見出し画像

破壊的な衝動。

ものすごく衝動的な気分。
頭の中で、ガラスが砕け散って、あらゆるものが破壊されて、存在するすべてのものを粉々にして叫んでる。

ここは戯言置き場だから、私は悲劇のヒロインでいる。別に、声をワントーンあげて、何も考えずとも世間話に雑談程度はスラスラ出てくる。頭の中がひっちゃかめっちゃかでも、ネタに困ったら今日のひとネタくらいのお喋りくらいはできるし、大しておもしろくない話でも笑える。いいね!って言える。なんだろう、たぶんここ十数年で身に着けた、悪くないスキルだし、まぁ昔から結構そーゆーとこある。

衝動的になる自分を、抑えるのは、結構しんどくて、不安になる。いろんなことがフラッシュバックする。そもそも、記憶すらないとかもあったわけで、あの頃の自分の思考回路すら追うことができない。回路になんか、なってなかったんじゃないか?と思う。

離婚して、仕事が決まって、楽しく忙しくしてたんだけど、意識消失して倒れちゃって、入院したことからスタートして、過労・貧血ということでそこそこすぐ退院して、その後またすぐに意識消失して倒れちゃって、検査もしたけどひとつは今も解決しないけど貧血。ただ実際に短期間に繰り返したわけで、何が原因というのは分からなくて入院中に心療内科。それから心療内科~精神科・脳神経内科というのも、自分の中の出来事では大きいんだけどね。その過程で、私は子供を連れて2人暮らしをしたんだけどね。楽しかったけど、大変だったし、良かったのかと言われると、子供のためには良くなかったと思うけど、いろんな事情も相まって、あの時の私にはその選択しかできなかった。

よく耳にする言葉で使い古された言葉だけど、あの時捕まって良かった。全然良くなかったよ、良かったなんて、今、あの頃とは考え方も生き方も違うからだと思ってる。うん。別に捕まることが怖いなんて思ってもいなかったから。警察上等!って思ってたし、失うものなんてないって思ってたから。

ただ、失うものがあったわけですよね。だんだん、現実が私に迫ってきて。そもそも起訴とかも知らんし、父親は不起訴か起訴猶予じゃないかと言っていたんだけど、まぁ時代の渦中の事件というかあまりよくない事柄だったので、しっかり起訴されて。色々併合罪的な、地域も複数で。結局、チキンだったんですよ。そんなの、きっと警察の人たちは分かってて、子供もいるし、ちょうど妊娠もしていて、在宅だったのですねー。ひとつの警察署に全部事件が集まって、なんかね、警察官ってすごい。私は未だに苦手だけど、だけど、すごい。話だってじっくり聞いてくれるし、朝から夕方までの取り調べが何回もあって、車にのって色々なところに確認しに行ったりもして。そもそも私は無駄にお喋りなので、ずっとひたすら喋ってたような気はしますね。いろんな話を聞いたし、いろんな話を聞いてくれた。

影響があったかなかったか、もう終わった話だと思うけど、当時の彼は私の家にあった怪しいそうなものを全部焼却処分したし、父親は私が隠したものを処分した。

裁判所では、怖気づいた。国選弁護人は、淡々としてた。もちろん、しっかり、対応してくれてたよ。でも、優しくなんかなかった。執行猶予はつくと思うけど、かなりギリギリで際どい。その為の、受け入れてくれる相手への謝罪。最大限、示談を成立させる。これが、もちろん大変だった。その証拠の提出量…。示談金は分割にしてもらったけど、その時の私にとっては、全体ではかなり泣きたくなる金額だった。(もちろん怖すぎて、1年くらいかけて支払いが終わったと思う)執行猶予をつけるための、答弁のやりとりも何度も練習して、情状証人。今後の身元引受。父親も練習した。それでも、全然、言葉が出て来なくて、記憶もない。判決の日は、めちゃくちゃ怖かった。主文、なんとかかんとか有罪、懲役~、執行猶予~。人生最大の恐怖だったことを、時々思い出す。裁判官が、最後はすごく優しかった。

