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音楽の杜がおススメする70年代洋楽

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人生の大半を音楽に注いできた「音楽の杜」がおススメする洋楽アルバム集
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Carole Bayer Sager「Carole Bayer Sager」(1977)

キャロル・ベイヤー・セイガーというと1981年発表のサードアルバム「SOMETIMES LATE AT NIGHT」があまりにも有名ですが、このデビューアルバムも素朴な音作りが堪らなくいいんですよね。 キャロルは学生時代にあのスクリーン・ジェムズのドン・カーシュナーに見出されて、同社へ入社。ドン・カーシュナーといえばモンキーズ(私だけ??)。そのモンキーズにも「When Love Comes Knockin'」、「The Girl I Left Behind Me」といった

Margie Joseph「Margie Joseph」(1973)

先日ご紹介したユニットの東北新幹線、そのメンバーだった山川恵津子さんが、これまた前回ご紹介済の動画チャンネル「Fourth Wave Records Factory」に登場。ここでは同じヤマハ出身の大村雅朗の話とか、アレンジャーの凄技とか、非常に興味深い話を繰り広げております。達郎さんも仰ってましたが、やっぱりアレンジャーって重要なんですよね。 さて、今回はコアのソウルアルバムのご紹介です。 このマージー・ジョセフのアルバムが一般的に知られたのは、アトランティック創立65周

Ben Sidran「Feel Your Groove」(1971)

私の大好きなベン・シドラン。特に70年代の彼のアルバムはハズレがありません。本作は彼のデビューアルバム。 1962年、ベンがウィスコンシン大学の学生の頃、偶然同じ学生だったスティーヴ・ミラーとボズ・スキャッグスに出会います。3人はグループを結成しますが、程なくして解散。ベンはスティーヴ・ミラー・バンドに加入しますが、後に英国へ留学。英国で本作のコンセプトを練り、1971年、本作発表に至ります。 私のベンに対するイメージは、クールなジャズ・フュージョン、小粋なミュージシャン

Donny Hathaway「Extension of a Man」(1973)

邦題「愛と自由を求めて」。ダニー・ハザウェイのサードアルバムにして、非常に思想的な内容の濃いアルバムです。この頃スティービーワンダーが傑作アルバムを相次ぎ発表していますが、それに負けないくらい充実したアルバムです。 ダニー自身のオリジナルアルバムは、実は5枚しか発表されてません。つまりもう彼はこの世にはおりません。本作品発表後、ダニ-の活動は鈍くなっていきます。黒人音楽を代表するアーチストとして、様々な期待を背負わされていたのかもしれません。 さて、本作ですが、プロデューサ

Tommy Bolin「Private Eyes」(1976)

お盆連休、如何お過ごしでしょうか? 台風は問題なかったでしょうか。 私は昨日から夏季休暇に入り、来週1週間、まるまる休みです。予定はないので音楽三昧といったところでしょうか…。 ということで以前からストックとして聴き漁っていたアルバムから、今日はトミー・ボーリンをチョイス。 トミー・ボーリンについては、以前彼のファーストアルバム「Teaser」に詳しく書かせて頂きましたが、簡単にご紹介しておくと、ハードロックからファンク、ジャズ、フュージョンまで器用にこなす天才ギタリストで

Yes「Yessongs」(1973)

2015年6月27日、イエスの創始者メンバーであったクリス・スクワイアが亡くなった。イエスは錚々たるメンバーが名を連ねたバンドでしたが、クリスだけが、創始者メンバーとして唯一、ずっとメンバーとして留まった人物でした。それくらい、イエスのサウンドには欠かすことのできない骨太なベースだった訳で、とても残念でした。 といっても80年代初頭の洋楽をリアルタイムに経験した私としては、ご多分に洩れず、イエスといえば「Owener Of A Lonely Heart」であって、バリバリの

Peter Allen「I Could Have Been a Sailor」(1979)

まだまだ暑い日がずっと続きそうですね…。 暑さを吹き飛ばす意味でのハードロック、爽やかなフュージョン等々もいいですが、ここは本命のAORをチョイス。本格的なロックファンからは総スカンを喰らいそうなピーター・アレンを採り上げます。 ピーター・アレンは有能なシンガー・ソングライターで、作曲家としても著名な方。キャロル・ベイヤー・セイガーとのコラボ作品は特に有名で、中でもクリストファー・クロスの「Arthur's Theme (Best That You Can Do)」は大ヒッ

