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音楽の杜がおススメする70年代洋楽

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人生の大半を音楽に注いできた「音楽の杜」がおススメする洋楽アルバム集
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2022年10月の記事一覧

Paul McCartney「Ram」(1971)

今日辺りから急に冷え込むようですが、こちらはまだ暖かい朝です。昼過ぎから冷え込むのでしょうか。秋ですね…。 こんなときは部屋で好きな音楽や読書を堪能したいものです。 ここ最近は原点回帰・・・、私の大好きなポール・マッカートニーのソロを聴いてます。この「Ram」は1971年発表のポールのセカンドソロアルバムです。 1970年4月にリリースされたポールのファーストソロアルバム「McCartney」はポールの一人多重録音で、ポールがビートルズの脱退宣言をしたタイミングと重なった

Rod Stewart「Never a Dull Moment」(1972)

ロン・ウッドからストーンズと来たら、ロッド・スチュアートのアルバムを聴かないわけにはいかないでしょう。 折しもレコード・コレクターズ10月号の「1972年の音楽地図」特集を、飽きもせず熟読しておりました。 レココレのこのテの特集は賛否両論ありますが、今回の特にアメリカ・イギリスで紹介されていたアルバムは名盤揃いで、意外と参考になりました。そして1972年のアルバムは自分好みが多いこと、アメリカ嗜好の私でも、特に1972年はブリティッシュ・ロックが好みであることが改めて分かり

Lowell George「Thanks I'll Eat It Here」(1979)

1979年という年はリトル・フィート・ファンにとっては衝撃的な年だったでしょう。 同年、リーダーであるローウェル・ジョージのソロアルバムの発表、そしてリトル・フィートの解散声明。突然のローウェルの死・・・。 このアルバムを聴く限りにおいては、ローウェルが体調不良であったことは全く感じさせない力強いヴォーカルを聞かせているですが。 ご参考までに参加ミュージシャンを列挙しておきます。 Bill Payne(Keyboards), Bonnie Raitt(Vocals), C

Queen「Queen II」(1974)

クィーンの美学が貫かれたセカンドアルバム非常に気品に満ちたアルバムです。 クィーンのなかでは一般的にはメジャーでないアルバムですが、コアファンの間では人気の高いアルバム。 クィーンはこの後発表されることとなるシングル曲「Killer Queen」の世界的な大ヒットで、一躍メジャー級バンドとなりましたが、この当時は本国英国でもそれほどの人気はなかったと思われます。 本作はそのメジャー級バンドとなる直前の、1974年4月に発表されたクィーンらしい名盤。ジャケットが名盤の佇まいを

Ron Wood「I've Got My Own Album to Do」(1974)

ロン・ウッド…、容姿や佇まいを見ていると、憎めないお人柄のような感じ。 1974年に発表された彼のファースト・ソロ・アルバムを聴いていると、より一層、その思いが強くなります。なんせ邦題は「俺と仲間」ですからね(笑)。 この当時、ロンはまだフェイセズに在籍しておりました。フェイセズは1973年に「Ooh La La」を発表しますが、そのレコ―ディングにロッド・スチュワートは顔を出すことが少なく、ロニー・レーン主導でこのアルバムは制作されました。そのことに批判的だったロッド・ス

Edgar Winter Group 「Shock Treatment」 (1974)

エドガー・ウィンターってご存知でしょうか。兄貴のジョニー・ウィンターはブルースのギタリストとして有名。ですからエドガーの紡ぎだす音だって、そっち系かなと思ってました。 今回ご紹介するのは、そのエドガーのリーダーバンドの1974年に発表したアルバム。邦題「恐怖のショック療法」。なんとも仰々しいタイトルです。そしてこのアルバムからギターにはリック・デリンジャーが加入しております。リックといえば、ゴリ押しのハードロッカーのイメージが何となくあったので、当然ながらこのアルバムもそんな

Eagles「One Of These Night」(1975)

前作「On The Border」で、プロデューサーにジム・シムジクを迎え、新たにギターにドン・フェルダーが加わることで、そのサウンドはよりサザンロック的な要素が加わりました。 そして本作。初の全米No.1となった記念すべきアルバムで、初期のカントリータッチな部分と、ダイナミックなロック色がうまくブレンドされた、いい意味でイーグルスらしいサウンドに仕上がってますね。 なんといっても①「One Of These Nights」のイントロに当時の多くのファンは驚いたでしょうね。