結果、私は彼とは一緒にいない選択をして、結果、私を地獄から救ってくれたのは父親だと思ってる。

ワケの分からない、負のスパイラルに、どんどん落ちていって、そもそも支離滅裂だったところに、ワケの分からない自分の理論があって、誰も、自分ですら止め方も、戻り方も分からなかったような気がする。

最初の結婚は、今思えば、そういう衝動的な自分を抑えることができなかった、に尽きる気もしてくる。若かったから?若かったからかもしれないけど、やっぱり、精神的に不安定な自分なのだとは思う。何もかも破壊したくなって、私を傷つける夫を、100倍にして傷つけたくなる。その直後に、美味しいケーキが食べたくなって、暢気にお喋りできるから、どこかサイコパスな気はするよね。私の破壊したい対象は、夫になっていたような気がする。分からないけど。DV妻みたいなもんじゃね?

心療内科~精神科、脳神経内科にかかった時に、最終的には、僕はキミの病名をすべて否定するといった先生が、入院中に完全に断薬、その先生が、キミは優等生タイプで、サイコパス気質があるという特性があるけど、キミに必要なのは病名や薬ではない。心療内科の先生とは意見が合わないと言っていたのもある。その先生は、入院中、何度も何度も話をしてくれた。テストみたいのも、こういうの実際にやってみたいでしょ?って、そういう感じで、すごくよく話をしたイメージがある。
そこから、私の中ではもやもやしてたのがクリアになったような気はしたんだけどね。それが良かったか悪かったか、そこから逮捕に至るまでに、だいぶ転がったような気はしてますね。そもそも一連の入退院で、元々勤めていた会社は辞めることになって(まぁそりゃそう。会社にも救急車が2回きた。)

頭の中がごちゃごちゃで、少し整理している。

こんな私のことを何も1ミリの欠片も知らない夫が、私のこと知った振りするのが、ものすごく腹立たしい。あと、なんだろう。やっぱり許せないんだよね。私は、蹴り飛ばしたいくらいに義母と、もう死んだ義父に腹が立っていて、こちらは身を削ってまでお金を与えていたわけだけど、ずっと疑っていて、色々な端々が気になって、夫に何度も確認してもらいたいと言っていたけど、何もせず。本当に嘘だったことが分かった時、もう数百万のお金は戻ってこないし、そこには、身を削って、恥もかいて、捻出したお金であって、ましてやこっちは子供がいるわけです。それが嘘だと分かった時の衝撃とショックと、夫との感覚の違いに、生きている次元が違うんだという理解ができない感情というか、感覚というか。義母なんて、今にでも蹴り飛ばしてやりたいって思いながら、ふつーに声のトーンをあげて会話している自分に、辟易する。腸煮えくり返りながら、頭の中でぐっちゃぐちゃにしてる。

ただ、抑えられなくて、すべてを破壊して、相手まで破壊したくなる欲求が抑えられなくて、人生崩壊させたったぜ!って。あの時、自分が満足感を覚えたような気がして、私は自分が怖いこともある。抑えらなくて、自分をどんどん破壊していく自分も、もうあんな風になりたくない。そして、私を脅かすのは、記憶を無くしたことがあること。

ものすごく仕事が忙しくて、ものすごく子供たちにお金をかけてあげたいし、現実的にかかるし、だから仕事の忙しさを止めることができなくて、キャパオーバーになりつつあっても、仕事を増やしたい焦燥感みたいなものが止められなくて、自分の思考回路が、どこか危険な気がしている。

今、私が怖いのは、もしかしたら、私の父親は、今、私の精神安定剤みたいになってるんじゃないか?というちょっとした疑念。仕事も一緒にやっているし、結果、私がどんな人生であっても、力及ばずの時があったにせよ、いつだって私の人生で伴走してくれている気がする。今は確定には至らず、経過観察ではあるけれど。肺がんの可能性という、あの時の自分の衝撃とショックと恐怖が、誰かと共有する術も無くて、時々、それに支配される。

お喋りな父親で、お喋りな娘で。あの頃から一緒に仕事しているわけで、人生の相当時間を、父親とお喋りしているような気がする。

少なくとも、夫は、私のことなんか何も知らない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?