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天ぷらのぷらってきんぴらのぴらくらい謎

この間、久しぶりに天ぷらを揚げた。
子供の頃は天ぷらってどうご飯のおかずにしたらいいのかわからなくて、あんまり得意ではなかった。おでんもそう、白米と合わせるには味優しすぎない?
けれど大人になって、ビールや日本酒を嗜むようになってから発見した。

天ぷらとかおでんって、お酒と楽しむ料理だったんだな!!(ばーん)

天ぷらとビール。
おでんと日本酒。

大人になったら、嫌いだったものの楽しみ方を知れる。世界が広がる。
だから大人は楽しいんだわ。
しみじみとそんなことを考えながら、まいたけの天ぷらをあげておりました。

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さて、もう8月ですが
7月はどんな一ヶ月でしたでしょうか?
私は主に、こんな感じで生きていました。


演劇のスケジュールがいっこ飛んでしまった7月。

東京でコロナ感染者がついに4、5000人と過去最高値を叩き出した7月。

惚れた劇団のオーディションを受けワクワクが止まらなかった7月。

OL業、降って湧く仕事や次つぎと後出しの指示がきて忙殺された7月。

いろんな事情に揉まれながら、
いつの間にか開催されてしまっていた、オリンピック。

そんな7月の振り返り日記。
(ところでオリンピック2020がもはや2021なのに、2020で貫いているのは色んなものを直す予算がないのか、こだわりなのか…街であれ見ると切なくなる)


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7月のメインイベントはやはり、オリンピックと出演予定だった舞台の延期(実質中止)でしょう。

5月のGW、オーディションを受け参加が決まり、コロナ禍の中で板の上に立つ準備を始めました。
劇団にいた頃ほとんど客演経験がなかったので毎度のことなんですが、100%知り合いのいない場に行くのはもう、恐怖70%、ワクワク20%、不安からの虚無10%。こわいよーお酒に頼りたいよーな気持ち。
まぁ、ふたあけてみると稽古楽しい!と新しいタイプの演劇創作に一生懸命で無我夢中でしが。

座組が若いメンバーが多く、触れたことのない感性を持つ方もいて「なるほどなぁ、ふんふん」と考えさせられることが多かったです。みんな演劇大好きで演劇の理論がしっかりしている!えらい!私知識ない!感覚人間ゴメンナサイ…
それでも、自分が協力できそうとこは意見を示してみたり、助言めいたものをしてみたり…

基本人見知りだし、他人にさほど興味関心がないので交流することが苦手なんですけど、「好き」繋がりでするコミュニケーションはとても楽しい。

昔先輩が「同じ言語で喋れるととても楽しい」とよく言ってました。

喋れる、というのは日本語、英語でとかではなく、
共同で創作する際の意思疎通が、同じ感覚でできることが、もしくは異なっていたイメージをすり合わせるための議論が楽しい、という意味で。
同じ言語で話してても感覚とか、考え方が異なり分かり合えない時「この人何喋ってるんだろう」ってなりませんか?(わたしは嫌な仕事相手でたまにあります)

もちろん議論するので意見の対立はある。でも話し合って「そういう捉え方もあるんだな」と双方が思えた時、分かり合えた感覚を覚えてうれしくなる。


で、すこし思考を巡らせてみた。


例えば、「温かい色」を一つ使って一つ商品を作る。参考にみんなの「温かい色」を教えてという。

Aさんは「オレンジ色」
Bさんは「赤色」
Cさんは「さくら色」

暖色、という大枠は一致しているが、細部がそれぞれ異なる。
一人一人の持つ「感性」は一人一人が「何を感じて生きてきたか」に沿うと思っているので、一言に「温かい」をイメージした色といっても正解はない。それぞれの答えはそれぞれで正解だ。誰も間違いではない。

ただ、「温かい色」を使って一個のものをみんなで作ろう!となった時バラバラでは少々困る。(全部使うデザインもあるだろうけど)

だから大多数の人が「温かい」と思える色を一色決めよう。
それを「普通」にして消費者に「わかりやすくイメージ」してもらおう。

こうして選ばれた一色が「普通の温かい色」となる。
こうして選ばれた一色が「常識」となったりもする。

そしてその果てに、「温かい色ってどんな色?」と聞かれて
茶色!などと答えた時に、「感覚が狂っているんじゃないのか」「常識外れの変なやつ」と言われたりするのだろう。(極論だけれど)

ここで「常識」は置いておき、「1人の意見」としてみたら
「どうして茶色って思ったの?あったかいはもっと明るい色だと思うけど」
「そうだね。でも、木目調の家具とかブラン系の小物って温かみがあって大好きなんだ。自然の優しさもあるし。だから自分の思う温かい色は茶色だと思ったんだ」
「なるほどね、木の温もりというもんね。面白い視点だなぁ」

とかね。そんな素敵なお話し合いがあったかもしれない。

なんて、くるくるぼんやりかんがえました。



コロナ禍、日本政府の動き、変わらなければいけなかった日常、オリンピック…
否が応にも考えさせられ、個人個人の答えが出てくる。
それをSNSという、時には匿名で気軽にでも発信できるツールで世に出す。
ただ、それは意見をポンっと投げ込むものなので、お話し合いは難しい。
ポンっと投げ込まれた意見に様々な人の正しい正義がぶつけられる。

悪だ、とは思わない。
何かを動かすよいツールだと思う。

けど、一呼吸置いて話し合う隙間がなく、異なる考えは全排除となっていきそうなタイムランが日々おそろしいなと思う。

多様性を認めろと抗議する一方で、一切の多様性を認めていないんじゃないかしら。


犯罪を許すな、みたいなことは言わない。
でもそれぞれに人生はあるはずだから、許さなくても理解できなくても知っておくことはできると思う。

知り合う、話し合う、議論し合うって心の底からしんどいしめんどくさいけど、それができなかったら誰とも仲良くできないから。

もっと人と目を見て話し合いたいね。

そんなことをくるくる考えながら、8月。

どんなひと月になるかしら。

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