見出し画像

クラファンの成功おめでとうございます。

色街写真家・紅子さんが新作に向けて催したクラファンにメッセージを寄せる機会を頂戴したことを以前書きました。

当クラファンは会期約2ヶ月間を終えて、目標額150万円を大きく上回る約450万円以上を達成した由、誠におめでとうございます。個人が主体となって、遊廓をテーマに催されたクラファンとしては、管見の限り、過去最高の資金調達額。金額の多寡がすべてではありませんが、紅子さんのご活動に寄せられた期待や共感、お写真への高い評価に改めて感服した次第です。(私のメッセージが幸い足を引っ張るようなことはなかったようで、その点も安心しました…)

紅子さんの写真集は以下、4タイトルが刊行されています。

  • 『現代に生きる色街』

  • 『遊廓・赤線・花街』

  • 『色街と戦後闇市』

  • 『遊廓・赤線・吉原の女』

それぞれテーマは違えど、私なりに共通して感じたことがあります。

何を伝えたいのか明確に意識した上でシャッターを切り、現像しなければ、こうした写真には絶対に仕上がらない──

遊廓の被写体に限ったことではありませんが、目的意識なく漠然と建物や街並みを撮った写真はそれと分かります。なぜこの被写体を選んだのか? なぜこの構図なのか? なぜこのタイミングなのか?といった必然性がないからです。とりわけ遊廓という極めて特異な歴史を刻んできた対象は、対象自体が強いメッセージ性を持ち得るものですが、漫然と撮った写真は、その落差がより強調されてしまうものです。同じく遊廓などを被写体としてきた者として、このことを強く感じました。

紅子さんはクラファンにあたって次のように述べています。

「私は自分の過去を後悔したまま人生を終わらせたくない」

私はこの言葉に衝撃を受けました。理由は後述します。

さて、前述の紅子さんの写真集の中には、私も同じ地点から写した写真があります。しかし紅子さんは、私とはまったく別の景色を捉えていました。そもそも「景色」ではなく、性風俗業という、ときに忌避され、見下げられた社会に関わり生きてきた過去の自分と重ねるように、遊女や娼婦と呼ばれた「女」を見、慈しんでいるのではないか、私の拙い言葉で紅子さんの作品性のすべてを言い表すことなど到底不可能ですが、そう感じました。

そんなことを考えていた矢先の6月、紅子さんに取り次いで貰ったお陰で、熱海に残る某娼家内部を撮影する機会を得ました。これまでそれなりの期間、それなりに多くの遊廓を撮りながら、前述のように一方で大切な何かを視野に収めてこなかったのではないかとの思いを突きつけられた私は、紅子さんのように写してみようと試みました。が、どうしても写せませんでした。そもそも同じように写す、ということが間違いであり、仮に似たものが写せたとしても、それは「紅子さん的な何か」を再現したものに過ぎず、決して私の写真ではなく、紅子さんの作品性の範疇にあるものでしょう。

紅子さんが持つ天性の感性や、日々進歩する技術などはもちろんのこと、それ以前の問題として、私を含め、これまで遊廓を写してきた撮り手の誰も持ち合わせてこなかった、紅子さんだけが持っている動機に気がつきました。

「後悔する過去」です。

前述の応援メッセージで、私は「私たちの誰もが辿ってきた道」と、紅子さんの特殊性ではなく一般性こそが支持を集め続ける理由の一つなのだと書きました。

同様に「後悔する過去」は誰しも大なり小なり持つものです。が、「後悔する過去を持つこと」と「過去を後悔すること」はまったくの別物です。時間の針を巻き戻せない過去を今さら後悔することは、多くの場合、ネガティブに語られがちです。「過去を否定してしまえば今も否定されてしまう」という恐れ、「どのようなものであれ、過去があるから今がある」との肯定は、いずれにしても肯定ありきで過去が処理されます。誤解無いよう言い添えると、その生き方を何ら否定しません。それも前向きな生き方の一つであり、これを書いている私も、少なくない過去をそのように捉えることで感情をやりくりもしてきました。

ただし、やはり向き合ってはいないのではないか、私は自分自身への疑いを拭いきれません。向き合ってこそ後悔ができる、と。後悔する過去に絡め取られようとする刹那、溺れないように必死に足掻く。これはとても苦しいものです。苦しい一方で、苦しさは本人を輝かせ、周囲を魅了します。だからこそ苦しみは危険で、目的を失った苦しみは、アイデンティティに置き換わるからです。

写真に話を戻すと、過去を後悔すればこそ、自分と同じように社会や歴史から置き去りにされてきた遊女や娼婦と呼ばれた女に、かほどに丁寧に慈しむような目を向けられるのではないか。紅子さんの写真から立ち昇ってくる「情」すなわち艶情、情念、情熱、情愛さらには怨情までもあるとすれば、このためではないか、と考えるに至りました。

性風俗業従事者への理解が(過去と比べれば)深まるにつれて、当事者もまた一定以上の支持を集める存在となりました。経済、福祉問題などを後景化させる〝肯定〟や〝支持〟に、私は首肯できませんが、マーケティング発想に従えば「過去を後悔しない」と公言することが正解とする人は多いのではないでしょうか。実際、ネット上にはそのような姿勢の活動者が少なくありません。

こうした世相にあって、紅子さんの「過去を後悔する」は強烈な抗いであり、私は衝撃を受けました。

私の愚考はどうであろうとも、紅子さんの活動への共感、作品への評価、それを証明する前例のない調達額を達成した快事はいささかも揺るぎません。クラファンの成功おめでとうございました。今後のますますのご活躍を期待しております。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?