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音楽の杜がおススメする70年代洋楽

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人生の大半を音楽に注いできた「音楽の杜」がおススメする洋楽アルバム集
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2022年11月の記事一覧

Badfinger「No Dice」(1970)

今日は悲劇のパワーポップバンド、バッドフィンガーのご紹介です。 あまりこうした修飾語は使いたくないのですが、やっぱりこのバンドを語る上で、この悲劇的な事実は事実として認識しなければなりません。 それは中心メンバーのピート・ハムとトム・エヴァンズの自殺です。ピートは1975年4月。前夜にトムとは酒を酌み交わしていたらしい。曲からも推察出来ますが、ナイーヴな方だったようですね。 そしてトムは1983年11月、前日にはメンバーのジョーイ・モランドと印税の件で揉めていたのですが、ト

James Taylor「Mud Slide Slim and the Blue Horizon」(1971)

朝晩、寒くなってきましたが、今週は天気の良い日が続き、夜もちょっと肌寒い程度で、少し心地良いくらいに感じました。特に月食もあったりして、秋の夜長を堪能する機会が多かったと思いますが、私自身は深閑とした秋の夜長、初期ジェームス・テイラーを聴く機会が多かったです。 先日ご紹介したリンダ・ロンシュタットの「Prisoner in Disguise」の中に、JTの「Hey Mister, That's Me Up on the Jukebox」が収録されてましたが、改めてこの曲、オリ

Little Feat「Dixie Chicken」(1973)

アサイラムのリンダ・ロンシュタットが爽やかなカントリーアルバムを発表していた頃、バーバンクのリトル・フィートはねちっこいスワンプなアルバムを発表してました。アメリカン・ミュージックは奥深いものです。 そのリトル・フィートですが、アルバムを2枚発表後、ベースのロイ・エストラーダが脱退してしまいます。その後加入してきたケニー・グラッドリー、そしてパーカッションのサム・クレイトン、更にセカンド・ギターにポール・バレールも加わり、6人組としてこの名作を発表します。ケニーとサムはスワ

Boz Scaggs「Slow Dancer」(1974)

ボズ・スキャッグスというと、一般的に1976年発表の「シルク・ディグリーズ」におけるMr.AOR的なイメージが強いかと思います。その「シルク・ディグリーズ」の前作にあたるのが本作。このアルバムにフォーカスする記事もたまに見受けられますが、やっぱりマイナーな存在でしょうね。 もともとR&Bやサザンソウルといった泥臭い音楽をやっていたボズ。この「スローダンサー」は「シルク・ディグリーズ」へ繋がる重要な試金石的なアルバムで、フィリーソウルをベースにAOR、サザンソウル、ファンク等

Badfinger「Badfinger」(1974)

パワーポップの代表格、バッドフィンガーをたまに聴きたくなります。特にポール・マッカートニーの流れを汲むポップなメロディと、ちょっとハードな音作りが大好きなんですよね。 彼等の歴史については、「Wish You Were Here」の記事の中でも言及しているので、そちらをご参照下さい。 ビートルズに近しいバンド、しかもアップルに所属していたという一見、恵まれた境遇だったように思えるのですが、実はアップルは経営という点では全くダメなレーベルだったわけで、そこに悪徳マネージャーが

Bee Gees「Main Course」(1975)

ビージーズにとっては転換期となった重要なアルバムをご紹介致します。 プロデュースはあのアリフ・マーディン。永らくビージーズのプロデュースはマネジャーでもあるロバート・スティッグウッドが務めてきていたものの、マンネリ感が否めず、ロバートの発案もあり、アリフを起用。1974年に「Mr. Natural」を発表、そして更にR&Bを意識した作風を押し進めた「Main Course」を翌年1975年に発表。ついに商業的なビッグヒットを記録します。 このアルバムのイメージは殆ど多くの方

John David Souther「Black Rose」(1976)

5人目のイーグルスの繊細なソロアルバム大好きなJ.D.サウザーのセカンド・ソロアルバム。 彼はイーグルス・デビュー前に、グレン・フライとデュオを組んでいたくらい、イーグルスに最も近いアーチストですね。イーグルス加入はランディ・マイズナーに反対されていたらしく、結局はソロとしての道を歩んでおります。 ただイーグルスへのコンポーザーとしての貢献は大きく、イーグルスのセカンド・アルバム「Desperado」の裏ジャケットにはメンバー4人とジャクソン・ブラウン、そして彼が写っており

Billy Joel「Turnstiles」(1976)

本作は、ビリー・ジョエルが活動拠点をロスアンジェルスからニューヨークへ移した記念すべき最初の作品であり、後の「The Stranger」、「52nd Street」、「Glass Houses」のビッグヒットした3部作に連なる布石となった重要な作品でもあります。邦題「ニューヨーク物語」。 そして忘れてはならないのが、ビリー・ジョエル・バンドと呼ばれたバックバンドのメンバー。この作品から彼等と活動を共にすることとなります。 私が洋楽を聴き始めた当時、この曲のライヴヴァージョ

Emotions「Rejoice」(1977)

心地よい日曜日の午後、こんな一枚は如何でしょう。 エモーションズは「Best of My Love」の強烈なイメージがあるためか、一発屋のイメージが付きまとっているようです。正直私もその1曲しか知らず、このアルバムにも大きな期待はしていなかったのですが、実際に聴いてみるとかなりいいですね。レオン・ウェアやフィニス・ヘンダーソン、スティーヴィー・ウッズ等に代表されるアーバン・ソウルとまではいかないまでも、かなりAOR的要素も漂う好盤です。 エモーションズはハッチソン3姉妹から

Carole Bayer Sager 「…Too」 (1978)

私の大好きなキャロル・ベイヤー・セイガーのセカンド。 彼女の最高傑作は、間違いなくバート・バカラックとタッグを組んだサードアルバム「Sometimes Late At Night」かと思いますが、今回はバートとタッグを組む前、デヴィッド・フォスター等とのコラボが楽しめるアルバムをご紹介致します。 作詞家としてのキャロルのキャリアは相当長く、1968年に大ヒットしたマインドベンダーズの「A Groovy Kind Of Love」は彼女の作品だったりします(エイティーズ世代であ