yuuka.nakamura

写真とか散文とか。

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最近の記事

走る事ができない自分について。

若い頃から「ハングリー精神が足りない」と言われていた。 まぁ、それは自分でもうすうす感じていた事だけど。 何かに向かってがむしゃらに、という事ができない性格なんだなという事実をやっと自分の中で認識して受け入れる事ができるようになってきたのはここ数年。開き直ったというべきか。 「仕方ないじゃん。こういう性質の人間なんだから」という感じで。 やりたい事、楽しいことしかできない。 それの何がいけないのか、やりたい事や楽しいことばかりやってきて辛かったり苦しいことからはなるべく離れ

      • 真夏の通り雨

        音楽って聴く人の今置かれてる状況とか、経験とかによってだいぶ歌詞の意味の捉え方が変わったりすることがあると思うんだけど。 宇多田ヒカルの「真夏の通り雨」はわたしにとっては亡き父を思ってしまう曲。 父と言っても、思い出なんか1個もないし、顔すら家に一枚だけあった写真の、ひとつの表情しか知らないけど。 母からは、父親は子供を愛してなかったとずっと聞かされていた。実際、会いに来たことも連絡一つよこした事もないし、そうなんだなぁと思っていた。 それが、亡くなったので遺産の件につ

        • 映画感想

          シシリアンゴーストストーリー 映画の感想を共有したい。。 わたしはこんなふうに感じました。 https://filmarks.com/movies/78888/reviews/11485241

        走る事ができない自分について。

          桜についてのX。

          先日、私が感じる桜のイメージの事について書きましたがもう1つ。 「同僚たちと花見の席で大騒ぎをしている最中にふと、自分が前世でこの樹のしたへ誰かを殺して埋めたことを想い出した。」            飯田茂美著 一文物語集より って文章を読んだ時に、一瞬脳裏にその情景が浮かんでゾワりとした。 みんなでわいわい騒いでいたのに、急に自分だけが遠くに行ってしまったような感覚。 音が聞こえなくなって、ここではない何処かへ。 この下には自分が殺した人間が埋まっている。 誰を

          桜についてのX。

          桜の樹の下には。

          桜といえば、あたしにとっては坂口安吾・『桜の森の満開の下』、梶井基次郎・『桜の樹の下には』この2つ。 梶井基次郎の有名な「桜の樹の下には屍体が埋まつている!」 というフレーズには、絶対そうだ!!と納得しているし、坂口安吾の桜はあたしの撮りたいイメージにぴったりなのである。 美しすぎて恐ろしく、不安になる。 静寂と孤独。 何だか胸がざわざわする美しさ。 「桜の森の満開の下」がイメージと書きましたが このお話に出てくる盗賊の奥さんはとても美しいのです。 でも、ゾッとする

          桜の樹の下には。

          溶け込む。

          溶け込む。

          グッバイ、バイ。

          テレビに、昔の恋人と同じ名前を見つけて目を疑った。 「えっ?まさか本人?」 と思ってテレビに顔を近づけたら全くの別人。 それもまだ20代そこそこのアイドルだった。 「なーんだ、別人じゃん。まぁ、そうだよねぇ。」と思いながらも少しホッとする。 だって昔の恋人なんて変わらずカッコよくても、あの頃とは別人みたいにカッコ悪くなってても嫌だもん。  はっきり言って、もう顔も声も思い出せないあの男の子のことを久しぶりに考える。 大好きだった男の子。 あたしをひどく傷付け

          グッバイ、バイ。

          春はまだ来ぬ

          本州の方では桜が咲いた、なんて言ってるけど。 あたしが住む北国には桜なんてまだまだ先の話だ。 それでも幾分和らいだ空気と、ザクザクシャーベットみたいになった道路の雪が春が近くまでやって来ていることを教えてくれる。 待ち遠しくてたまらない。 長い冬が明けるのが。 早く早く、と急かしてみても変わらないのに。

          春はまだ来ぬ

          リフレイン

          昔よく、白昼夢?を見た。 寝ていて、バタンと音がする。 あぁ、母が帰ってきたんだなと思って目を開けて「お母さん」と声をかけるんだけど返事がない。 夢かー、と思って目を閉じたらまたバタン、と音がする。 あぁ、母が帰ってきたんだなと目を開けて声をかける、さっきと全く同じ風景がみえる。 夢か…と目を閉じる。 そんな事を何度か繰り返す。 そういう事が、良くあった。

          「頑張る」という事。

          20代の頃から患っている病気が10年以上ぶりに急性憎悪を起こした。  少し前からすこぶる調子が悪く食事も取れず起き上がるのも辛かったあたしは、主治医に病気が悪くなっていることを告げられ、できれば仕事を少し休んだ方がいいと言うことを言われた時、即答で「休みたいです」と言った。 ここ最近あからさまに身体が辛くて心も身体も「もう限界」と叫んでいた。 だから仕事を休むことに対して罪悪感はなかった。 むしろホッとしていた。 2週間の自宅療養を終えて、月曜日から仕事に出た。 火曜日

          「頑張る」という事。

          雨に沈む

          いつもの感覚で目を覚ます。  じっとりとした空気と、窓から見える見慣れない風景。  「ここにはあたしを知ってる人はいない」というぼんやりとした感覚が妙に心地良い。  旅先で感じる偽物の孤独が官能を刺激して、なんだか身体が気怠い。  「雨だしね…」とわざと口に出して言ってみる。  知らない国の雨音を聴きながら時間を無駄にするなんて。  とんでもない贅沢だ、と思いながらもう1度ベッドに深く身体を沈め込む。