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好きなことと嫌いなこと

 私は子供の頃、ジャイアンツファンでした。もちろん家族全員です。
 
 それはもちろん、父が熱狂的なジャイアンツファンだったからです。ジャイアンツが負けた日には機嫌が悪くなり、罵詈雑言がはじまりますので、家の中は険悪なムードになるのです。

 できればジャイアンツに負けないでもらいたかったです。

 小さい私にとっては野球にすら興味を持っていませんでした。
 けれど、父が毎日のように、ジャイアンツを応援しながらプロ野球をテレビで観ていましたのて、私達は、強制的に見る形になりました。

 父の前では、私達には選択権も発言権もありませんでしたので、私達は自動的にジャイアンツのファンになりました。

 野球を見せられているので、次第にルールもわかるようになったのです。

 そして、矯正なのか、自発的なのかわかりませんが、私達姉妹は、野球が大好き、ジャイアンツ大好きな小学生にできあがりました。

 今でも私は野球が好きで、他の姉妹もみんな野球が好きです。これは自分が選択したのかどうかすらわからないのです。

 今は、ジャイアンツファンではなくなりました。これは、おそらく父の元から離れてから、自分で選んだのだと思います。


 他にも、父はテレビを観ていて、好きな女優さんや嫌いな女優さんが出てくると、それを激しく私達に伝えてきます。

 それに同調しないと、激怒されるのです。
 当然、同調しないことはまずあり得ないことで、同調したとしても、
 「お前は何もわかってない!」
と、なぜか罵り始めるのです。私達が同調していたとしても、です。

 全く会話が成り立たないのです。

 私は、父の好きなものについて悪く言うことがないように細心の注意を払って生活していました。幼少期から。

 それでも、怒鳴られる、罵られる、そんな日常を送っていたのです。

 「好きなもの好きと言ってはいけない」「嫌いなものを嫌いと言ってはいけない」
と思うことで身を守るしかない環境に、小さな私の心は、壊れていきました。

 小さな私が、段々と、自分の「好きなものを好き」と言い、「嫌いなものを嫌い」という、そんな簡単なことができなくなっていくことに、なんの不思議もありません。

 自分の好き嫌いや、本心、本音に完全にフタをしてしまったのです。

 私は、大人になった今でも、「好きなもの」より「好きになるべきもの」を優先してしまうのです。もちろんそこに父が、関係していなくてもです。
 思考の癖が出来上がってしまったのです。
 
 これは、一般的にはなかなか理解してもらえないのですが、

 自分でも自分の本心がわからず、「嫌いなもの」でも「好きになるべきもの」なら「好きなもの」かのように錯覚してしまうんです。逆もあります。

 
 私は、我が子には、決してこんな思いはさせたくないと心に誓いながら、育児をしましたので
 子どもたちは、私の好き嫌いに関係なく「自分の好き」を選べる子に育ってくれました。

 
  育児の話はまた後ほど。
 

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