたが、では才女ではければ半生には価値がないのでしょうか? 才女どころか、ほとんどが文盲(客に誘い文を書けることが教養だとは私は思いません)に近い状態であったであろう多くの遊女たちの半生に価値がなかった、とは私にはどうしても思えません。紅子さんの写真を観て、感じ入るとき、「ソープ嬢にしては上手」「女にしては巧い」という差別や偏見が私たちの心に奥底に埋まっていないか、紅子さんの作品を通して、私たちは鏡を突きつけられている── 紅子さんの作品が持つ意味や価値は受け手によって様々ですが、私はこう思います。

さて、そろそろ終わります。少なくない人が動画の中の紅子さんから勇気を貰っているものと拝察しますが、私もその一人です。3年ほど前から、北前船寄港地にあった遊廓と、遊女の墓をテーマに調べていることは以前の記事でも折々触れてきました。

取材地が広範に渡ることから旅費がかさみ、出版などの回収前に多額の持ち出しが発生することから、クラファンやnoteなどのサポート機能でランニングコストを捻出することを、同テーマで取材を始めた頃から構想していました。が、「失敗したら怖い、格好が悪い」という思いに囚われて、踏み切れずにいました。私は2010年くらいから、遊廓というテーマに惹かれて、自分なりの活動をしてきましたが、たかだか10年程度のことで保身に絡め取られてしまったのですから情けないものです。そうしたとき、紅子さんの動画に出会い、勇気を貰い、以下の記事をつくってサポートを募った、というのが経緯でした。

結果的に多くの方からサポートして頂きました。紅子さんの動画がなければ、いまだに私は10年程度のことに拘泥して、一歩も足を踏み出せなかったのだろうと思います。その意味で、紅子さんのクラファンに寄稿したのは、応援よりも、むしろ紅子さんへのお礼、恩返しでした。

写真集プロジェクトの立ち上げを祝って。プロジェクトの成功とますますのご活躍を願って。


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