Jeff Beck「Blow By Blow」(1975)

70年代洋楽ファンにとって3大ギタリストといえばエリック・クラプトンにジミー・ペイジ、ジェフ・ベックですが、ジェフだけはそのキャリアも孤高の人って感じがします。 ジェフ・ベック・グループ解散後、1972年、クリームばりのトリオのロック、ベック・ボガード&アピスを結成。来日まで果たすのに、またまたセカンド・アルバムの制作途中でグループは解散。ベックらしいというか…。 でもベックはビリー・コブハムの「スペクトラム」に感銘を受けたらしい。というかそこでギターを弾いていたトミー・ボ

Linda Ronstadt「Prisoner in Disguise」(1975)

秋らしい季節になったので、ここ最近は女性ヴォーカリストをよく聴いてます。前回はオリビアをご紹介したので、次は当然リンダ・ロンシュタットということで…。もともとこのアルバムはご紹介したかったアルバムなんですよね。 1973年にリンダはアサイラムへ移籍したものの、契約上の関係から1974年に発表された前作「Heart Like a Wheel」は、キャピタルからリリースされました。キャピタルはこれを全く売れないと判断したのか、あまり宣伝活動もされなかったようですね。にも関わらず

Olivia Newton-John「Making a Good Thing Better」(1977)

オリビアが今年8月に亡くなられました。直ぐに追悼の意味も込めて、彼女のアルバムをアップしようと思ったのですが、もう少し彼女のアルバムを聴いてからにしようと思い、あれこれと聴いていたら、ここまで遅くなってしまいました。 オリビアは結構幅広く音楽活動をされており、個人的には洋楽を聴き始めた頃の大ヒット曲「フィジカル」が強烈に印象に残ってますが、音楽的には初期カントリー時代、映画「グリース」のサントラ、ELOと組んだ「ザナドゥ」辺りが大好きでした。そして私もご多分に洩れず、中学時

Fools Gold 「Mr. Lucky」 (1977)

隠れたAORの名盤おはようございます! 今回は意外な1枚、期待してなかったのに、想像以上に素晴らしかった1枚、フールズ・ゴールドのセカンドをご紹介します。 イーグルスのフォロワーとして有名だったフールズ・ゴールドですが、その活動は僅か2年。しかも発表された2枚のアルバムは、各々色合いが違います。中心メンバーはトム・ケリーとデニー・ヘンソン。トム・ケリーと聞いて、ピンと来られた方はAORフリークですね。 でもデビュー当時は彼らはカントリーロック中心のバンドでした。デビュー前

Boz Scaggs「Down Two Then Left」(1977)

ボズ・スキャッグスといえば1976年発表の「シルク・ディグリーズ」があまりにも有名ですね。 この作品がAOR史を変えたことは間違いありません。でも個人的には翌年発表の本作も大好きな一枚です。 「Down Two Then Left」はサザンソウルやフィリーソウルをボズ流に解釈した最高峰のアルバムだと思います。 このアルバム、ボズの裏声を駆使したヴォーカルも白眉ですが、なんといっても演奏を支えきっているジェフ・ポーカロのドラムが凄い。ジェフのタイム感覚とタイトなドラミングは

Kenny Loggins「Nightwatch」(1978)

ここ最近、AORの名盤をご紹介していなかったので、ここらで1枚ご紹介したいと思います。 ケニー・ロギンス。エイティーズファンの間では「フットルース」「デンジャーゾーン」といった商業ロック的イメージの強い優男ですね。そのケニー、もともとはライター出身で、1971年に念願のメジャーデビューを果たします。その時のプロデューサーがバッファロー・スプリングフィールド→ポコと渡り歩いたジム・メッシーナ。ジムはケニーと意気投合し、ケニーのソロの筈が、気付いたらロギンス&メッシーナになって

Nicolette Larson「Nicolette」(1978)

ここ数日、AORの名盤をご紹介するコーナーでは必ずリストアップされる本作をじっくり聴いてました。このアルバム、ニコレット自身が器用なヴォーカリストですから、収録されている楽曲もAORからフォーク、カントリー、サザンブギーまで幅広い楽曲が収録されてます。AORで一括りしてしまうには惜しいアルバムですね。 プロデューサーはテッド・テンプルマン。彼が手塩にかけて作り上げた感じが非常に伝わって来ます。このアルバムには Bill Payne(Keyboards)、Patrick Si