悪者
大好きな作家さんのある小説に出てくる文の一節です。
先週の私の心は、大きく傷ついていました。
それでもギリギリのところで踏ん張り、出勤していました。
あまりにも強い言葉で責め立てられ、連日の謝罪。それに返される罵倒。
可能な限りの注意力を途切らせることなく発揮して1日を過ごし、放課後遅くまで仕事。帰宅して気を失ったように眠り、あまりにも早く目が覚めて起床。当分続きそうなこの日常。
まだ4月。新年度は始まったばかり。これから先を思うと暗く、苦しい。
受け流せばいい。考えなくていい。チームとして。分かっていても難しい。
都市圏からは教育が10年以上遅れていると言われている自治体の、大規模校の現場が抱える問題はあまりに多く、大きく、そして重いのです。
去年は、学級崩壊の怖さをすぐそばで見た。本当に、恐ろしかった。目の前で一緒に笑っていた人が、心と身体の元気を失っていくのを見た。支えられない辛さも、支える辛さも知った。
そしてモンスターペアレントと対峙して、学校にできることの限界と、向けられたベクトルを受けることしかできない辛さを知った。
新聞やニュースで見てきた教育現場の課題。「ブラックだ。鬱病になる人が増えている。人が足りない。保護者の要求が大きくなっている。」どこか遠い人の話ではない。自分がぶつかっている。言葉で大変だと理解するのは簡単だが、当事者が肌で感じるのはあまりにも辛い現実だ。
私はストレス耐性は強い方だと思っている。スポーツを継続することを通して身につけてきたこともある。心理学の勉強をして、自分を守る色んな方法も、乗り越え方も、向き合い方も、経験を通して理解してきたつもりだった。
それでも、正論ではなかなか突破できない壁はあって、きっとこれからもたくさんあるんだろう。
冒頭で触れた小説の一説に戻る。辛いことを乗り越えて、いくつもの試練をクリアして、人は強くなっていくのだろう。間違いではないと思う。ただ、傷ついた心の形は、傷つく前の綺麗な形に戻ることは相当難しい。もしかしたらないのかもしれない。
今の労働環境や、自分が置かれている現状を変えることはできない。自分を変えることしかできないなら、可能な限りのストレスマネジメントで健康を維持して、もう少し、頑張りたい。自分が頑張ったことが誰かの幸せにつながっていることを感じることができる瞬間を、もう少し感じたい。
自分にできることは少なくて、転職をいくら考えても先にはなかなか進まない。明日も明後日も苦しいと分かっていても、私は学校へ行くだろう。
時間が解決してくれるものもたくさんある。過ごした日々を笑い話にできる日が来ると信じて。
久しぶりの執筆は、仕事のストレスを言語化して、気持ちを軽くさせるために書き綴りました。いつか読み返した自分は、どう成長しているのか。未来の自分はこの毎日をどう乗り越えたのか。はたまた乗り越えられなかったのか。
未来の自分に会う方法は、明日を生きること。
元気に頑張ります。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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