George Benson「Breezin'」(1976)

AORとフュージョンがクロスオーバーした記念碑的アルバム 1976年、ジャズ・ギタリストであったジョージ・ベンソンがワーナー・ブラザーズへ移籍し、プロデューサーにトミー・リピューマ、オーケストラ・アレンジにクラウス・オガーマン、そしてエンジニアはアル・シュミットという豪華流麗な布陣で臨んで制作されたのが本作です。 トミー・リピューマは、アル・シュミットと組み、1974年にニック・デカロの「Italian Graffiti」を制作。これがAORの元祖的作品と言われております

Aerosmith「Rocks」(1976)

こんな暑いときだから思いっきり聴きたいエアロスミス。90年代以降のアルバムはすっかりオフの格安コーナーの定番アイテムになりつつありますが、70年代の彼等のアルバムはやっぱりパワーがスゴイ。 あと彼等の音楽からは想像がつきませんが、エアロスミス、相当知的レベルは高いと感じてます。なぜならいまだに彼等は現役バリバリに活動しております。それも殆どメンバーは不変(いろいろありましたが)。80年代の復活劇以降は戦略的にも練られた感がありますね。 ちなみにヴォーカルのスティーヴン・タイ

Montrose「Montrose」(1973)

暑い日が続いてますね。 こんな時は爽快なハードロックが聴きたくなってきます。 折しもサミー・ヘイガーの来日公演に備えて、向こう2か月半でサミーの音楽をチェックしたいなあと思っていたので、まずはサミーがヴォーカルを務めていたモントローズを聴いておりました。 モントローズは殆ど聴いたことがなかったのですが、如何にもアメリカンなハードロックである一方、何となくブリティッシュな香りもするところもあったりして、かなり私好みのサウンドでした。 モントローズは、ヴァン・モリソンやエドガ

Van Halen「Van Halen II」(1979)

サミー・ヘイガーのライヴが意外にも当選し、今更ながらサミー時代のヴァン・ヘイレンを聴いてます。でも本音を申せば、ヴァン・ヘイレンはデイヴ時代、特に「Jump」前の野性味あふれるヴァン・ヘイレンが今も大好き。 サミーの来日公演に応募したのも、マイケル・アンソニーのハイトーンコーラスが聴きたかったからなんですが…。 ということで結局今も初期ヴァン・ヘイレンを聴いてしまってます(苦笑)。 時に聴いていたのは彼等のセカンドアルバム。 このアルバム、全10曲、3分前後と楽曲もコンパク

The Rascals「Peaceful World」(1971)

私がはじめて購入した(レコードではなく)CDはギルバート・オサリバンのベスト盤なんですが、次に購入したのラスカルズのベスト盤です。 初めて「Groovin'」を聴いたときの衝撃は忘れられませんね。小鳥のさえずりを含むのどかなイントロを聴いただけで、けだるい夏の午後を連想させる曲調は、今聴いても色褪せない素晴らしい楽曲です。山下達郎先生がカバーし、それがサンソンで流れているので、よく知っている方も多いでしょう。 本作品はそのラスカルズ後期の代表作品。1964年のデビュー以来、

Jo Mama「J Is For Jump」(1971)

サミー・ヘイガー来日しますね。サミー自体にはあまり興味がないのですが、そのメンバーが興味津々。マイケル・アンソニー(B)、ジョー・サトリアーニ(G)、ジェイソン・ボーナム(Ds)という豪華布陣。元ヴァン・ヘイレンのマイケル・アンソニーのコーラスが大好きで、ついついいい加減な気持ちで抽選に応募し、当選してしまいました。結構高額なのと、連休最終日の公演なので、ちょっと悩んでます。でもこの布陣はそうそう見られないし、ヴァン・ヘイレン中心の選曲らしいので、行こうかなとも思ってます。

The Jacksons 「The Jacksons」 (1976)

マイケル・ジャクソンのキャリアのスタートとなったジャクソン・ファイブ。弾けるようなポップス(所謂バブルガム・ポップ)と素敵なメロディが魅力的で、未だによく聞きます。確かに60年代の末から70年代初頭にかけてのジャクソン・ファイブの人気は凄まじいものがあったようで、デビュー曲「I Want You Back」から4曲連続No.1をきろくします。 でも時が経つにつれて、流石にそういった人気にも翳りが出て来てしまいます。ジャクソン・ファミリー・サイドは作曲やプロデュース、演奏をメン